経済財政諮問会議(けいざいざいせいしもんかいぎ、英語: Council on Economic and Fiscal Policy)は、日本の内閣府に設置されている「重要政策に関する会議」の一つである。設置根拠は内閣府設置法第18条。内閣総理大臣の諮問を受けて、経済財政政策に関する重要事項について調査審議する。橋本行革による2001年1月の中央省庁再編によって設置された。モデルは米国の経済諮問委員会。
本会議においては最終的に経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)がとりまとめられ、予算方針に反映される。
会議は議長と10人以内の議員から成る。議長には内閣総理大臣が充てられ、議員としては内閣官房長官、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)が法によって定められている。それ以外に、以下が議員となることが慣例化している。
また、民間有識者数を議員の4割以上確保することが法により定められている。民間議員としては、これまでは財界から2名、学界から2名が選ばれている。民間議員の任期は2年間で、再任が可能。
これ以外に、会議には議案を絞って国務大臣を臨時議員として参加させることができる。また、必要に応じて審議会その他の関係行政機関の長や有識者に資料の提出、意見の開陳、説明などを求めることができる。政府税制調査会会長や、財政制度等審議会会長、規制改革・民間解放推進会議議長などの出席実績がある。
内閣総理大臣を議長とする。内閣総理大臣が外遊その他で出席できないときは、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)が議長代理を務める。ただし、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)が置かれていないときは内閣官房長官が議長代理を務める。
<下表の主な出典: >
橋本行革による中央省庁再編の一環として内閣府が発足。内閣府設置法を根拠として首相権限の強化が図られた。組織管理で重要な金と人事のうち、金(=予算)を官邸で握るため、「財政」を付け加え、財政の基本的な枠組みや予算の基本方針を官邸で決定できるようにした。
経済財政諮問会議は、従来の大蔵省主計局を主とした予算編成過程を、官邸主導型に転換する働きをしてきた。特に小泉純一郎首相は経済財政諮問会議を最も重要な政策会議と位置づけ、「骨太の方針」を打ち出すことによって与野党の“抵抗勢力”を退け、官邸主導の予算編成に活用した。
従来の予算編成は、8月に大蔵省が各省庁の概算要求を受けて査定し、年末に政府案として国会に提出された。政府案策定までの間に、各省と大蔵省、与党(自民党)幹部と大蔵省幹部などの折衝があり、実質的な調整が済んだ段階で政府案として提出された予算案は、大筋ではそのまま国会で可決され執行されることが多かった。この過程では、実質的な調整を担う大蔵省主計局と与党(自民党)政務調査会が、予算案策定に強い影響力を及ぼした。
小泉内閣以降の予算編成では、8月の概算要求に先立って経済財政諮問会議が経済成長率などのデータを検討したうえで「骨太の方針」を閣議決定し、予算の全体像をまず明らかにした。「骨太の方針」を踏まえて財務省が各府省の概算要求を査定する流れとなった。従来のような復活折衝は行われず、閣議決定が先行しているため与党幹部の影響力も限定的となり、予算編成への官邸の影響力が強まった。
2009年9月に誕生した鳩山由紀夫内閣は国家戦略室を設置し、経済財政諮問会議は開催されなくなり、事実上活動を停止した。
2010年2月、鳩山内閣は政治主導確立法案を国会に提出し、前述の国家戦略室を国家戦略局に改編した上で内閣府の経済財政諮問会議を廃止する方針を打ち出した。しかし、野党(特に自民党)の反発をうけ、2011年5月12日に第177回国会において撤回が承諾され、廃案となった。
経済財政諮問会議は2012年12月に誕生した第2次安倍内閣で復活することとなった。日本経済再生本部・産業競争力会議とともにアベノミクスの展開に係る金融・財政等重要政策について内外への意思表明が行われる場として活用された。
第一回は2013年1月9日に行われた。
岸田内閣の看板政策である新しい資本主義が本諮問会議によってオーソライズされることにより、経済財政運営の指針としての「骨太方針」と成長戦略としての「新しい資本主義実行計画」は車の両輪の関係にあり、効率的に双方の意思疎通を図る場として経済財政諮問会議・新しい資本主義実現会議合同会議が開催された。
女性初の民間議員が任命された。
内閣府設置法19条の法文中にある「経済全般の運営の基本方針」、「財政運営の基本」、「予算編成の基本方針」は中央省庁等改革基本法第6条の「国政に関する基本方針」に該当するため、最終的な企画・立案権は諮問会議が置かれている内閣府ではなく、内閣官房にあるとされるが、諮問会議は経済全般、財政、予算編成などの調査審議の場とされている。
内閣府設置法19条の法文中の事項以外に想定されていたものとしては、政府経済見通し、経済対策、中長期の経済展望、経済計画、公共投資基本計画、サミット対処方針(経済部分)、OECD閣僚理事会、ODA大綱、ODA中期政策などがあった。何れも前身の経済企画庁が扱っていたが、実際に諮問会議で議論されているのは、前3者くらいだという。
経済財政諮問会議が設置された当時の第2次森改造内閣では、期間が短かったこともあって目立った成果をあげなかった。しかし、森内閣を引き継いで発足した小泉内閣では自民党内や官庁の反対派を抵抗勢力として退け、官邸主導の政治を行う上で重要な役割を果たした。
小泉内閣の下での経済財政諮問会議の成果としては、予算編成過程の改革、金融システム改革、郵政民営化、三位一体の改革、政策金融改革、規制改革、税制改革、経済成長戦略、歳出・歳入一体改革などが挙げられる。
一方で民間メンバーの内2人は日本経団連幹部であり、経団連の利害が強く反映されているのではないかという批判がある。
第21回参議院議員通常選挙のマニフェストで同会議の見直しを掲げていた国民新党は2008年1月、“経済財政諮問会議は格差拡大を助長しており、小泉内閣の遺物である”として、民主党や社民党などと共に同会議の廃止法案を共同提出する事を決めた。
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