徳島県(とくしまけん)は、日本の四国地方に位置する県。県庁所在地は徳島市。
四国の東部に位置する。県北部は粟が多く収穫されたことから「粟国」(あわのくに)、県南部は「長国」(ながのくに)であったが、後に統合され、令制国では阿波国(あわのくに)と呼ばれていた。古代より撫養港が南海道における四国の玄関口を担い、昭和頃には共同汽船などの運航でヒトやモノの往来が活発に行われていた。現在でも大鳴門橋(神戸淡路鳴門自動車道)や南海フェリー(徳島港 - 和歌山港)で近畿地方と結ばれており、経済や方言(阿波弁)の面で近畿地方の影響が顕著である。
吉野川や那賀川、四国山地、讃岐山脈、紀伊水道をはじめとする自然が多く残っており、鳴門の渦潮や祖谷渓、大歩危・小歩危、阿波土柱などの観光資源や、江戸時代より約400年の伝統がある阿波踊りなどの文化を有する。産業では農作物(すだち、にんじん、鳴門金時など)と畜産(阿波牛、阿波ポーク、阿波尾鶏)、化学工業が盛んである。
県北部を横断する吉野川は、四国山地と讃岐山脈の間を縫うように流れ、紀伊水道に流れ注ぐ。また、吉野川に沿うようにして徳島平野を形成している。吉野川の流れるラインは、中央構造線とほぼ一致している。県西や県南西は険しい山々が連なる。
豊かな自然と先進的な技術に支えられる一方で、少子高齢化や若者の都市部への流出に伴う著しい人口減少や、近い将来起こると予測される南海トラフ巨大地震などの課題も抱える。県の人口は2000年以降想定を上回る急激なペースで減少しており、2023年4月に70万人を下回った。また、明石海峡大橋の開通後は買い物客の神戸・大阪への流出も激しく、2020年に徳島市にあった徳島そごうが閉店したことで、山形県とともに一時的に県内に百貨店が存在しない県となった(その後跡地には徳島三越が出店)。なお、徳島市中央市街地郊外にゆめタウン徳島(藍住町)やイオンモール徳島(徳島市南末広町)が進出し、ドーナツ化現象が顕著に見られている。
北部の徳島平野と県南部阿南市のある那賀川平野を除いては全体的に山地の多い地形で、特に徳島平野以南に峙える四国山地は西日本でも有数の険しい山岳地帯となっており、県総面積の約75%を森林が占めている。この山々は昔から現在に至るまで四国内の物流や交流の大きな障害となって来た。その一方で、山間部からは吉野川、勝浦川、那賀川など、水量の豊富な河川が多数流れ出しており、豊かな水資源をもたらしてくれている。河川が少なく水不足に陥りやすい隣の香川県とは対照的であるが、逆に治水に長年悩まされている。また那賀川下流域ではほぼ毎夏、工業用水などの渇水が深刻化している。なお徳島県内で最長の河川は吉野川(徳島県側延長109km※)ではなく那賀川(延長125km)である(※総延長194kmから高知県側85km を引き算出)。
国土地理院地理情報 によると徳島県の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは107.37 km、南北の長さは79.03kmである。
一般的にどの地域も温暖で、夏季と秋季は多雨となり冬季の降水量や降雪量は少ない。概ね徳島平野以北は瀬戸内海式気候、四国山地以南は太平洋側気候に属する。
徳島平野に当たる地域は典型的な海洋性気候で、年中温暖で放射冷却が起きにくく氷点下まで下がることは稀である。日照時間が全国でも指折りの多い地域である。徳島市や吉野川市のある吉野川以南の地域は瀬戸内海式気候に属するが、梅雨、秋雨、台風やそれに伴う太平洋からの湿った気流の影響を夏から秋に受けやすいため、一般的な瀬戸内海式気候とはやや異なる。鳴門市や阿波市付近の吉野川以北に当たる地域は典型的な瀬戸内海式気候となっており、温暖少雨である。山間部(勝浦郡付近)は県南部の気候に近く朝晩は冷え込み、平野部に比べると降水量も多く、南海型太平洋側気候に属する。
