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ダスプレトサウルス


ダスプレトサウルス


ダスプレトサウルス(学名: Daspletosaurus、「恐ろしいトカゲ」の意)は、約7,700万から7,400万年前の後期白亜紀に北アメリカ西部に生息した、ティラノサウルス亜科の恐竜の属。ダスプレトサウルス属にはアルバータ州で発見されたタイプ種ダスプレトサウルス・トロススと、後にアルバータ州で発見されたダスプレトサウルス・デグロオトルムダスプレトサウルス・ウィルソニとモンタナ州で発見されたダスプレトサウルス・ホルネリの4種が分類される。ただしダスプレトサウルス・デグロオトルムはタナトテリステス・デグロオトルムと、独立した属である可能性がある。別種であった場合ダスプレトサウルスは3種になる。

ダスプレトサウルスは遥かに大型で後の時代に生息したティラノサウルス科の恐竜ティラノサウルス・レックスと近縁である。大半のティラノサウルス科と同様にダスプレトサウルスは数トンの二足歩行の捕食動物で、大型の鋭い歯を持っていた。ダスプレトサウルスの前肢はティラノサウルス科らしく小型であったが、他の属よりはプロポーションとして大型であった。

頂点捕食者としてダスプレトサウルスは食物連鎖の頂点に位置し、おそらくケラトプス科のセントロサウルスやハドロサウルス科のヒパクロサウルスを捕食していた。一部地域ではダスプレトサウルスは他のティラノサウルス科の属であるゴルゴサウルスと共存しており、2属で生態的地位を区別していた証拠もある。ダスプレトサウルスの化石は他のティラノサウルス科のものよりも珍しいが、社会行動、食性、生活史を含めた生物学的解析は可能となっている。

記載

現代の捕食動物の基準ではダスプレトサウルスは非常に巨大であるが、最大のティラノサウルス科恐竜ではない。成体は全長8 - 9メートルに達した。体重は間を取って推定2.5トンだが、1.8 - 3.8 トンと非常に推定の幅が広い。

ダスプレトサウルスの頭骨は頑強で、頭骨長は1メートルを超えることがあった。骨は重厚な構造で、鼻先の鼻骨をはじめとした骨は強固に癒合していた。頭骨には大きな孔が開いて軽量化に役立っていた。ダスプレトサウルスの成体は72本の歯を持ち、これらの断面はブレード状というよりは楕円形であった。なお、他の歯と違い、上顎の先端に位置する前上顎骨歯の断面はD字型で、ティラノサウルス科に常に見られる異歯性を示していた。上顎骨の外側表面が荒い、涙骨・後眼窩骨・頬骨上の目の周りに突起が発達するといった、ユニークな頭骨の特徴も持つ。眼窩は上下に高い楕円形で、ゴルゴサウルスに見られる円形とティラノサウルスに見られる鍵穴型の中間型である。鋸歯状構造もダスプレトサウルスの歯に確認されている。

ダスプレトサウルスは他のティラノサウルス科の恐竜と体が似通っており、短いS字型の首が巨大な頭骨を支えていた。ダスプレトサウルスは太い脚で二足歩行し、足先の指は4本で、第1趾は地面に届かなかった。対照的に前肢は極端に小さく指は2本だけであったが、体格に対するプロポーションは他のティラノサウルス科よりも大きかった。長く重い尾は頭部と胴部に対するカウンターウェイトとしてはたらき、重心は腰にあった。

本属および他のティラノサウルス科に唇はなかった可能性が高いとする論文が、ダスプレトサウルス・ホルネリの頭骨の研究から発表されている。本種頭骨を現代のワニと比較した結果、大型の平たいウロコの存在を示唆する同じ皺の入った骨の構造が確認された。歯の手触りは荒く、軟組織を保持するスペースもなかったと見られ、ダスプレトサウルスの歯は唇に覆われていなかったと仮説が立てられた。

