外務省


外務省


外務省(がいむしょう、英語: Ministry of Foreign Affairs、略称: MOFA)は、日本の行政機関のひとつ。日本の外交を所管する。

1869(明治2)年に設置され、改称せずに現存する日本最古の行政機関である。

概説

上述の外務省設置法第3条に掲げた目標を達成するため、外交政策、外交使節、通商航海、条約等の国際法規の締結、運用、外国政府との交渉、情報収集、分析、発信、在留邦人の保護および文化広報活動など国の対外関係事務全般を司る。

1885年(明治18年)の内閣制度創設以後、一度も名称を変更していない唯一の省である。太政官達(内閣職権)、外務省官制、旧外務省設置法など、設置根拠法に変遷はあるが、省の名称は継続して用いられている。

最初に「外務省」の名称が用いられたのは、1869年(明治2年)8月15日から始まった太政官制(二官六省制)からである。名称が公議所で議論された際、原案は「外国省」となっていたが、公議員であった依田学海が「雅ならず」として「太宰府」「外務省」「治部省」のいずれかにすべきと提案したという経緯がある。

外務省の刊行物には、外務省発行の外交専門誌「外交」がある。

外務省のシンボルは、漢字の「外」の文字を変形させた図案が用いられている。それまでは歴代大臣が使用していた硯箱の蓋に描かれていた図案であったが、1937年(昭和12年)に職員用のバッジの図案として制定された。それ以来、省の標章として使用されており、庁舎の正門に掲げられるとともに、職員の身分証明書などにも描かれている。


所掌事務

外務省設置法第4条は、計29項目の所掌する事務を列記している。

主なものに以下がある。

海外滞在中の日本人が犯罪行為により、その国家の刑務所に収監されたり、死刑判決が下される場合、外務省(在外公館の職員)は、邦人保護の一環として面会などの対応をとる。

庁舎

外務省庁舎

外務省庁舎は千代田区霞が関2丁目2番1号本館に所在する。小坂秀雄設計。「本館(中央・南庁舎)」、「本館(北庁舎)」および「新庁舎」の3つの建物から構成され、それらは口型に配置されている。

中央・南庁舎は地上8階、地下1階のL字型の建物であり、内部は中央庁舎と南庁舎に分かれている。1970年(昭和45年)に完成した。北庁舎は地上8階、地下1階で1960年(昭和35年)完成。

新庁舎は南庁舎と北庁舎の間、中央庁舎の向かい側に位置し、地上7階、地下3階である。北庁舎から中央庁舎への連絡は2階-1階、5階-4階、および8階-7階である。

南庁舎から中央庁舎への連絡は2階-1階及び8階-7階である。1995年(平成7年)に完成した。

以前は南庁舎には旧科学技術庁および公正取引委員会が入居していたが、中央省庁再編に伴い移転した。

本庁舎の耐震工事のため、2002年(平成14年)初頭から2003年(平成15年)末まで一時的に仮庁舎が開設され、港区芝公園の住友不動産芝公園タワーに移転した。

旅券課など一部の部署は港区芝大門の住友芝大門ビルに分散入居していた。南庁舎2階には、24時間営業のコンビニエンスストア(ローソン:2013年2月13日現在)がある。霞が関に立地する最初の官庁である。終戦後は日産館などに入居していた。

飯倉別館

飯倉公館ともいう。首脳会談や外相会談のほか、各種会議やレセプションなどの交流活動にも利用されている。

1971年(昭和46年)に完成。吉田五十八設計。所在地は東京都港区麻布台1丁目5番3号だが、名称に冠した「飯倉」はこの地の歴史的名称「飯倉町」に由来する。

また江戸時代幕末期の開国以来の外交資料を保管し展示する外交史料館を併設している。近傍には旧事務次官公邸だった麻布台別館もある。

沿革

1871年(明治3年)に、外務省は銀座から霞が関に移転し、江戸時代に建築された大名屋敷の福岡藩黒田邸上屋敷をそのまま使用していたが、1877年(明治10年)2月1日に焼失した。

1881年(明治14年)、英仏人建築家ボアンヴィル(Charles Alfred Chastel de Boinville)の設計による新庁舎が竣工した。

1909年(明治42年)、電通と密約し、秘密補助金を出して電通に同省肝いりの在中国日系新聞記者に送電、配信させる構想。

1914年(大正3年)設立の国際通信社が出した赤字を補填。

1941年(昭和16年)ハル・ノート(原案作成はハリー・ホワイト)の提示により日米交渉打ち切り。12月に太平洋戦争開戦。

1982年(昭和57年)レフチェンコ事件。この事件は外務省を震撼させ、後のスパイ防止法案の審議や特定秘密保護法の制定に大きな影響を与えた。関連するミトロヒン文書の項も参照。

