ペンシルベニア大学(ペンシルベニアだいがく、ペンシルバニア大学、英: The University of Pennsylvania)とは、アメリカ合衆国のペンシルベニア州、フィラデルフィアに所在する私立大学。1740年に設立され、アメリカ大学協会の創設メンバーの1つでもある。略称はPenn、UPenn。米国屈指の名門私立大学連合であるアイビー・リーグの1校である。
2022年QS世界大学ランキングで世界の大学学士課程トップ校ランキング13位(東大は23位)、USAトゥデイ米国大学ランキングで1位、USニュース米国大学ランキングでスタンフォード大学、シカゴ大学と同列のトップ6位、Times米国大学ランキング(2017年)ではトップ4位、Times 2018年世界大学学士課程ランキングでトップ10位 (その他ランキング誌では世界4位から15位)にランクインし 米国及び、世界を代表する屈指の名門大学として不動の地位を保っている。合格率 5.7% (2021年)と全米最難関大学の一つである。米国の有名総合大学としては、比較的珍しく大都市に位置する都市型大学でもある。
ペンシルベニア大学は学士課程のみならず修士、博士課程に重点を置く研究型大学院大学として更に有名である。特に、全米最古のビジネススクールであるウォートン・スクール(Wharton)は、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)、スタンフォード大学経営大学院(Stanford GSB)、シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネス(Chicago Booth)と共に、世界最高峰のMBA提供校として名高い(M7の参加校)。また、全米最初の医学部を有するペンシルベニア大学 医学大学院(Penn Med)は、医学研究分野でハーバード・メディカル・スクール(HMS)、ジョンズ・ホプキンス大学医学部(JHUSOM)、ニューヨーク大学・グロスマン医科スクール(NYU Grossman)、スタンフォード大学医学大学院(Stanford Medicine)、コロンビア大学ヴァジェロス医学校(VP&S)と共に全米トップクラスの評価を受けている。さらに法科大学院のペンシルベニア大学ロースクール(Penn Law)も全米TOP10で名高く、政財界へ指導的な人材を輩出しつづけている。
全米で初めて"University"と名付けられた教育機関であり、学部と大学院を兼ね備えた全米初の大学でもあった。設置年度(1755年)としては全米で6番目に古いとされる。また、北米で最初に医学部(1765年)、全米で最初にビジネス・スクール(1881年)を設置した大学である。後述する設置経緯から、リベラルで実学重視の校風で知られる。
学術分野では経営学、医学、建築学、法律学、教育学で名高く、各専門職大学院が世界的に有名である。特に全米最古のビジネス・スクールであるウォートン・スクール(Wharton School)MBAは全米および世界ランキング1位を誇る名門である。また、会社法分野で著名なロー・スクール(Penn Law)は全米ロースクールランキングで203校中6位にランクインし、いわゆるTop14の1校を形成している。また、学部課程では、2014年度の億万長者出身校ランキングで世界1位であった。
大学の愛称はPennまたはUPenn。日本人の間ではペン、ユーペン、ペン大と略称される。モットーは Laws Without Morals are Useless(良識のない法は無益である: Leges Sine Moribus Vanae)。ノーベル賞受賞者は36人である(大学別では世界20位)。
ベンジャミン・フランクリンが創設者の一人で、創立時の校名は「フィラデルフィア・アカデミー」だった。イギリス植民地の大学としてハーバード大学、ウィリアム・アンド・メアリー大学、セントジョンズ大学、イェール大学に次いで1740年に植民地議会によって設立され、アメリカ独立に先行する長い歴史を持っている。 独立宣言の9人の署名者と合衆国憲法の11人の署名者が大学創立と関連していた。初代理事長のウィリアム・スミスは英国国教会(イングランド国教会)の司祭で、評議員の4分の3も英国国教会の関係者であったが、フランクリンの先駆的な指導のもと、意図的に特定の宗派と直接関係しないように設立されている。フランクリンは、イェールなどの他のコロニアル・カレッジと異なり、単に聖職者を養成する機関としてではなく、従来の古典教育と神学に加えて商業と公務のための実用教育にかなう革新的な高等教育機関の創設を提唱した。他の理事の反対で実現はしなかったが、彼の提唱した教育計画は全米初の近代的リベラルアーツ・カリキュラムであった。この考えに基づき、伝統的に医学や経済学、法律学等の実学に重きが置かれた研究・教育がなされている。