発見と命名

ダスプレトサウルス・トロススのタイプ標本 CMN 8506 は頭骨・肩・前肢・骨盤・大腿骨・頸椎・胴椎・臀部の椎骨・前方の尾椎7個からなる部分的な骨格である。この標本は1921年にチャールズ・モートラム・スタンバーグがアルバータ州 Steveville 付近で発見し、ゴルゴサウルスの新種であると考えた。1970年にデイル・ラッセルがこの標本を完全に記載し、新属ダスプレトサウルスのタイプ標本とした。属名は古代ギリシャ語で「恐ろしい」という意味の δασπλής(dasplēs、接続の結果 dasplēto~ に変化)と「トカゲ」を意味する σαυρος/sauros に由来する。タイプ種はダスプレトサウルス・トロスス (Daspletosaurus torosus) で、種小名はラテン語で「筋骨たくましい」「屈強な」という意味を持つ。タイプ標本と別にもう一つ著名な標本 RTMP 2001.36.1 があり、これは2001年に発見された比較的完全な骨格である。両標本はアルバータ州のジュディスリバー層群のオールドマン累層から発見された。オールドマン累層は約7700万年前から7600万年前の後期白亜紀中期カンパニアンの頃に堆積した。

またデイル・ラッセルは、さらに新しい時代のアルバータ州ホースシューキャニオン累層から産出した未成熟のアルバートサウルスの標本 CMN 11315 が、ダスプレトサウルス・トロススに属するダスプレトサウルス属の3番目の標本であることを発見した。これにより本属の生息した時代はマーストリヒチアンへ350万年拡大した。彼がこの標本を本属に分類した根拠には、四肢と腰帯の特徴、前肢の鉤爪の湾曲が挙げられ、彼はこれをダスプレトサウルスの特徴を満たすと解釈した。この再分類は広く受け入れられてはおらず、この標本は再調査の結果、当初分類されていた Albertosaurus sarcophagus へ分類し直すことが支持された。ただし、ティラノサウルス科を同定する標徴的な骨格の特徴は欠けている。ホースシューキャニオン累層でエドモントサウルスが多くを占めるボーンベッドから上顎骨と様々な歯が産出しており、これも誤ってダスプレトサウルスのものとされたが、全てアルバートサウルスのものであることが確かめられた。

分類された種

2,3種のさらなる種がダスプレトサウルス属に分類されてきたが、2007年現在、これらの種はいずれも適切な記載や命名を受けていない。その間これらは Daspletosaurus spp. に指定されているが、全てが同種であるという意味ではない。

ホロタイプ標本と共に、ラッセルはバーナム・ブラウンが1913年に収集した標本をダスプレトサウルス・トロススのパラタイプ標本に指定した。この標本 AMNH 5438 は後肢・骨盤・それに繋がっていた複数の椎骨からなり、アルバータ州ダイナソーパーク累層で発見された。かつてダイナソーパーク累層は約7650万年前から7480万年前の中期カンパニアンまで遡る上部オールドマン累層として知られていた。ダスプレトサウルスの化石は特にこの層の中部から上部から知られており、時代は7560万年前から7500万年前にあたる。1914年にブラウンはほぼ完全な骨格と頭骨を収集し、その40年後にアメリカ自然史博物館がシカゴのフィールド自然史博物館へこの標本を売った。シカゴでの展示のために標本が組み立てられ、長年 Albertosaurus libratus と名前が付けられていたが、大半の歯など頭骨の特徴に石膏で形作られたものがあると判明し、1999年にトーマス・カールがこの標本 FMNH PR308 をダスプレトサウルス・トロススに再分類した。それ以来、合計8つの標本が主に州立恐竜公園に位置するダイナソーパーク累層から収集された。フィリップ・カリーは、恐竜公園の標本は頭蓋骨の確かな特徴からダスプレトサウルスのものであると考えている。この新種のスケッチは公開されたが、命名と完全な記載は2003年時点ではなされなかった。

