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ロッキード


ロッキード


ロッキードLockheed Corporation)は、アメリカ合衆国の航空機メーカーで主に軍用機を製造していた。マーティン・マリエッタ社と合併し、現在はロッキード・マーティンである。

沿革

飛行機の製作をはじめたアイルランド系のアメリカ人、アラン・ロッキードとマルコム・ロッキード兄弟(Allan and Malcom Loughhead )によって1913年に「Alco Hydro-Aeroplane Company」が創設された。1926年には社名を「Lockheed Aircraft Corporation」に変更した。誰も彼らの名前を正しく発音できなかった為である(なお、日本に於いても当初ローグヒード社などと紹介されていた)。1920年代、ジャック・ノースロップらの設計により、ベガなどの民間機で成功を収めたが、ノースロップがノースロップ社を設立して独立した後、アラン・ロッキードはこのロッキード航空機会社をデトロイト航空機(Detroit Aircraft Corporation )に売却した。大恐慌によりデトロイト航空機が破綻すると、1932年にロッキード社も倒産した。数日後に新しい投資家ロバート・グロスによってロッキードは買収され、すでにロッキードは会社との関係はなくなっていたが、ロッキードがふたたび社名になった。その後の第二次世界大戦で大躍進した。

第二次世界大戦後はL-749 コンステレーションやL-1049 スーパー・コンステレーションでダグラス社と旅客機の分野で覇を競うが、ジェット機への対応に乗り遅れ、1970年代にようやくL1011トライスター(エルテンイレブン・トライスター)を投入する。トライスターは先進的な装備を持つ優れた旅客機だったが、同時期に登場した同クラスのマクドネル・ダグラス DC-10と販売競争を行った挙句に経営が悪化する。1976年にこの機の売り込みに関するロッキード事件が明るみに出たこともあり、1981年に民間機事業から撤退した。

1993年にジェネラル・ダイナミクスの航空宇宙事業部を買収して戦闘機部門を強化し、1995年にはマーティン・マリエッタと合併して社名を「ロッキード・マーティン」に改め、宇宙開発やミサイル、電子システムの分野にも進出した。

スカンクワークス

社内には通常の設計部門とは別に少数精鋭の開発チーム「スカンクワークス」が設立され、U-2偵察機、SR-71、F-117ステルス攻撃機等の独創的な航空機を設計・開発した。

製品

軍用機

  • 戦闘機
    • P-38 ライトニング
    • F-22 ラプター
    • F-35 ライトニングII
    • F-117 ナイトホーク
    • F-104 スターファイター
    • F-94 スターファイア
    • YF-12
    • F-80 (P-80) シューティングスター
  • 偵察機
    • U-2
    • A-12
    • D-21
    • SR-71 ブラックバード
  • 哨戒機
    • S-3 バイキング
    • ハドソン
    • PV-1 ベンチュラ
    • PV-2 ハープーン
    • P2V ネプチューン
    • P-3 オライオン
  • 輸送機
    • C-5 ギャラクシー
    • C-141 スターリフター
    • C-130 ハーキュリーズ
    • トライスター K1/KC1/C1/C2/C2A
  • 練習機
    • T-33 シューティングスター
    • T2V シースター
  • 攻撃ヘリコプター
    • AH-56 シャイアン

旅客機

  • L-1011 トライスター
  • ロッキード ジェットスター
  • L-188 エレクトラ
  • L-049 コンステレーション
    • L-749 コンステレーション
    • L-1049 スーパー・コンステレーション
    • L-1649 スターライナー
  • ロッキード L-10 エレクトラ
  • ロッキード L-14 スーパーエレクトラ
  • ロッキード L-18 ロードスター
  • ベガ
  • L-2000(超音速旅客機、計画中止)

船舶

シー・シャドウ (実験艦)

ミサイル

  • MIM-104 パトリオット
  • トライデント
  • ポラリス

鉄道

1950年代後半より航空機技術を応用したモノレール開発に着手。1959年時点では1両定員80名・最高時速75マイル(約120km)の案内輪型とレールの左右それぞれに1両あたり12席ずつを設けた小型輸送向けのサドルバッグ型の2種の跨座式と懸垂式の計3種を計画し建設費は1時間あたり1万人輸送の想定で高速道路の2分の1・地下鉄の3分の1を見込んでいた。シアトル万国博覧会でのサドルバック型跨座式線、またロサンゼルスやワシントンD.C.にて市街地から郊外への案内輪型跨座式線の建設提案を行うも、導入には至らなかった。

その後1962年に日本での導入を目指して川崎航空機工業・川崎車輌・日本電気・西松建設などが出資し日本法人日本ロッキード・モノレール株式会社が設立され、川崎航空機岐阜工場内の試験線で案内輪型跨座式モノレールの研究を行った後小田急電鉄向ヶ丘遊園モノレール・姫路市交通局の2社局に納入され、その後事業展開は見込めないと判断されたため1970年に同社は解散し日本向けの展開のみとなった。影響を受けて姫路市は1974年に車両維持困難を理由に運行を休止した後に正式廃止。向ヶ丘遊園モノレールも2000年に老朽化で運行休止、翌2001年に正式廃止された。

出典

関連項目

  • 航空機メーカーの一覧
  • ロッキード事件
  • 満州航空
  • 児玉誉士夫-秘密代理人

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ロッキード by Wikipedia (Historical)