全域が内陸性の気候で、朝晩は放射冷却が起きやすく日較差も大きい。冬は季節風の風上側となることや南岸低気圧の影響で雪も県北東部に比べると降雪・積雪しやすく、山間部では路面凍結も多い。徳島平野に当たる平野部は典型的な瀬戸内海式気候で隣の香川県や愛媛県の気候に近い。四国山地である山間部(祖谷地方など)では太平洋側気候に当たり、降水量が多く県南部や高知県の気候に近い。
全域が典型的な南海型太平洋側気候であり、沿岸部は年中温暖で日照時間も多い地域であるが、山がちである為に県北東部に比べて日較差が大きい。また、四国山地に当たる山間部は台風や梅雨、秋雨の季節には記録的な降水量になることが多いなど、日本で最も降水量が多い地域の一つである。高知県と和歌山県に距離が近いため「台風銀座」の一角に位置し、この地域を通過した台風は紀伊水道から大阪湾に向かうことが多いため、近畿地方に被害を与えることが多い。
以下の8市8郡15町1村がある。徳島県の構成町村は、町はすべて「ちょう」、村は「そん」と読む。かつて現在の美馬市に存在した脇町は、唯一の例外として、「まち」と読んでいた。
県庁所在地かつ県内で人口最多の徳島市は将来的な中核市移行の構想を有しているものの、2022年時点では徳島県は全国で唯一政令指定都市・中核市・特例市・保健所政令市・計量特定市のいずれも持たない都道府県となっている。
地域としては東部と南部、西部に分かれる。愛媛県における東予・中予・南予、香川県における東讃・中讃・西讃のような地域の呼称は一般的ではなく、「東部」・「南部」・「西部」と呼ぶ。中央地区を除いて人口密集地の東部のみを「東部」と呼ぶこともある。名西郡以西を「西部」と呼ぶこともある。
北部は香川県との繋がりがあるが、県都・徳島市から西へ離れるにつれて徳島県の影響力が弱まり、相対的に香川県の影響力が強まる傾向にある。県内地域間の人口移動は東部への移動が大半で西部や南部への人口移動は少なく、西部・南部間の移動は皆無に近い状況である。
徳島県の出先機関である南部総合県民局と西部総合県民局についても関連を示した。
県内では京阪神との繋がりが最も深い地域であり、近畿圏の一部として扱われる場合もある。その一方で四国他県や中国地方との繋がりは浅く、言葉や方言なども含め、ほぼ完全な近畿志向の地域となっている。政経両面において、近畿の一員として扱われることも珍しくない。大阪市の民放各局(読売テレビを除く)のニュース番組では正確を期するため、「近畿と徳島」という表現がなされている。
2市を中央地区とする区分もある。ほぼ完全に徳島都市圏に組み込まれている。
沿岸部の他、内陸部でも在阪民放のテレビが視聴できるため、関西志向が強い。その一方で県内では道路整備が比較的遅れている地域である。
総面積の約33%を占める。県の北東部とは異なり、近畿地方に加えて香川県・愛媛県をはじめとする四国他県や中国地方(特に瀬戸内海側)との交流が盛んで、さらに2000年以降は松山自動車道の開通により、それまでの高松市に加え、愛媛県四国中央市や新居浜市のショッピングセンターなどにもしばしば買い物へ出掛けるようになった。そのため、同じ県内でも北東部在住の県民と北西部在住の県民とでは交流面での感覚が異なっている。
瀬戸大橋開通後は、山陽地方の岡山市などへ気軽にアクセスできるようになっている。
県都から離れた中山間地のため、かつては権力者の力が末端まで及ばず、権力者の支配への抗争が多発していた。山岳武士が権力者の主導する改宗に反抗したり、6つの山村を中心に百姓一揆が連鎖発生したりして大きな動きとなった。
別子銅山、土佐藩の参勤交代道、借耕牛や金毘羅宮参拝などを通じた他県との交流も知られている。