新たなティラノサウス科標本 OMNH 10131 は頭骨断片・肋骨・後肢の一部からなり、これは1990年にニューメキシコ州から報告されてアウブリソドンに割り当てられた。後の数多くの研究者がこの標本を他のニューメキシコ州産のものと共に再分類し、ダスプレトサウルスの未命名の種とした。しかし2010年に研究者は、カートランド累層のハンターウォッシュ部層から産出した本種がより原始的なティラノサウルス上科であることを示し、ビスタヒエヴェルソル属に分類した。現在カートランド累層の地質時代には議論が起こっており、後期カンパニアンとする研究者と前期マーストリヒチアンと主張する研究者がいる。

1992年にジャック・ホーナーらは上部カンパニアンのモンタナ州ツーメディスン累層からティラノサウルス科を報告し、これはダスプレトサウルスと後のティラノサウルスの間で移り変わりつつある種と解釈された。Currie (2003) では、ホーナーらの言及したツーメディスン累層のティラノサウルス科がダスプレトサウルスの未命名の種である可能性が提唱された。別の部分的骨格が上部ツーメディスン累層から2001年に報告され、この標本の腹腔にはハドロサウルス科の幼体の遺骸が保存されていた。この標本はダスプレトサウルスに割り当てられたが、種レベルでの分類はされていない。また、少なくとも3体以上のダスプレトサウルスの標本がツーメディスン累層のボーンベッドで発見され、2005年にカリーらが記載した。ホーナーらが1992年に言及した当時未命名の種をこの化石が代表すると彼らは主張したが、種を断定する前に更なる研究とダスプレトサウルスの記載が必要であると注意した。2017年にツーメディスン累層の分類群は新種ダスプレトサウルス・ホルネリと命名された。

上部ジュディスリバー累層の乖離したティラノサウルス科の歯はゴルゴサウルスの歯のようでもある一方、ダスプレトサウルス・トロススの可能性も高い。しかし、約7800万年前にあたる下部ジュディスリバー累層には、未記載の新たなティラノサウルス科の証拠が産出している。Triebold Paleontology 有限会社のコレクションの標本のうち、2002年から2004年の発掘調査で収集されたものには、サー・ウィリアムという名で知られる標本がある。この標本はダスプレトサウルスの特徴を示し、本属の初期の新種であることが示唆されている。しかし、この標本にはテラトフォネウスのような初期ティラノサウルス亜科の特徴も数多く見られるほか、後のティラノサウルスのような特徴さえ見られ、完全な新属である可能性も示唆されている。

分類と系統

ダスプレトサウルスはタルボサウルスやティラノサウルス、アリオラムスなどと共にティラノサウルス科ティラノサウルス亜科に属する。ティラノサウルス亜科の動物はアルバートサウルスよりもティラノサウルスに近縁であり、頑強な体つきとプロポーションの大きな頭骨、アルバートサウルスよりも長い頭骨の孔で知られる。ただし、ここではアリオラムスは例外である。

ダスプレトサウルスは通例ティラノサウルス・レックスに近縁であると考えられ、向上進化を遂げたその直系の祖先とさえ考えられている。グレゴリー・ポールはダスプレトサウルス・トロススをティラノサウルス属に再分類して新種ティラノサウルス・トロススを設立したが、これは一般に受け入れられていない。数多くの研究者はタルボサウルスとティラノサウルスが姉妹群あるいは同属と考えており、ダスプレトサウルスはさらに基盤的な親戚ということになる。一方で、ダスプレトサウルスは北アメリカのティラノサウルスよりもタルボサウルスやアリオラムスといったアジアのティラノサウルス科に近縁であると、フィリップ・J・カリーらは提唱した。ダスプレトサウルスの系統は全ての種が記載されてはじめて明確になるのかもしれない。