1993年(平成5年)に、総合外交政策局と国際情報局が新設された。

1997年(平成9年)には、国立国会図書館調査立法考査局に出向中の松井啓専門調査員を通じ、「図書館の自由に関する宣言」を侵して野党国会議員が国会図書館に依頼した、外交、安全保障問題に関する調査資料の閲覧情報を収集調査していたことが明らかになっている。外務省外交文書の公開により、2011年(平成23年)2月に発覚した。

2001年(平成13年)4月に小泉純一郎が内閣総理大臣に就任し第1次小泉内閣が発足したとき、田中眞紀子議員(田中角栄元総理の長女)が外相に就任した。女性初の外相。田中外相は人事凍結方針を打ち出し、外務官僚がそれに反発、外務省は機密費流用問題、公金流用疑惑、裏金などの不祥事が続出し、田中外相は外務省を『伏魔殿』と呼び、外務省改革を唱えた。

以降、ことあるごとに田中外相と外務官僚の対立が続くようになった。田中外相は事務次官の任免を繰り返し、外務省改革を断行しようとするが、2001年(平成13年)9月11日発生のアメリカ同時多発テロ事件以降、外交政策は官邸主導になり、肝心の外相は1人取り残されるようになった。

その後、アフガニスタン紛争の復興支援に関して、NGOを復興会議から排除した問題が浮上。NGO排除に鈴木宗男議員の大きな影響があったと大西健丞NGO「ピースウィンズ・ジャパン」代表が発言、小泉首相も鈴木議員の圧力を認めたが、野上義二外務事務次官はそれを否定。田中外相、鈴木議員、外務省の3者をめぐって全面的な争いが起こった。2002年(平成14年)1月、小泉純一郎は田中外相と野上事務次官を更迭した。

その後、外務省への過度な圧力などを指摘され、2002年(平成14年)3月11日に、鈴木宗男議員が証人喚問を受けることになった。

川口順子大臣時代の2004年(平成16年)8月1日に、儀典長(次官級)が大臣官房儀典長(局長級)に格下げ、領事移住部を領事局に格上げし、国際情報局が統括官組織に改組(国際情報統括官組織)され、条約局が国際法局に改編された。

2006年(平成18年)8月1日に、部局の統廃合が行われた。この統廃合では、躍進著しいインドや東南アジア諸国連合などとの関係強化を図るため、アジア大洋州局内に「南部アジア部」が新設された。一方、局単位の改編として、経済協力局及び大臣官房国際社会協力部(ODA関係部局)を統合して「国際協力局」を新設した。よって全体の局部数に変更はない。

2012年(平成24年)1月18日に、野田第1次改造内閣(野田佳彦総理)の玄葉光一郎外相時に大臣の定例記者会見に初めて英語の同時通訳を導入した。大臣発言と日本人や外国人記者の質問は日本語と英語に相互に訳され、会見では貸出されるイヤホンを介して聴取することが出来る。

2017年(平成29年)3月、文部科学省における再就職等規制違反事件で、外務省職員が違法な天下り斡旋により国立大学法人東京外国語大学特任教授に就任していたことが判明した。

2018年(平成30年)7月1日に、部局の統廃合が行われた。この統廃合ではアジア大洋州局北東アジア課を二課に分け、北東アジア第一課及び北東アジア第二課を設置した。両課の設置に伴い、北東アジア第一課が韓国情勢、日韓協力等,北東アジア第二課が北朝鮮情勢、日朝関係等を所掌する。また、アジア大洋州地域に関する外交政策の総合的な企画立案及び調整の必要性が特に高い事情にかんがみ、アジア大洋州局地域政策課を地域政策参事官(組織令上は大臣官房の参事官)に改組した。

2020年(令和2年)8月3日に、部局の統廃合が行われた。WTO協定、経済連携協定、投資協定等の紛争解決規定に基づく紛争解決の処理への対応を強化するため、国際法局に経済紛争処理課を設置、経済局経済安全保障課を廃止し、経済局政策課にエネルギー、鉱物資源、食料の安定供給の確保に関する事務を所掌する資源安全保障室を新設、総合外交政策局安全保障政策課新安全保障課題政策室の室名を経済安全保障政策室に変更する(所掌事務は変更なし)。