約2万年前の遺物と推定できる国府型ナイフ形石器 が、徳島県域でも49遺跡から見つかっている。戦国時代には、三好郡を拠点にしていた三好氏が、東四国から山城国までの八国を支配した。豊臣秀吉の四国平定により、阿波国は蜂須賀氏が封ぜられ、その統治は明治維新まで続いた。
元々、徳島市は名東郡に属する都市だったので、廃藩置県の第一次府県統合(明治4年(1871年))当時の徳島県は、名東県という名称であった。当初の名東県は、現在の徳島県に当たる旧阿波国の外に、旧淡路国(淡路島)も範囲とされた。さらに、1873年(明治6年)2月20日には香川県も編入した。
しかし、第二次府県統合により、1875年(明治8年)9月5日に旧讃岐国部分が香川県として分立再置県され、明治3年(1870年)の庚午事変(稲田騒動)で敵対した淡路国が1876年(明治9年)8月21日に兵庫県に編入され、阿波国部分は高知県に編入された。
この後の1880年(明治13年)3月2日に、旧名東県が高知県から分離されて、現在の徳島県が発足した。
なお、宮武外骨の説では、徳島藩は当初「曖昧藩」だったから、徳島藩の首府であった徳島市の所在する名東郡から名前を取って「名東県」となったということになる。しかし、復活の際に、なぜ都市名を取った「徳島県」に変更されたのかは定かではない。
徳島県の人口は2023年10月時点で69.5万人であり、全国44位。人口が70万人を下回る県は本県と高知県、島根県、鳥取県だけである。
明治時代初期、当時の衣服の染料として用いられていた藍の栽培によって全国屈指の人口の規模を記録したこともあったが、間もなく訪れた産業革命での綿織物、次いで化学繊維の台頭によってその需要は著しく低下し、明治から昭和にかけての人口増加の時期に他の都道府県に大きく後れを取った。
人口のピークは1956年の87万人余りで、それから半世紀後の2007年に80万人を割り込んだ。2023年4月1日の推計で70万人を割り込み、およそ1世紀ぶりに60万人台となった。
徳島県の合計特殊出生率は2019年の時点で1.46であり、人口の維持に必要な2.07までは程遠く、人口の自然減に歯止めがかかっていない。また、大鳴門橋と明石海峡大橋の開通、高松自動車道の開業でストロー効果によって大学進学や就職を機に近畿地方や首都圏、さらには他の四国各県に人口が流出し社会減ともなっている。
市町村別でみると、徳島市中心地の地価高騰に伴い、ドーナツ化現象が顕著に起こっている。車で徳島市中心部に30分程度で通勤でき、かつ子育て支援政策に乗り出した藍住町や北島町などに人口が流入し、四国でも数少ない人口増加の地域となっている。徳島市西方の石井町も、鉄道が中心部を走るアクセスの良さから人口が流入し、社会増となった時期もあった。また、山間部の神山町も、IT企業誘致や現役世代重視の政策の影響で2019年から社会増となっている。一方、核都市である徳島市、鳴門市、阿南市は減少を続けている。また、県西や県南は減り続けており、存続が危ぶまれる、または消滅した集落も多くある。
地方債残高
衆議院の小選挙区が2だが、2012年衆院選以前は3であった。参議院では、徳島県選挙区として全県で1区を構成していたが、2016年の第24回参議院議員通常選挙より高知県選挙区と合区され、高知県とともに1区を構成する合同選挙区が創設された。
徳島県によると、県民総生産(名目)は2018年で3兆1733億円であり、経済成長率は1.3%である。名目GDPは全国43位と低調であるが、一人当たりで換算すると431万円で全国14位と健闘している。県平均での産業別のGDPの割合は、第1次産業が2.0%,第2次産業が34.4%,第3次産業が62.9%となっている。