以下はローウェンらが2013年に行った系統解析に基づくクラドグラム 。

2020年にはカナダの中部カンパニアン階からタナトテリステスが報告された。タナトテリステスは5つの固有派生形質に基づいてダスプレトサウルスの姉妹群とされ、両属を合わせて新たな分類群であるダスプレトサウルス族(Daspletosaurini)がティラノサウルス科内に新設されることになった。これによりティラノサウルス科はさらに多くの系統に枝分かれしていたことが明らかになった。ただし、Yun (2020) による亜成体のダスプレトサウルス・トロススの前頭骨の解析では、ティラノサウルス科の前頭骨の固有派生形質に不備が指摘され、タナトテリステスはダスプレトサウルスの種として扱われている。

以下のクラドグラムは、2020年にヴォリスらによって実行された系統解析の結果を示している。タナトテリステスが別種であった場合の系統。

古生物学

感覚

ダスプレトサウルス・ホルネリが外皮に感覚器官を持っていた兆しがあり、おそらくは接触、顎の動きの正確な調節、温度、獲物の探知に用いられていた。大きな平たいウロコ6は獲物を捕らえる際や種内競争において鼻先を保護していた可能性がある。

ゴルゴサウルスとの共存

北アメリカの後期カンパニアンにおいて、ダスプレトサウルスはアルバートサウルス亜科のティラノサウルス科恐竜ゴルゴサウルスと同時期に生息していた。これは2属のティラノサウルス科が共存していた数少ない例の一つである。現代の捕食動物の群集では、同様の体格をした捕食者は解剖学的・行動的・地理的差異により競争を制限され別々の生態的地位に分かれる。ダスプレトサウルスとゴルゴサウルスの生態的地位の違いを説明しようとする研究は複数行われている。

軽量な体格で個体数も多いゴルゴサウルスが数の多い当時のハドロサウルス科を捕食し、頑強で個体数も少ないダスプレトサウルスが個体数も多くなく狩りづらい武装した角竜を選択的に襲っていたと、デイル・ラッセルは仮説を立てた。しかし、ツーメディスン累層から産出したダスプレトサウルスの標本 OTM 200 は腸の領域に消化された幼体のハドロサウルス科の遺骸が残っている。ダスプレトサウルスとゴルゴサウルスは歯の強度こそ近いものの、ダスプレトサウルスのようなティラノサウルス亜科は高く広い鼻口部を持ち、これはゴルゴサウルスのようなアルバートサウルス亜科の上下に低い鼻先よりも頑丈であった。このことから、摂食時の力学的挙動や食性が異なったことが示唆されている。

地理的隔離により競争が制限されていたと提唱する研究者もいる。他のグループの恐竜と異なり、海からの距離との相関はなかったようである。また、両者には標高差による棲み分けはなかった。しかし、ある程度の重複はあったとはいえ、ゴルゴサウルスの化石はダイナソーパークといった北部の層で一般的であり、ダスプレトサウルスの種の化石は南方で豊富であった。このパターンは他の恐竜でも見ることができる。カスモサウルス亜科のケラトプス科やサウロロフス亜科のハドロサウルス科も、モンタナ州のツーメディスン累層などカンパニアンの北アメリカ南部で一般的であった。セントロサウルス亜科とランベオサウルス亜科は北方の緯度で支配的である。このティラノサウルス亜科、カスモサウルス亜科、サウロロフス亜科の間の生態的パフォーマンスの共通性がこの分布パターンに示されているとホルツは提唱した。マーストリヒチアンの終わりにはティラノサウルス・レックスのようなティラノサウルス亜科、エドモントサウルスやクリトサウルスといったサウロロフス亜科、トリケラトプスやトロサウルスなどのカスモサウルス亜科が北アメリカ西部へ拡散した。その一方でアルバートサウルス亜科とセントロサウルス亜科は絶滅し、ヒパクロサウルスなど少数の種からなるランベオサウルス亜科は希少であった。