組織

外務省の内部組織は一般的に、法律の外務省設置法、政令の外務省組織令および省令の外務省組織規則が階層的に規定している。 外務大臣を長とし、内部部局として大臣官房および総合外交政策局ほか10局、審議会として外務人事審議会および海外交流審議会、施設等機関として外務省研修所、特別の機関として在外公館を設置する。

幹部

  • 外務大臣(国家行政組織法第5条、法律第2条第2項)
  • 外務副大臣(国家行政組織法第16条)(2人)
  • 外務大臣政務官(国家行政組織法第17条)(3人)
  • 外務大臣補佐官(国家行政組織法第17条の2)(1人)(必置ではない)
  • 外務事務次官(国家行政組織法第18条)
  • 外務審議官(法律第5条)(2人)
  • 外務大臣秘書官

内部部局

審議会等

  • 外務人事審議会(政令第90条)
  • 海外交流審議会(政令第90条)

施設等機関

  • 外務省研修所(政令第93条)

特別の機関

特別の機関として在外公館を設置する(法律第6条)。在外公館は大使館、公使館、総領事館、領事館、政府代表部および日本政府在外事務所の5種類がある(法律第6条第2項・第3項)。実在する在外公館の名称および位置は「在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律」に規定されている。一覧は日本国在外公館の一覧を参照。

Collection James Bond 007

所管法人

外務省が主管する独立行政法人 は、2021年4月1日現在、国際協力機構、国際交流基金の2法人。特殊法人 及び特別の法律により設立される民間法人(特別民間法人)はない。

財政

2021年度(令和3年度)一般会計当初予算における外務省所管予算は6958億7288万9千円。組織別の内訳は外務本省が5485億9341万4千円、在外公館が1472億7947万5千円である。

外務省は、特別会計として、国会、裁判所、会計検査院、内閣、内閣府、復興庁、総務省、法務省、外務省、財務省、文部科学省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、環境省及び防衛省所管の東日本大震災復興特別会計を共管する。

職員

一般職の在職者数は2021年7月1日現在、外務省全体で6,178人(男性 4,189 人、女性1,9892人)である。行政機関職員定員令に定められた外務省の定員は特別職169人を含めて6,423人。外務省は外局を有しないため、他省のように省令の定員に関する規則はない。2021年度一般会計予算における予算定員は特別職176人、一般職6,164人の計6,430人である。特別職のうち、大使が164人、公使が4人となっている。機関別内訳は本省が2,866人、在外公館が3,564人となっている。

外務省の一般職職員の給与に関する法制は、基本的に国家公務員法と一般職給与法から成るが、在外公館に勤務する職員(以下、在外職員)には、特別法として在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律(外務公務員給与法)も適用される。

外務省の一般職の職員は非現業の国家公務員なので、労働基本権のうち争議権と団体協約締結権は国家公務員法により認められていない。団結権は認められており、職員は労働組合として国家公務員法の規定する「職員団体」を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる(国家公務員法第108条の2第3項)。2021年3月31日現在、人事院に登録された職員団体は存在しない。2001年度はおよそ3割の組織率があったが、翌年度に0%となり、現在にいたる。過去にあった労組は外務省職員組合で、連合・全労連いずれにも属さない中立系の組合であった。

常勤職員の採用試験には、国家公務員採用総合職試験および一般職大卒程度試験(技術系)、一般職高卒試験のほか、独自の専門職試験として外務省専門職員採用試験が設けられている(人事院規則8―18第3条)。また、任期付職員として専門調査員、在外公館派遣員(財団法人 国際交流サービス協会が派遣するもの)、現地採用職員などがある。

かつては、旧国家公務員採用I種試験に相当した外務省独自のキャリア採用試験である外務公務員採用I種試験(通称「外交官試験」)があったが、2001年(平成12年)度試験を最後に廃止された。以降は、国家公務員採用I種試験(2011年度の採用試験体系の見直し後は、国家公務員採用総合職試験)の合格者からキャリア職員を採用している。

省内の派閥関係としては、語学研修部門別の「アメリカ・スクール」、「チャイナ・スクール」、「ロシア・スクール」などがあるが、出身学校別としては、国立大学は東大、私立大学は慶大出身者などの他、専門職職員を中心とする東京外大出身者、創価学会員や創価大出身者による派閥「大凰会(凰会)」などが知られている。