製造出荷額は、2019年で1兆9081億円で全国39位であり、2018年において最も出荷額等が多い業種は、化学工業の5,632億円(製造業全体の30.4%)。次いで多いのは、電子部品・デバイス・電子回路製造業(4,419億円、23.8%)、食料品製造業(1,437億円、7.8%)、パルプ・紙・紙加工品製造業(1,206億円、6.5%)となっている。徳島市をはじめとした県東一帯は国から新産業都市の指定を受けている地域であり、徳島県が比較的工業県の傾向が大きいのはこれによる影響も大きい。徳島県で作られた製品の多くは、神戸淡路鳴門自動車道を通って京阪神へ輸出される。
東京商工リサーチの調査で、都道府県別の人口に対する社長の「輩出率」が2017年より首位。理由として、阿波商人の気質や関西圏との交流の深さが挙げられている。
徳島県は中心都市を徳島市とし、三好市や海陽町など一部の地域を除いてほぼすべての市町村で徳島都市圏を形成している。徳島都市圏は四国では高松都市圏に次いで人口が多い。
河口付近では野菜の生産が盛んであり、主に京阪神方面へと出荷されている。徳島県の食料自給率は、2016年の時点でカロリーベースで43%、生産額ベースで131%である。
酪農が盛んに行われており、吉野川市鴨島町には「牛島」(うしのしま。酪農が地名の由来)という名称の地域もある。
最近は酪農経営・乳牛数共に全盛期の4分の1に落ち込んでいる反面、徳島市における牛乳消費量は都道府県庁所在地の中では最も高い。
現在は県内唯一の牛乳メーカーである日本酪農協同(毎日牛乳)の徳島工場が徳島市内にある。またかつては、名西郡石井町に森永乳業の徳島工場(2011年(平成23年)9月30日に閉鎖)が、吉野川市(旧:麻植郡鴨島町)に旧明治乳業(現:株式会社明治)の徳島工場があった。
近年、県内のベンチャーが、人口爆発に伴うタンパク源の供給を目的に、コオロギの養殖に取り組んでいる。
県南西部の那賀郡には豊かな森林地帯があり、那賀町の旧那賀町や旧木沢村、旧木頭村を中心に行われているが、高齢化により後継者不足やそれに伴う森林の手入れの問題に悩まされている。県は若手の林業従事者育成のため、那賀高校に森林クリエイト科を設置した。また、菌床栽培を含む生シイタケの生産量は日本一である。
徳島県の交通事故死者数は、2018年で人口10万人当たり4.17人で全国34位、2019年で人口10万人当たり5.57人で全国ワースト1位となったが、2020年は全国25位となった。しかし、全国平均は超えている。徳島県では交通マナーの悪さが社会問題になっており、警察は街中での呼びかけだけでなく、学校や職場での啓発活動が行われている。
最大の駅徳島駅の1日の乗降者数平均は2019年で16258人であり、四国では高松駅に次いで2位である。県内の路線はすべて赤字である。利用者の大半は徳島市中心部への通勤・通学であるため、徳島市から離れている県南や県西では、人口の少ないこともあり利用者はかなり少ない。平均通過人員で計算すると、徳島線では、徳島駅から18.9㎞の地点にある途中主要駅鴨島駅までの利用者数が全体の63%、牟岐線では、徳島駅から24.5㎞の地点にある途中主要駅阿南駅までの利用者数が83.4%を占めている。徳島駅を発着する特急列車は、高徳線で徳島駅と高松駅(1日に数本岡山駅と直通)を結ぶうずしお、徳島線で徳島駅と阿波池田駅を結ぶ剣山、牟岐線で徳島駅と牟岐駅を結ぶむろとがある。徳島県とつながりの深い京阪神に鉄道で行くためには、高松駅と岡山駅を経由する必要がある。
