吉田 源十郎(よしだ げんじゅうろう、1896年3月20日 - 1958年4月4日)は、高知県出身の日本の漆芸家。
1896年(明治29年)3月20日、高知県安芸町(現安芸市)に生まれる。石井吉次郎(別名、石井士口)に師事し漆芸を学んだ。1919年(大正8年)東京美術学校(現東京芸術大学)漆工科選科修了。
1921年(大正10年)東京の上野で開催された平和博覧会に作品を出品、これが注目を集めた。
以後、1928年(昭和3年)、第9回帝展(現日展)で「麦の棚」が初入選、1930年(昭和5年)第11回展「泉の衝立」および1933年(昭和8年)第14回展「トマトの図棚」が特選受賞、1937年(昭和12年)第1回文展(現日展)および1942年(昭和17年)第5回、1943年(昭和18年)第6回で文展審査員を務め、昭和17年度第6回文展出品作品である「梅蒔絵飾棚」は第2回帝国芸術院賞(現日本芸術院賞)を受賞している。
この間、1937年(昭和12年)には造幣局嘱託も務めていた。
戦後は1946年(昭和21年)に日本漆工会、日本漆文化協会、国産漆奨励会の三団体統合団体となった日本漆工芸会を主宰、自ら会長を務め漆工芸発展に尽力した。1948年(昭和23年)より金沢美術工芸短期大学(現金沢美術工芸大学)教授に就任、また日展の第7回、第12回審査員および参事も務めた。
1955年(昭和30年)第11回日展出品作「花の棚」はソビエト連邦国立美術館(現国立ロシア美術館)所蔵となっている。
1958年4月4日、胃潰瘍により東京都世田谷区の自宅で死去、享年62。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou