碧南市(へきなんし)は、愛知県の三河地方(西三河)に位置する市。
碧海郡の南部にあったことが名称の由来である。古くは大浜郷と呼ばれ、海上交通の要衝として栄えた。経済の発展により、大正に入ると三河鉄道(現在の名鉄三河線)が大浜まで開通した。戦後復興が進む1948年(昭和23年)に3町1村が合併し、碧海郡域で初、西三河では岡崎市に次いで市制施行を果たした。現代では名古屋都市圏に属している。
かつては兵庫県の須磨海岸と比せられた砂浜海岸は、高度経済成長期に工業地帯へと変貌し、平成に入り中部電力の碧南火力発電所を誘致することで経済的な発展に成功している。衣浦臨海工業地域の中核都市であり、臨海部には農地・工業用地・港湾がある。
矢作川河口に位置し、碧南市役所の標高は6.9メートルである。西と南は海(衣浦港および三河湾)、東は河川と湖沼(矢作川および油ヶ淵)である。
約7.25万人(2021年現在)
古くは、西は遠浅の海で大きな砂浜(大浜)が広がり、南は権現崎を先端としてとがったような形をしていた。東は海で入り江(東浦)を形成していた。矢作川は現在の流路を取らず、油ヶ淵は最も大きな入り江(北浦)となっていた。『和名抄』の大浜郷はこの地を指すとされる。大浜郷は幡豆郡に属していたが、戦国期以降に碧海郡に入った。 大浜港(大浜湊)は古くから栄え、江戸時代には沼津藩の陣屋も置かれていた。鷲塚も港町であり、江戸時代初期に矢作川が流入するようになると、運ばれてきた砂により浅瀬となり、新田開発によって伏見屋新田および前浜新田が形成された。
廃藩置県以前、大浜村、棚尾村、平七村、鷲塚村は沼津藩(5万石)(江戸開城後は菊間藩に転封)の領地であり、西端村は西端藩(1万石)の領地、前浜新田は天領であった。
2005年度(平成17年度)の財政力指数は1.72であった。
2003年に衣浦東部広域連合が発足し、消防業務を委託している。
医療機関として碧南市民病院を設けている。
家庭ゴミの分別収集では、日本3位の分別(26種類)が行われている都市として知られており、他の自治体からの見学者が多く訪れる。
2005年に開催された愛知万博では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われた。名古屋市を除く愛知県内の市町村が120の万博公式参加国をそれぞれとしてフレンドシップ相手国として迎え入れた。
伝統的な産業として、瓦(三州瓦)、鋳物、醸造(みりん、白醤油)などがある。
市域の約4分の1が田や畑であり、農業はさかんである。主要作物としてニンジン(国の特産地に指定)、タマネギ、サツマイモ、イチジク、観賞用植物などがある。
衣浦臨海工業地域を中心として、工業が発達している。自動車、金属、食品など様々な業種の企業がある。 事業所数(従業員4人以上)は537であり、製造品出荷額は5923億6700万円である。市民所得は、総生産3331億1600万円、家計所得2467億9900万円である(2001年・愛知県調べ)。
名鉄三河線が刈谷市・知立市方面と碧南駅を結んでいる。かつては碧南駅から吉良吉田駅に向けて路線があり、市内に3駅が設置されていたが、2004年に廃止された。また、JTB時刻表による代表駅は碧南駅である。
市が市内を巡回する「くるくるバス」を運行しているほか、西尾市と共同で2004年に廃止された名鉄三河線の碧南〜吉良吉田間にかわって「ふれんどバス」を碧南駅〜吉良高校間で運行している。碧南市民病院には安城市のあんくるバスが乗り入れており、安城更生病院と結ばれている。
また、中部国際空港と西尾駅を結ぶバス(知多乗合が運行)が碧南中央駅前に停車していたが、2009年3月31日で廃止された。
二地区で山車を曳く祭礼がある。共に半田市亀崎の旧車とされ、共に知多型の山車である。
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