奥沢(おくさわ)は、東京都世田谷区の町名。現行行政地名は奥沢一丁目から奥沢八丁目。郵便番号は158-0083。
世田谷区南部の玉川地域に属する。町域は東急大井町線緑が丘駅付近を東端とし、北は九品仏川緑道を境に目黒区自由が丘・緑が丘、南は環八通り・世田谷区東玉川・玉川田園調布・大田区田園調布等に接しながら、九品仏駅と尾山台駅の間で世田谷区等々力と接するところまで広がる。東急目黒線奥沢駅が置かれ、その駅前を南北に自由通りが、西に向かって等々力通りが通る。主に住宅地として利用されている。町内には、奥沢神社、九品仏浄真寺等がある。
田園調布、自由が丘と隣接し高級住宅地として人気が高い。近年は「奥沢」ブランドのスイーツ、カフェ等も定着している。
戦前は参謀本部、海軍大学校、海軍横須賀鎮守府等へのアクセスの良さから海軍高級士官が多く住み、奥沢一丁目・二丁目中心に現在もその子孫が多数居住している。奥沢二丁目に奥澤海軍町記念碑が残されている。
住宅地の地価は、2021年(令和3年)1月1日の公示地価によれば、奥沢5-140の地点で88万6000円/m2となっている。
貞和頃から吉良氏の所領となり、奥沢城が築かれた。江戸時代には荏原郡奥沢村となり、城の跡地には浄真寺が創建された。1622年(寛文2年)西の開墾地が奥沢新田村として分村した。天保頃には奥沢村が奥沢本村、奥沢新田村が奥沢村と称されるようになった。
1876年(明治9年)に両村が合併し、再び両地域を合わせて奥沢村となった。1889年(明治22年)、市町村制施行に伴い周辺町村と合併、玉川村の大字となる。大正期から田園都市株式会社により宅地開発が進められ、1932年(昭和7年)世田谷区成立時に開発地が玉川田園調布として分離し、残りが玉川奥沢町となる。1970年(昭和45年)、住居表示を実施して現在に至る。
地名は呑川の支流九品仏川水源の湿地帯であることを指す。
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。
また、上記のほか二丁目の東側で区境をまたいだ所に緑が丘駅(東急大井町線、目黒区緑が丘)があり、二丁目・五丁目の北側、六丁目・七丁目の東側は自由が丘駅(東急東横線・大井町線、目黒区自由が丘。特急・急行停車駅)に近接している。
いずれも東急バスの路線である。
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