ペンシルベニア大学は、ヨーロッパの大学によって開発された多くの学問領域を綜合した最初の研究機関であり、前述したように"University"と公式に名付けられた全米最初の組織でもあった。1994年にジュディス・ロディンが第7代学長に就任し、アイビー・リーグの中では初めて女性の学長が誕生した。その後を継いで、2004年に現在の学長であるエイミー・ガットマンが第8代学長に就任した。
1740年の設立当初は、フィラデルフィアのセンターシティにキャンパスを構えていたが、1872年に現在の場所であるセンターシティからスクールキル川を渡った西側にキャンパスを移転した。現在では地区一帯がユニバーシティ・シティと呼ばれており、隣接するドレクセル大学とともに全米有数の学園都市を形成している。他の多くの大学と異なり、全ての学部・大学院が同一キャンパス内にあり、その特性から大学内での共同研究が非常に盛んである。ペンシルベニア大学病院、フィラデルフィア小児病院や、全米初の独立生物医学研究所であるウィスター研究所も同一キャンパス内に存在する。モリス・アーボレータムのように離れた場所に位置する施設もある。
キャンパス内にはSEPTAの地下鉄駅(33rdと36th Street駅)と近郊電車駅(ユニバーシティ・シティ駅)がある。また、ペンシルベニア大学考古学・人類学博物館やフランクリン・フィールドなどの施設があり、観光客も多く訪れる。以下はキャンパス内の代表的な見所である。
ペンシルベニア大学は、医学、人文科学、建築学、エンジニアリング、および教育学における草分けと認められている。北米最古の医学部、金融および会計学などで名声の高い、ウォートン・スクールと呼ばれるビジネス・スクール、さらには法律の専門教育機関であるロー・スクール(Penn Law)が特に有名である。
ペンシルベニア大学は以下の4つの学部を持っている。
大学院プログラムはペンシルベニア大学における研究の中核である。以下の専門大学院は全米で常にトップクラスにランキングされている。全部で12の大学院がある。
ペンシルベニア大学は、ジョンズ・ホプキンス大学やハーバード大学とともに、生物医学研究に関する重要な研究拠点である。 医科大学院は全米で最も重要とされる研究機関の一つとして存在しており、1000人を超える教授陣が在籍する。ジョンズ・ホプキンス大学についで、国立予防衛生研究所(NIH)から第2位の額の研究費が与えられており、国家最大級の研究計画を担っている。
また、約56億ドルを歳出として計上する大学でありこれはアイビー・リーグで最大の予算である。
2014年度卒業生での人種構成は、40.8%がアジア系、ヒスパニック、アフリカン・アメリカンだった。また、現在51.1%の学生が女性である。
留学生も多く、11%以上の1年生が他国からの学生である。その内訳は、2014年度卒業生ではアジア50.2%、アフリカ及び中東9.2%、ヨーロッパ17.7%、カナダ及びメキシコ15.5%、カリブ海・中央アメリカ・南アメリカ4.8%、オーストラリア及び太平洋諸島1.1%である。留学生の合格率は、4390人中411人合格で9.4%であった。大学全体で多様性に重点を置いており、非常に多文化・多国籍なのが特色である。
2021年度フレッシュマンSATの平均点は1600満点中 1480-1570点、ACTスコアは36点満点中33-35、合格率は6%であった。
The Daily Pennsylvanianとは、学生が独立して発行する学内新聞であり、その歴史は1885年に遡る。250人以上の学生からなり、毎週発行されている。2015年3月には、女優でブラウン大学卒のエマ・ワトソンがペンシルベニア大学大学院に入学するとの"Joke Issue"により、ネット上を騒がせた。
Forbes 米国大学ランキング
MBAは常に世界第1位から3位、医学/医療系大学院は常に全米トップ2位から5位にランキングされている。
ノーベル賞受賞者を36人、アメリカ合衆国大統領を2人輩出している。また、ウォートン・スクールは多くの著名な実業家を輩出していることから、特に財界と学界において、確固たる地位を築き上げている。
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