社会的行動

ダイナソーパーク累層の若いダスプレトサウルスの標本 TMP 94.143.1 には、顔に別のティラノサウルス科につけられた噛み跡があった。噛み跡は治癒しており、この個体が噛まれた後も生き延びたことが示唆されている。完全に成長しきったダイナソーパーク累層のダスプレトサウルス TMP 85.62.1 もまたティラノサウルス科の噛み跡を示しており、顔への攻撃は若い個体に限った話ではないことが分かる。噛み跡は他の種によるものである可能性もあり、同種の顔を噛む攻撃は捕食動物には非常にありふれている。顔の噛み跡はゴルゴサウルスやティラノサウルスといった他のティラノサウルス科にも見られ、シンラプトルやサウロルニトレステスのような獣脚類の属にも確認されている。ダレン・タンケとフィリップ・カリーは、噛み跡が縄張りや資源あるいは社会集団の支配を巡る種内競争に起因すると仮説を立てた。

ダスプレトサウルスが社会集団の中で生活した証拠は、モンタナ州ツーメディスン累層のボーンベッドの発見に由来する。ボーンベッドには3頭のダスプレトサウルスの化石が保存されており、それぞれ成体と幼体、および中間体型の個体である。少なくとも5頭のハドロサウルス科が同じ産地に保存されている。地理的証拠から、死骸が河川に運搬されて集まったわけではないが、同じ場所に同時に埋没したことが示されている。ハドロサウルス科の化石は飛散していて、さらにティラノサウルス科の歯型も付いており、死亡したときにダスプレトサウルスが死骸を漁っていたことが示唆されている。死因は不明である。確証を以て主張は出来ないが、カリーはダスプレトサウルスは群れで狩りをしていたと推論している。ダスプレトサウルスや大型獣脚類の社会集団の証拠に懐疑的な研究者もいる。

ブライアン・ローチとダニエル・ブリンクマンは、ダスプレトサウルスの社会的相互作用は現代のコモドオオトカゲに似ていると提案した。コモドオオトカゲは協力的ではなく、死体漁りの過程で頻繁に他個体を攻撃し、互いに共食いに発展することさえある。ダスプレトサウルスが共食いをしていた証拠は2015年に発表された。

生活史

古生物学者グレゴリー・M・エリクソンらはティラノサウルス科の成長と生活史を研究した。骨の組織学解析により死亡時の年齢を断定でき、成長曲線は様々な個体の年齢と体サイズを対応させてグラフにプロットすることで作成される。エリクソンは、ティラノサウルス科が長く幼体の時期を過ごした後に生涯半ばの約4年間で急性を遂げたことを示した。急成長期が性成熟により終わりを迎えると、成体における成長は大きく減速する。エリクソンはダイナソーパーク累層産のダスプレトサウルスだけを調べたが、これらの標本は同じパターンを示した。アルバートサウルス亜科と比べて成体の体重が重いため、急成長期におけるダスプレトサウルスの成長率も高く示された。ダスプレトサウルスの最大成長率は年間180キログラムで、これは成体の体重を1.8トンとした推定に基づく。ダスプレトサウルスの体重はもっと重いと提唱する研究者もおり、これは成長率には影響するが、全体的なパターンを左右することはない。

各年齢の標本の数を集計することで、エリクソンらはアルバートサウルスの集団の生活史に結論を導くことができた。彼らの解析により、幼体の化石記録が少ない一方で、急成長期の亜成体と成体はより普遍的であることが示された。この違いは収集バイアスや保存バイアスに起因する可能性もあるが、ゾウのような大型哺乳類にも見られる、ある一定の年齢を超えると死亡率が低下する現象こそが原因ではないかとエリクソンは仮説を立てた。死亡率が低い原因はティラノサウルス科が2歳までに同時代の全ての捕食動物を上回る大きさまで成長したためである。同様の解析に足るほどのダスプレトサウルスの化石はまだ発見されていないが、同じ一般的な傾向が当てはまるらしいとエリクソンは綴った。