以下の資料は、朝日新聞出版が出版する『大学ランキング』各年度による。

幹部

一般職の幹部は以下のとおりである。

外務省出身の著名人

原則、政治家は除く。例外として民間登用大臣など。

  • 青木周蔵 - 外務次官、外務大臣、駐独兼駐英公使。陸奥宗光の下、駐英公使時に調印した日英通商航海条約(陸奥条約)により領事裁判権の撤廃及び関税自主権の部分的回復。曾孫は在ペルー日本大使公邸占拠事件の青木盛久。
  • ヘンリー・デニソン - 外務省顧問。お雇い外国人として採用されて以降、日英同盟やポーツマス条約に至る明治日本の外交交渉実務を事実上担った。
  • 高平小五郎 - 外務次官、駐米公使(日露戦争後に大使に格上げ)。大学南校(開成学校)で同期生にあたる小村寿太郎の下、ポーツマス条約、高平・ルート協定を締結。
  • 珍田捨巳 - 外務次官、侍従長、伯爵。桂太郎の下、桂・タフト協定に立ち会う。
  • 石井菊次郎 - 外務次官、駐仏大使。石井・ランシング協定を締結。
  • 幣原喜重郎 - 外務次官、駐米大使、外務大臣、内閣総理大臣。「幣原外交」を展開し、駐米大使時に全権として石井・ランシング協定、日英同盟を破棄しワシントン体制締結。結果、中国及び満州権益で米国との対立を顕在化させ、容共の侵蝕を許した。また、日本国憲法第9条「戦争放棄条項」の発案者ともされている。
  • 諸井六郎 - 小村寿太郎の下で日英通商航海条約(陸奥条約)改正による関税自主権の完全回復の原案作成。
  • 本多熊太郎 - 太平洋戦争(大東亜戦争)時の駐中国大使、東條内閣の外交顧問。戦後極東国際軍事裁判のA級戦犯となり病没。
  • 松岡洋右 - 外務省では吉田茂の二期上。退官後、衆院議員、満鉄総裁、外務大臣。満州国承認強硬派内田康哉外相の「焦土演説」に押し切られ国際連盟総会でのリットン報告書採択の際、衆院議員で全権主席代表松岡は長岡春一や佐藤尚武らと議場を退席。日独伊三国同盟案では日・独・ソ・伊四か国同盟を主張し、独ソ戦開戦後は北進論を主張。「弐キ参スケ」の一人。
  • 来栖三郎 - 駐独大使として日独伊三国同盟を締結。その後駐米大使として太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前の日米交渉に携わる。
  • 天羽英二 - 外務次官、内閣情報局総裁。「日本単独での東アジア支配」を主張した「天羽声明」が列強の反発を受ける。戦後、極東国際軍事裁判のA級戦犯となり公職追放。
  • 白鳥敏夫 - 外務省情報部長、駐伊大使。日独伊三国同盟を推進した外務省革新派のリーダー。
  • 沢田廉三 - 国連大使。戦後日本の国際連合(国連)加盟に尽力。
  • 河相達夫 - 終戦後の情報局総裁兼外務次官。1937年外務省情報部長時代、米ルーズベルト大統領の「シカゴ演説(隔離演説)」に反駁談話を発表し、また児玉誉士夫を見出した。
  • 須磨弥吉郎 - 南京総領事時に山本五十六海軍次官と内閣情報部を誕生させ、さらにスペイン公使時、欧州を舞台に東機関を設置した日米諜報戦のパイオニア。
  • 蜂谷輝雄 - 自由インド仮政府初代公使、第2次吉田内閣時の吉田茂内閣総理大臣秘書官。
  • 阪本瑞男 - 中立国スイスの公使として第二次世界大戦終戦の工作にあたったが駐独大使大島浩の妨害を受け失敗。そのままスイスで病没。終戦工作は同期の加瀬俊一(後述加瀬俊一 (1925年入省)とは別人)に引き継がれた。  
  • 井口貞夫 - 外務事務次官、駐米大使。真珠湾攻撃での日本政府による対米宣戦布告遅延問題発生時に駐米大使館参事官を務めた。
  • 西村熊雄 - 条約局長、駐仏大使。条約局長時にサンフランシスコ平和条約や旧日米安保条約締結事務にあたる。
  • 杉原千畝 - 駐リトアニア在カウナス日本領事館領事代理、駐ルーマニア公使館三等書記官。カウナス在任時、外務省の命令に反し大量の査証を発給し、ナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人の亡命を助けた。
  • 加瀬俊一 - 日本の国連加盟に尽力し、加盟後の初代国連大使を務めた。退官後内閣総理大臣顧問を務め、佐藤栄作のノーベル平和賞受賞を実現。戦前は情報局第三部長・報道部長を歴任し、終戦時の戦艦ミズーリ上の降伏文書調印随行員。京都産業大学教授。
  • 奥村勝蔵 - 外務事務次官、駐スイス大使。真珠湾攻撃での宣戦布告遅延問題発生時に一等書記官を務めた。戦後ダグラス・マッカーサーと昭和天皇の通訳など。
