リー・アンドルー・メイ(Lee Andrew May, 1943年3月23日 - 2017年7月29日)は、アメリカ合衆国アラバマ州バーミングハム出身の元プロ野球選手(一塁手)。右投右打。
実弟のカルロス・メイもメジャー・リーグで活躍し、1978年から1981年にかけては日本の南海ホークスでもプレーした。
1961年、シンシナティ・レッズに入団。1965年9月1日にメジャーデビュー。
1968年から11年連続で20本塁打、80打点以上を記録。1969年には38本塁打(リーグ3位)、110打点(リーグ4位)、1970年も34本塁打を放ちチームのリーグ優勝に貢献。ボルチモア・オリオールズとのワールドシリーズでは、18打数7安打、2本塁打、8打点を記録し、シリーズでは打撃不振だったチームのなかで唯一好調を維持した。1971年もレッズの主砲として39本塁打(リーグ3位)を記録。1971年11月には、同地区のヒューストン・アストロズに移籍。メイと同僚の一塁手トミー・ヘルムズ他1名と、アストロズの一塁手デニス・メンキー、二塁手ジョー・モーガン他3名が移籍する大型トレードによるものである。
メイは、アストロズでも主砲として活躍。1973年にはリーグ2位となる105打点を記録する。
1974年12月にボルチモア・オリオールズにトレードにより移籍。このトレード直前の5年間で平均32本塁打、98打点という数字は、当時のMLBでベスト5に入る強打者ぶりであり、オリオールズとしては打線の強化の切り札だったが、その期待通り、メイは打ちまくった。1976年には109打点を記録して、ア・リーグ打点王に輝く。1978年からは、その前年に新人王となったエディ・マレーに一塁のポジションを譲り、以後は指名打者としてチームに貢献。ただし、指名打者となったことで、1979年のワールドシリーズでは、わずか2打席の出場にとどまった。
1980年にFAでカンサスシティ・ロイヤルズに移籍。1982年シーズン終了後に引退。
引退後はロイヤルズで打撃コーチを務めた。 2017年7月29日、肺炎により死去。74歳。
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