ホームが面する線路の数が最も多いのは、県庁所在地の徳島駅(3面4線)ではなく、県西の阿波池田駅(3面5線)である。高架駅舎は、佐古駅、海部駅、宍喰駅の3駅が存在する。橋上駅舎は、阿南駅のみである。全国47都道府県で唯一、電化区間が全く存在せず、歴史的にも存在したことがない。そのため徳島県には「電車」が一切走っていない。また、複線区間も存在しない。なお、2018年夏以降は、47都道府県で唯一自動改札機設置駅が存在せず、歴史上存在したこともない都道府県であり、それに伴い2020年7月現在、日本で唯一鉄道施設内において交通系ICカード全国相互利用サービスが一切使えない(簡易チャージ機も存在しない)県である。日中の普通列車の本数は徳島市近郊区間 で毎時2本程度、それ以遠では毎時1本足らずとなっている。また、県内における営業列車の運用は臨時列車を除きすべて当日中に終了する(=日付越えの運用は行われていない)。
現在、徳島県には新幹線は通っていない。ただ、四国新幹線と四国横断新幹線が構想として存在する。香川県と岡山県の間に架かっている瀬戸大橋は、既に新幹線規格で建設され、また鉄道が通っているため、これを利用し岡山駅 - 宇多津駅 - 高知駅を結ぶ四国横断新幹線は、費用面からも現実的な路線として構想されている。これを基軸とする場合、徳島県には岡山駅と高知駅の間を結ぶ途中駅として阿波池田駅、宇多津駅から高松方面に伸びた路線を延長して徳島市内に駅がそれぞれ設けられる構想となっている。
しかし、徳島県にとっては、岡山駅経由で本州に出ることよりも、大鳴門橋と淡路島を経由して本州に直接出ることの方が重要である。そのため、徳島県としては、新大阪駅から淡路島を通り、徳島県、香川県、愛媛県、最終的には豊予海峡を通って大分県に通じる四国新幹線の建設に前向きである。この四国新幹線は、四国の人口密集地域を通るため、収益がある程度は見込まれているが、明石海峡大橋が建設された際に鉄道構想を放棄したため(大鳴門橋は新幹線規格で建設)、紀淡海峡または明石海峡に海底トンネルを建設する必要がある。
国立
私立
私立
私立
国立
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テレビ草創期から、徳島県のテレビ放送は長年にわたってNHKと四国放送の2局3波である。デジタルテレビ・県域FM局・四国放送ラジオのFM補完放送のメイン中継局はいずれも眉山に置かれている。四国放送は通常時終夜放送を実施している。
テレビ黎明期の1959年にNHK徳島放送局と四国放送がテレビ放送を開始して以降、県内の放送局は開局していない。その為、電波の海上伝搬を利用して近畿広域圏のテレビ局の視聴者が県内に多数存在する。しかしアナログ放送からデジタル放送への移行にあたって、近畿圏の局が視聴不能となる地域が続出する事が判明。その為、県は国の援助を得て県内のケーブルテレビ局加入促進策を打ち出した。
ケーブルテレビの世帯普及率は2020年3月末時点で90.5%に達しており、全都道府県で1位である。四国放送が加盟する日本テレビ系列以外の局の関西圏などからの受信に用いられている。
日本アマチュア無線連盟 (JARL) を免許人とするアマチュア無線用中継局が県内各所に設置されている。徳島県のレピータは南部の JR5VR を除き、都市・集落が多くある吉野川周辺設置されている特徴がある。
徳島県内で話される方言は徳島弁(阿波弁)と呼ばれる。四国方言に分類されるが、特に県東部で、近畿方言の影響を強く受けている。
姉妹自治体・提携自治体は、以下の通り。
近年は映画ロケの誘致に力を入れており、有名なものでは『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』や『虹をつかむ男』、『バルトの楽園』の舞台となった。
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