  • 結城司郎次 - 駐トルコ大使、駐セイロン大使。真珠湾攻撃前夜、日米交渉時の英米への日本側の情報漏洩元としてその名がたびたび挙がる。
  • 下田武三 - 外務事務次官、駐米大使、最高裁判所判事。外交官初の日本野球機構コミッショナーとしてプロ野球に携わる。
  • 牛場信彦 - 外務事務次官、駐米大使。対外経済担当大臣。戦前は枢軸派ないし外務省革新派として鳴らし、終戦後の東京裁判で大島浩の弁護人に加わる。日米繊維交渉大詰め時の駐米大使。
  • 吉野文六 - アメリカ局長、外務審議官、駐西独大使。沖縄返還密約。
  • 山根敏子 - 女性初の外交官。34歳で殉職。
  • 岡崎久彦 - 情報調査局長、駐タイ大使。退官後、評論家。
  • 波多野敬雄 - 国連大使。日本の国際連合安全保障理事会常任理事国への参入を目指す方針を創作した。
  • 三宅和助 - 初代外務報道官、中近東アフリカ局長、駐シンガポール大使。退官後詐欺被害に遭遇し自宅等の財産を損失する。
  • 小和田恆 - 外務事務次官、国連大使。
  • 皇后雅子 - 元経済局国際機関第二課員。小和田恆の長女、旧名:小和田雅子。
  • 松浦晃一郎 - アジア人初のユネスコ事務局長、駐仏大使。
  • 加藤良三 - 外務審議官、駐米大使。退官後日本野球機構コミッショナー。
  • 野上義二 - 外務事務次官、駐英大使。次官時に田中眞紀子外務大臣と対立し、大臣、次官双方が退任した。
  • 孫崎享 - 国際情報局長、駐ウズベキスタン大使。評論家。
  • 竹内行夫 - 外務事務次官、最高裁判事。野上義二の辞任を受け急遽次官就任。次官在任中、瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件、上海総領事館員自殺事件が発覚する。
  • 東郷和彦 - 鈴木宗男事件で丹波實らと共にロシア・スクールが一掃され駐蘭大使を更迭後、退官。京都産業大学教授。東郷茂徳の孫。
  • 岡本行夫 - 北米局北米第一課長で退官後、評論家。内閣総理大臣補佐官などを歴任し在日米軍の普天間基地移設問題などにあたった。
  • 馬渕睦夫 - 駐ウクライナ兼モルドバ大使、防衛大学校教授。評論家。
  • 田中均 - 外務審議官。小泉純一郎首相と北朝鮮の金正日総書記との日朝首脳会談を巡る水面下の交渉に携わった。
  • 天木直人 - 駐レバノン大使。退官後、自著の外務省批判の書籍がベストセラーとなった。
  • 田中信明 - ユネスコ事務次長を経て国連事務次長(軍縮局長)時代、潘基文が同事務総長に就任し辞任。
  • 沼田幹男 - 外務省領事局長、駐ミャンマー大使を経て、交流協会台北事務所長。語学専門職試験採用者では初の外務本省局長にして、拓殖大学出身者としては初の中央省庁本省局長。また、拓大同期出身者には高橋博史駐アフガン大使が、拓大先輩には政治家鈴木宗男がいる。
  • 宮家邦彦 - 内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)で退官後、評論家。
  • 佐藤地 - ユネスコ大使、駐ハンガリー大使。2015年、端島(軍艦島)の世界遺産登録において、韓国により日韓合意が突如反故にされた。岸田文雄外相、杉山晋輔外務審議官及び佐藤は、韓国側が求める徴用工に言及する“強い言葉(「forced labor」)”の趣旨を大幅に盛り込む形で譲歩した。
  • 佐藤優 - 主任分析官。鈴木宗男事件で逮捕後、評論家となる。

関連紛争や諸問題

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 外交官#日本の外交官制度
  • 外交記録公開文書
  • 日本の行政機関
  • キャリア
  • 外国奉行
  • ラヂオプレス
かつての関連業種団体
  • 日本外事協会
  • 日本外交協会
  • 外交時報社

外部リンク

  • 外務省
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  • 国立国会図書館 憲政資料室 外務省文書(Archives in the Japanese Ministry of Foreign Affairs, 1868-1945)

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