株式会社ラジオ関西(ラジオかんさい、RADIO Kansai, Ltd.)は、兵庫県を放送対象地域とする中波放送(AMラジオ放送)の特定地上基幹放送事業者。
どのラジオネットワークにも参加していない独立放送局で、本社は神戸ハーバーランドにある。
1952年(昭和27年)4月1日に中波放送局として開局した。全国10番目の民放ラジオで、開局当初は、ラジオ神戸として放送し、日本初のプロ野球ナイター中継や電話リクエスト番組を同年に実施。また、旧愛称はAM KOBEなど(詳しくは愛称・略称を参照)。
神戸新聞社(神戸新聞・デイリースポーツの発行元)が筆頭株主で、同社の連結子会社である。本社である神戸情報文化ビル(カルメニ)は神戸新聞社とラジオ関西が共同で所有する。
新聞のラジオ欄では「関西」と略して表示される。
元々はNRNに加盟(1965年)していたが、読売ジャイアンツ戦の生中継を巡り、1978年にNRNを脱退(詳しくは『ラジオ関西ジャイアンツナイター』を参照)。それ以後は独立系のラジオ局として、独自の編成が主体だが、番組販売購入によるNRNとJRNとのネット関係は引き続き行う。また同じ独立系の神奈川県のRFラジオ日本、岐阜県の岐阜放送ラジオ(ぎふチャンラジオ)と連携して番組供給も行っている。なお、独立AM局では地方民間放送共同制作協議会(火曜会)には岐阜放送とともに加盟している。
キャッチコピーは、「Always together いつもいっしょ」(2014年)、「ダイヤルは左の端」(1970年代後半)・「神戸からの優しい風」・「あなたに送るメッセージ」(1990年代前半、阪神・淡路大震災前)・「神戸からあなたへ」(2010年代)などがある。
主な受賞歴に『「BORDER」~ヒョーゴスラビアにおける県境とは?~』で2021年日本民間放送連盟賞ラジオ教養番組部門最優秀賞を、『知らないけど知っている~わたしたちの1.17』同賞のラジオ報道番組部門優秀賞を受賞した。同賞の最優秀賞を受賞するのは初めてだったほか同じ年に複数の番組が同賞を受賞するのも初めてだった。同賞はこのほか『田辺眞人のまっこと ! ラジオ』で2016年同賞のラジオ生ワイド部門優秀賞などを受賞した。また、2016年には『勝利から焦土へ~神戸と戦争の記録~』で第12回日本放送文化大賞近畿地区候補番組に選ばれた。
開局時の正式名称(商号)は「神戸放送」で、愛称が「ラジオ神戸」。1960年に両者とも「ラジオ関西」にしている。東浦町(現・淡路市)に現送信所が完成した1994年10月1日から、送信所完成記念事業の一環として制定した「AM KOBE」(正式な愛称は「AM KOBE558」)の愛称を使用。だが2005年の阪神・淡路大震災10周年を機に「ラジオ関西」というオリジナル・ブランド名の再生と統一イメージの徹底を図るために、社名呼称・表記を統一する運びとなり、2004年4月より段階的に愛称を社名と同じラジオ関西に戻していき、2005年1月1日に完全移行した。ただし、外部制作の一部番組では、今もAM KOBEの名称が使用されることもある(特にAM KOBE時代に放送を開始した番組)。
略称は愛称がAM KOBEになる以前はコールサイン「JOCR」からCRが、AM KOBE時代はAMKが使われてきたが、2004年12月1日付けでCRK(コールサインのCRと関西、神戸の頭文字であるKを組み合わせた略称)に変更した。また、2004年12月1日付けでウェブサイトのURLやメールアドレスも変更された。(www.amkobe.co.jp → jocr.jp)
企業・団体は当時の名称。出典:
淡路送信所は日本標準時子午線にほど近いため、その東経135度にちなみ高さ135mであり、北東方向に指向性を設けるため同じ高さの送信塔が2本立っている。
FM補完中継局は2019年4月1日に本放送開始。山口放送・日本通信機によって開発されたFM同期放送システムを導入し、神戸と姫路で同一周波数送信を実施している。
この他、スタジオではないが、直接送信所に送り出しが可能な非常用の放送設備が兵庫県庁(毎月17日に昼ワイド番組内にてテストを兼ねて県庁から放送する)と、淡路送信所内に存在する。また、かつては神戸トヨペット豊岡店にサテライトスタジオが存在し、但馬放送局のオリジナル番組をここから放送していたこともあった。
以下のケーブルテレビ局で再送信されている。いずれもFM波に変換されている。
ラジオ関西のサービスエリア内であるにもかかわらず、ラジオ関西の送信施設と受信地の地形、位置の問題により正常な聴取が難しいための措置である。
香美町内では地形的な原因でAMラジオが難聴取となっており、それを改善するため、受信障害対策中継放送(ギャップフィラー)による中継局を香美町が設置、2017年1月24日に予備免許が、同年3月13日に本免許が交付され、同年11月1日に開局した。