2009年の研究では、ダスプレトサウルスの様々な標本の顎にトリコモナス症に似た病変が起きていることが発見された。

古生態学

知られている全てのダスプレトサウルスの化石は、7700万年前から7400万年前の後期白亜紀カンパニアンの中期から後期にかけての層で発見されている。白亜紀の中頃から、北アメリカは西部内陸海路により半分に分断され、モンタナ州とアルバータ州の大部分は海の底になった。しかし、ダスプレトサウルスの生息時期の間に始まった西部でのララミー変動によりロッキー山脈が隆起すると、海路は南方と東方へ後退した。河川は山脈から海路へ流れ、運搬された堆積物はツーメディスン累層とジュディスリバー層群、および他の堆積層を一帯に形成した。約7300万年前には海路は再び北方と西方へ発達し、アメリカとカナダの西部全域がベアパウ海に覆われ、後に巨大なベアパウ頁岩に代表されることとなった。

ダスプレトサウルスは内陸海路の西岸に沿った広大な氾濫原に生息していた。大河が陸を潤し、時折洪水が起きて新たな堆積物が一帯を覆った。水が豊富な時には膨大な植物と動物が維持されていたが、周期的な干ばつがこの地域を襲って大量死を起こし、ツーメディスン累層やジュディスリバー累層の堆積物に見られる数多くのボーンベッドが形成された。このうちにはダスプレトサウルスのボーンベッドも含まれる。同乗の状況は現代の東アフリカで見られる。西からの火山噴火は周期的に火山灰で地域を覆い、これもまた大規模な大量死を起こし、同時に将来植物が成長するための土壌を豊かにした。これらの火山灰層は放射年代測定も可能にしている。海面の変動により、ジュディスリバー層群には沖合や沿岸の生息域、沿岸湿地、三角州、ラグーン、内陸の氾濫原など様々な環境が時代や場所を変えて現れることとなった。ツーメディスン累層は他の2つの層よりも内陸の高地で堆積した。

ツーメディスン累層とジュディスリバー累層の脊椎動物化石は、無数の動物の生活の結び付き、周期的な自然災害や大量の堆積物によりもたらされた。淡水や汽水には多くの魚類に代表され、サメやエイ、チョウザメ、ガーなどが発見されている。ジュディスリバー層群には多くの水棲両生類や爬虫類の化石が保存されており、カエルやサンショウウオ、カメ、チャンプソサウルス、ワニが産出している。陸上のトカゲではテユー科、トカゲ科、オオトカゲ科、アシナシトカゲ科が発見されている。ジュディス川をなす様々な層でダスプレトサウルスや他の恐竜と多様な哺乳類が共存し、アズダルコ科の翼竜やアパトルニスやアヴィサウルスといった鳥類が頭上を飛んでいた。

ジュディスリバー累層と地質学的には同水準であるオールドマン累層で、ダスプレトサウルス・トロススはハドロサウルス科のブラキロフォサウルス、角竜のコロノサウルスやアルバータケラトプス、パキケファロサウルス科、オルニトミムス科、テリジノサウルス科、そしておそらくアンキロサウルス科を捕食していた。他の捕食動物にはトロオドン科、オヴィラプトロサウルス類、ドロマエオサウルス科のサウロルニトレステスがおり、おそらく未知の属のアルバートサウルス亜科も生息していた。より新しい時代のダイナソーパーク累層とツーメディスン累層はオールドマン累層と同様の動物相を持ち、特にダイナソーパーク累層は他に類を見ないほどの恐竜が保存されている。アルバートサウルス亜科のゴルゴサウルスはダイナソーパークと上部ツーメディスンで未命名のダスプレトサウルスの種と共存していた。若いティラノサウルス科は成体と体重が2桁も違う小型獣脚類との中間のニッチを占めていた可能性がある。サウロルニトレステスの歯骨がダイナソーパーク累層から発見されており、おそらくダスプレトサウルスと思われる若いティラノサウルス科による歯型が残っていた。

出典


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ダスプレトサウルス by Wikipedia (Historical)


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