日満議定書(にちまんぎていしょ)は、1932年9月15日に大日本帝国と満洲国の間で調印された議定書(条約)である。
全権は、日本側が武藤信義陸軍大将(関東軍司令官)、満洲国側は鄭孝胥国務総理。満洲国首都新京の執政府において、両人が午前9時10分、署名・調印を完了した。
関東軍は前年9月18日に開始した軍事行動により、中華民国東北部の満洲全域を制圧(満州事変)。1932年3月1日に建国させた満洲国に対して、日本政府は、この議定書を以て国家の承認を行なった。議定書では満洲国における日本軍の駐屯(第2条)が明記され、また附属文書(交換公文)において満洲国国防の関東軍・日本軍への委任が取り決められた。
議定書の調印によって、下記の事項が取り決められた。また同時に補足条約ともいえる書簡の交換も行っている。
この議定書で交わされた約定は主に以下の3点である。
過去に交わされた下記の文書について、引き続き行使する事。
1.1932年3月10日に満洲国執政(愛新覚羅溥儀)から送付され、5月10日に関東軍司令官(本庄繁)から回答された書簡の件
2.1932年8月7日に満洲国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、満洲国政府の鉄道、港湾・水路、航空路等の管理並びに二線路の敷設管理に関する協約とそれに基づく附属協定
3.1932年8月7日に満洲国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、航空会社(満洲航空)設立に関する協定
4.1932年9月9日に満洲国国務総理(鄭)と関東軍司令官(武藤)との間で交わされた、国防上必要な鉱業権の設定に関する協定
満洲国執政溥儀は午後2時より午餐会を開き、満洲国側からは鄭や張景恵参議府議長ら35人が、日本側からは武藤や小磯国昭関東軍参謀長ら22人が列席し、武藤の音頭取りにより乾杯し、満洲国の悠久と溥儀の萬歳、両国の親善を祈念した。
日本国内でも各地で慶祝行事が開かれたほか、内田康哉外務大臣がラジオを通じて午後7時25分より、世界に向けて満洲国を承認したことなどを説明した。
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