岡村島(おかむらじま)は、瀬戸内海の中部にある関前諸島の島。行政的には愛媛県今治市に属している。
ミカンなどの果樹栽培と漁業が盛ん。本州の広島県呉市と安芸灘とびしま海道(陸路)でつながっており、その終端である。2021年(令和3年)11月の時点の人口は約280人で過疎化が進んでいる。2012年(平成24年)4月時点では409人、240世帯だった。
今治港の北西約17キロメートルの位置にあり、大下島、小大下島ととも関前諸島を形成している。東に小大下島、西に大崎下島(広島県)がある。大崎下島との間の御手洗瀬戸に中ノ島、小島がある。集落は島の南東部でフェリーの寄航する岡村港のある岡村に集積し、今治市関前支所(旧村役場)もこの集落にある。
山は、甲ノ峰が最高峰で、クロツバメシジミの生息地が存在することで知られる。
岡村島は、日本本土(北海道、本州、四国、九州、沖縄本島)と橋で繋がっている島の中では熊本県の樋島・下須島・通詞島(ともに7橋)と並んで一番橋を渡る回数が多い。さらに、所属する市町村役場までの通過架橋を比較すると17橋という桁違いの橋数を誇る。
このほか、北接する広島県の離島大崎上島への架橋(安芸灘諸島連絡架橋8号橋)、大下島などを経由してしまなみ海道沿線の大三島に架橋する構想(関前諸島架橋構想)がある。
古くから斎灘の海上交通の要衝にあたり、平安時代から空海や菅原道真らが立ち寄ったいわれがある。戦国時代には村上水軍の城砦が築かれた。江戸時代中期には隣島の大崎下島の御手洗港などとともに潮待ち港として栄え、1740年(天文5年)には島南端の観音崎に灯明台が築かれた。
江戸時代に宮浦村と里浦村とが合併して岡村となり、松山藩に属していた。天保9年に隣島の小大下島を二分してその一部を岡村と合する。1890年(明治23年)に岡村島と大下村の合併により越智郡関前村となる。明治時代中頃から柑橘類の栽培が始まり、大正時代にはみかんの島として知られるようになった。村役場がこの島に置かれるなど、関前諸島の中心として機能してきた。昭和の大合併は離島という特性のため、経験しなかった。
農業ではレモンを含めた柑橘類が栽培されている。2017年に来島した地域おこし協力隊員が、「しま味噌」を復活させた。漁業も営まれている。
安芸灘とびしま海道の終点に位置する。
フェリー 「第二せきぜん」が今治-岡村間を1日4往復(内3往復は小大下島・大下島に寄港)、旅客船 「とびしま」が今治港-宗方港-岡村港間を1日4往復する。2012年10月より宗方・木江とのフェリー航路が就航(宗方-岡村間は5往復)。
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