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IWGPタッグ王座


IWGPタッグ王座


IWGPタッグ王座(IWGPタッグおうざ)は、新日本プロレスが管理、認定している王座。

概要

1981年にNWA北米タッグ王座が封印されて以来、新日本は長らくタッグ王座不在の時期が続いていたが、1985年5月にWWFインターナショナル・タッグ王座が復活され、藤波辰巳&木村健吾が第8代王者となり、4度の防衛を果たしていた。しかし、10月末にWWFと新日本の業務提携が解消されたため、同王座は復活から5ヶ月で、WWFインターナショナル・ヘビー級王座およびWWFジュニアヘビー級王座と共に封印された。それに代わるタッグ王座として、新日本プロレスがIWGPの王座として初めて認定したタイトルが、このIWGPタッグ王座である。

1985年11月、本来行われる予定だった『MSGタッグリーグ戦』がWWFとの業務提携解消で「MSG」の名称が使えなくなったことから、その代替として『IWGPタッグリーグ戦』の開催が発表され、優勝チームが初代IWGPタッグ王者チームに認定されることになった。ところが、リーグ戦1位通過のブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカが12月12日の決勝戦をボイコットして帰国したため、急遽アントニオ猪木&坂口征二と藤波&木村のリーグ戦2位同士の間で決勝戦が行われた。試合はドラゴン・スープレックス・ホールドで藤波が猪木から3カウントを奪い、WWFインターナショナル・タッグ王者だった藤波&木村が初代王者チームとなった。

歴代チャンピオン

主な記録

  • 最多戴冠者:12回 - 天山広吉(第25・28・34・36・40・43・45・48・58・60・62・74代)
  • 最多戴冠回数:7回 - タマ・トンガ&タンガ・ロア(第70・72・76・81・83・85代、88代)
  • 最多連続防衛:10回 - カール・アンダーソン&ジャイアント・バーナード(第57代)
  • 最多通算防衛:12回 - 蝶野正洋&天山広吉
  • 最多通算防衛:23回 - 天山広吉

デザインの改変

1997年にヘビー級シングルベルトが2代目となり、その後それに合わせてタッグベルトも新調され2代目となる、2008年ヘビー級シングルベルトが新調されたのに伴い、2010年にタッグベルトも3代目と新調された。2代目ベルトまでのプレートは銀色だったが3代目は金色である。 2012年10月23日より、サイドプレートがギザギザのものから丸みの帯びた形に変更され現在に至る。

エピソード

  • 第47代王者は、高山の長期欠場により王座剥奪。高山が新王者に健介&鈴木組を指名したが許可されず棚橋&中邑組と佐々木&鈴木組による王座決定戦が行われた。
  • 第48代王者は、蝶野の左ひじ手術による離脱で長期間防衛戦をしていない等の理由でサイモン・ケリー新日本プロレス社長により王座剥奪。
  • 第49代王者は、2006年7月2日に真壁&越中組とバーナード&トムコ組の間で暫定王者決定戦を実施。勝利した真壁&越中組と中西&大森組が正規王座決定戦を行い、勝った中西&大森組が正式に第49代王者に認定される。
  • 第59代王者は、調印式のボイコット、2012年6月16日大阪での試合内容並びに結果(ノーコンテスト)、菅林直樹新日本プロレス社長への暴行を受けて新日本プロレス社長、IWGP実行委員会、審判部で協議の結果、矢野&飯塚組は王者にふさわしくないと判断、6月16日の大阪の防衛も認めず王座剥奪。
  • 第60代王者は、2012年7月22日に天山&小島組と矢野&飯塚組の間で王者決定戦を実施、勝利した天山&小島組を第60代王者に認定。なお試合は、場外カウント無し、4人のレフェリーが試合を裁く特別ルールで行われた。
  • 第63代王者は、NWA世界タッグ王座とのダブル選手権試合で、NWA世界タッグ王者のアーチャー&スミス組、第62代IWGPタッグ王者の天山&小島組、ロブ・コンウェイ&ジャックス・デイン組との変則3WAYマッチで行われた。この試合は60分2本勝負で行われ、1本目の勝利者チームはNWA世界タッグ王座に認定、2本目の勝利者チームはIWGPタッグ王座に認定というルールで行われた。試合結果は1本目をロブ&ジャックス組、2本目をアーチャー&スミス組となり、第63代王者にアーチャー&スミス組が認定された。

脚注

外部リンク

  • IWGP TAG TEAM | 歴代チャンピオンクラス | 新日本プロレスリング

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: IWGPタッグ王座 by Wikipedia (Historical)


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