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木下俊懋


木下俊懋


木下 俊懋(きのした としまさ)は、豊後国日出藩11代藩主。官位は従五位下、主計頭。

経歴

幼名は千勝。初名は俊茂。安永5年(1776年)、俊胤の死により跡を継いで日出藩11代藩主となった。天明2年(1782年)5月に俊懋と改名した。寛政6年(1794年)には日出若宮八幡神社に鳥居を寄進した。

藩政においては藩財政が悪化したり、藩主の早世などが相次いで混乱していた藩政を再建するため、殖産興業政策や塔ノ平池の治水工事、藩校である稽古堂の創設や製紙産業の育成に努めている。文化7年(1810年)3月10日、次男の俊良に家督を譲って隠居し、文政5年(1822年)7月3日に51歳で死去した。法号は謙徳院。墓所は大分県速見郡日出町の松屋寺。

系譜

父母

  • 木下俊胤(父)
  • 於久 ー 木下俊泰の養女、木下利忠の娘

正室

  • 鐵 ー 太田資愛の娘

側室

  • ウメ

子女

  • 木下俊賢(長男)
  • 木下俊良(次男)生母はウメ(側室)
  • 木下俊敦(四男)生母は歌(側室)
  • 吉川経礼正室



Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 木下俊懋 by Wikipedia (Historical)


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