ヒロ 松下(ヒロ まつした、英語:Hiro Matsushita、1961年3月14日 - )は、日本の実業家、元レーシングドライバー。本名は松下 弘幸(まつした ひろゆき)。パナソニックの創業者である松下幸之助の孫として兵庫県西宮市に生まれる。1989年にフォーミュラ・アトランティックではじめて日本人としてチャンピオンを獲得し、日本人としてインディ500に初参戦。トップドライバーとして活動を続け、その後日本人ドライバーがアメリカで活躍する道を切り開く。
1961年から16年間にわたりパナソニックの2代目社長を務めた松下正治の次男である。甲南幼稚園、甲南小学校、甲南中学校・高等学校、甲南大学経営学部を卒業。小学生まで地元のボーイスカウトに所属。
日本初のCARTインディカー・ドライバー。「CART」(現Indycar)はヨーロッパの「F1」と並ぶ世界2大レースシリーズ。1986年に本格的なプロのレースカードライバーを目指して渡米。フォーミュラ・フォード等の下位クラスで力をつけた後、1989年のアトランティック・チャンピオンシップのチャンピオンに。これは日本人初の海外メジャーシリーズでの快挙で、その実績で翌1990年から「CART」ドライバー入りし、当時の日本人最高の6位の記録を持っていた。1998年にCARTシリーズを引退するまで、アメリカを中心に北米、南米、オーストラリア、日本で年間20戦近くのレースに出場していた。インディカーからの引退後も、面白いと思えるレースには出場する考えで、1999年にはルマン24時間耐久レース、その後もオフロードレースに出場したり、レース中継の解説者としての活躍もある。また、CARTドライバー時代から始めた自動車及び航空宇宙関係のエンジニアリング会社や不動産投資会社、広告・マーケテイング会社も経営している。
モトクロスやシビック・ワンメイクレースなどを経て、1986年にアメリカに渡り、フォーミュラ・フォード、IMSA GTP、フォーミュラ・アトランティック(後のアトランティック・チャンピオンシップ)、ARSなどに参戦する。1989年にフォーミュラ・アトランティックでチャンピオンを獲得し、1990年よりトップカテゴリーのCART(後のチャンプカー・ワールド・シリーズ)に参戦した。インディ500に参戦した初の日本人ドライバーで、過去最高位は6位入賞(1994年)。
1998年シーズンをもってCARTから引退し、その後はル・マン24時間や、バハ1000などのオフロードレースにスポット参戦した。
CART時代に完走率の高さからマイケル・アンドレッティより「キング・ヒロ」のニックネームを頂戴する。
現在は南カリフォルニアに本拠を置く、アメリカ合衆国の自動車・航空部品メーカー・航空宇宙工学会社 レースカーやエアロスペース関係の設計・製造を行うスウィフト・エンジニアリング(英語名:Swift Engineering Inc.)にて会長兼CEOを務める。1983年に創業し、レーシングカーの設計・製造などを手掛けていたが、2000年に航空宇宙工学分野へと業態をシフト。アメリカ航空宇宙局、ノースロップ・グラマン、ボーイング、ロッキード・マーティン、ガルフストリーム・エアロスペース等、数々の大手主要航空宇宙関連企業の認定サプライヤーであり、自社の生産管理体制により、クライアントの品質要件に応じた様々な製品や航空機の設計、製造、及び納品に実績がある。スウィフト社ではプログラム開始から終了に至るまで、既存の構成管理方法を使用している。スウィフト社の広範囲にわたるプログラム実績は近年高い評価を得ており、プログラム管理技術や品質管理技術において2015年にボーイング社のサプライヤー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞するなど、数々の賞へのノミネートおよび受賞をした。
2018年には、神戸情報大学院大学と共同出資し、航空宇宙工学サービスを主な事業とするベンチャー企業のスウィフト・エックスアイ(Swift Xi Inc.)を兵庫県神戸市に設立し、代表取締役会長を務める。
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