同志社大学文学部(どうししゃだいがくぶんがくぶ、英称:Faculty of Letters)は、同志社大学に設置される文学部である。
同志社大学文学部は、校祖新島襄が1874年に帰国し、翌年1875年8月に「同志社」結社、1875年11月29日に官許設立した同志社英学校の創設を起源とする同志社大学内の学部である。五つの学科に分かれ、英文学科、哲学科、美学芸術学科、文化史学科、国文学科を擁する。
本大学の創立と同じ長さの歴史を持つ文学部では、さまざまな卒業生が輩出している。その中には、徳富蘇峰や徳富蘆花をはじめとして、星新一、小松左京とならびSF御三家と称される筒井康隆、『響け!ユーフォニアム』シリーズで知られる武田綾乃、泉鏡花文学賞を受賞した山尾悠子、芥川龍之介賞を受賞した藤野可織、直木三十五賞を受賞した山本兼一、門井慶喜、澤田瞳子、紫綬褒章及び旭日小綬章を受けた児童文学作家の今江祥智など幅広いジャンルにわたる作家がいる。また、高田早苗とともに早稲田政治学の基礎を築くことになった安部磯雄、浮田和民、わが国初の心理学者である元良勇次郎、「日本哲学の父」とうたわれた大西祝(坪内逍遥とともに早稲田文科の礎を築いた)から、日本銀行第十三代総裁である深井英五、日本興業銀行第四代総裁である小野英二郎など文学界以外にもさまざまな人物を輩出する。
また、過去20年間での芥川龍之介賞・直木三十五賞の受賞者の大学別輩出は三位であり、前述した文学部出身の四名が受賞している(一位は早稲田大学、二位は慶応義塾大学)。
本学には大別して二つの校地があるが、本学部は京都市上京区にある今出川校地に置かれている。南方には京都御所があり、北では相国寺と隣接している。また、時雨亭文庫を擁する冷泉家邸宅の三方を今出川校地がすっぽりと囲うかたちで建っている。西へ歩いていくと西陣織で知られる西陣地区があり、南下を進めると四条に出る。東には鴨川が流れており、北に歩くと裏側に相国寺がある。
学科としては次の学科が置かれている。
哲学科は、1927年(昭和2年)4月に同志社大学文学部内に設置された学科である。
1875年(明治8年)に新島襄は同志社を創立したが、創立にあたりキリスト教主義による「良心」に基づく道徳教育を重要視した。そして後の大学設立に向けての構想の中心に哲学思想の研究教育を置いたと言われる[1]。(『同志社大学設立の旨意』)
新島襄の哲学教育の構想に基づき、彼の教育を受けた者たちはのちの東京大学、京都大学、早稲田大学における哲学科創設に尽力した[4]。
学ぶ内容は、主として西洋哲学、倫理学である。(一部日本、東洋の思想を含む)
同志社大学の創始者である新島襄は哲学による教育を重んじたといわれ、新島の教育を受け思想界において活躍した人々として、
などが挙げられる。
※詳細は同志社英学校「主な在籍者」を参照のこと。
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