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1963年の国鉄スワローズ


1963年の国鉄スワローズ


1963年の国鉄スワローズ(1963ねんのこくてつスワローズ)では、1963年の国鉄スワローズの動向をまとめる。

この年の国鉄スワローズは、浜崎真二が1年だけ、監督を務めたシーズンである。

概要

前年にサンケイ新聞などを傘下に持つフジサンケイグループと業務提携したことで、資金にゆとりが出来たスワローズは、シーズンオフに巨人から「エンディ」こと宮本敏雄、西鉄から「西鉄黄金時代三羽烏」の一人である豊田泰光をトレードし、打線の強化を計った。こうして始まったシーズンでは期待された打線が活躍したほか、「通算勝利数」で別所毅彦を抜いたエースの金田正一が30勝を上げて5年ぶりの「最多勝投手」を受賞したことでチームは1959年以来の4位へ躍進した。だがオフ中に浜崎監督が突如解任され、元大映エースの林義一が後任になった。これが翌年に起きたチーム内の亀裂に繋がり、金田が移籍することになる。この年は巨人と相性が良く16勝12敗、最下位の広島には18勝10敗とそれぞれ勝ち越したが、2位の中日には8勝18敗2分と苦杯をなめさせられた。このシーズン、東映フライヤーズの本拠地だった神宮球場に隣接する神宮第2球場を建設して移転する意向をしめすが、その後の交渉で神宮球場の使用が認められ、1964年から移転となった。

チーム成績

レギュラーシーズン


オールスターゲーム1963

できごと

  • この年、金田正一投手が別所毅彦の「310勝」を抜いて、「通算勝利数」でトップとなる。
    • 開幕2週目で今シーズン初勝利(297勝)、そして5月8日で別所・ヴィクトル・スタルヒンに続く「300勝」を達成。
    • 6月15日:阪神戦で勝利、タイ記録ににあと1勝と迫った「309勝」。初勝利からここまで13勝1敗のハイピッチ。
    • 6月18日:中日戦、7回に江藤慎一の満塁本塁打などで6点を失い逆転負け。
    • 6月20日:中日戦、金田自ら三塁打を打ってリードするも、またもや江藤慎一に打たれて負け
    • 6月22日:大洋戦、8回2-2になったところで村田元一をリリーフ、その裏国鉄が1点を取ってラッキーな勝利、遂に310勝のタイ記録。
    • 6月23日:大洋戦で6回からリリーフしたが、8回に打たれて負け。
    • 6月27日:中日戦、初回に国鉄が4点追加しリード、ところが新記録目前の9回裏に4点取られて逆転サヨナラ負け。ここまでの4敗は7-9回の終盤にやられたもので、新記録達成に流石の金田も気持ちが高ぶってきた。
    • 6月30日:広島戦、5回に6-4とリードしたところで、渋谷→鈴木とつながれたマウンドへ。7回突風で8分試合が中断するハプニングがあったものの影響はなく、遂に「311勝」の新記録を達成、浜崎真二監督は「娘の難産を見る思い」とコメント。この後は気持ちが収まり7月まで8連勝。なおこの時報道陣から目標を聞かれた金田は、即座に「400勝」と宣言、その400勝は巨人に移籍後の1969年10月10日に中日戦で達成する。

選手・スタッフ

Collection James Bond 007

表彰選手

脚注

注釈

出典


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 1963年の国鉄スワローズ by Wikipedia (Historical)