受信が良好な豊岡市内にAMの受信局を設け、受信した放送をFM波に変換し、イントラネットを経由して、町内11ヶ所の中継局から周波数77.8MHzで再送信する。この方式による中継局の設置は全国初となる。
自社制作の生ワイド、収録放送共に番組の一部をPodcastで無料配信を行っているほか、以下の番組についてはAndroidやiOS(iPhone/iPad)などのスマートフォン、タブレット向けに公式アプリが提供されており、アプリ内からは番組本編が全編(楽曲を除く)が聴取できる他、リスナーメッセージの投稿が可能であるなど、他局に比べインターネット配信に精力的である。
関西地区のラジオ局ではラジオ大阪と同じく、アニメ、声優関係の番組(アニラジ)が多い(自社制作番組をはじめとして、文化放送などからのネット番組もある)。その歴史は古く1986年には『青春ラジメニア』の前身となる『アニメ玉手箱』を放送開始、1991年にはラジオ関西の番組供給を行っているラジオ日本で突如打ち切りとなった『林原めぐみのHeartful Station』を引き取る形で放送を開始している。2005年6月30日より、木曜から日曜の深夜帯を『アニたまどっとコム』としてくくり、枠内の番組を充実させた。
なお、ラジオ関西が制作するアニラジ番組は、本社スタジオから放送の『青春ラジメニア』『ワタナベフラワームサのアニソン部屋』などの一部を除けば、東京(自社東京支社など)で制作されることが多い。メールアドレスは、自社制作の番組については、○○@anitama.comを使っている(ただし本社制作の前述2番組については一般番組と同じ○○@ jocr.jpを用い、その他の外注・ネット番組ではそれぞれの番組で使用しているものを用いる)。
ラジオ関西は長らく24時間放送を(災害などの例外を除き)行っておらず、朝は5時開始、放送終了は深夜2 - 3時前後(2006年10月 - 2007年4月1日は、毎日5:00に放送を開始、月曜 - 水曜は3:30、木曜・土曜は3:00、金曜は4:00、日曜は1:30)までの放送であった。
その後2000年代にはレギュラー番組の特番で終夜放送になるなど、通常期でも終夜放送を行える環境が徐々に整って行ったが、2007年の開局55周年を期に、放送をコンピュータ管理で行う新たな送出システムを開発し、また、2006年度下半期18時台の「名曲☆ラジオ☆関西」枠の深夜帯への移動、NRN系一部番組の購入により、2007年4月2日、近畿地方の民間放送ラジオ局で最も遅く完全24時間放送(終夜放送)を開始するようになった。
平日(月曜 - 木曜)の『オールナイトニッポンエバーグリーン』はネット開始当初の半年は4:00開始の1時間ネットだったが、2007年10月2日未明の放送回より3:00の2時間フルネットに移行した。なお編成の都合で金曜・土曜深夜は長らくネットしていなかったが、金曜分に限り2012年10月5日付深夜(10月6日未明)からネットしている。
新しい放送システムでは時間管理も行われている。システム導入前はパーソナリティが時報の読み上げ(『青春ラジメニア』など)を行う場合もあったが、導入後は自動音声(林真一郎アナウンサーによる読み上げ、など)になっており、また、無音状態が続く場合にはBGMなどを自動で挿入する。このためスタジオ内には時間や段取り等が示されるモニターが設置されている。
2016年4月より、毎週日曜深夜(月曜未明)の3:00 - 5:00の2時間、放送機器メンテナンスによる休止時間を設けたため、一旦完全24時間放送ではなくなったが、2021年1月より『オールナイトニッポン0(ZERO)』の土曜日の放送開始による日曜深夜への番組移動により完全24時間放送が再開される。2022年3月現在の民間中波ラジオ局で編成上で「放送休止」がない完全24時間放送となるのは他に北海道の2局(HBCラジオ、STVラジオ)と琉球放送がある。
なお、民放FM局では2021年10月現在、エフエム栃木、エフエム大阪、エフエム香川で完全24時間放送を実施しているが、ラジオ関西など上記のAM(/ワイドFM)も含め、毎年年数回は主に日曜深夜に当たる月曜未明を中心に放送設備の保守や修繕工事のため、数時間の停波を伴う休止枠が設けられている。
1978年以降は独立局であるが、関西地区をとりまくネットワーク事情もあり、中波局ネットワークや在京・在阪各局と何らかの関係がある。
NRN
JRN
MBSラジオ
独立局・日本テレビ
その他
『海のみえる放送局』
変遷
アナウンスの中では、必ず神戸(淡路)本局は「指向性アンテナ」で送信していることを伝えている(かつては、それを「directnal 20」(ディレクトナル・トゥエンティ)と英語表現した時期もある)。
2024年4月改編時点。太字は自社制作番組(再放送を除く)。
1966年4月から1972年3月までの番組編成では聴取する状況や傾向に応じて、”ダイヤル編成”と称した、以下のようなタイムゾーンを設定していた(期間中の番組表を参照)。
平日明け方
平日朝
平日昼前
平日昼過ぎ
平日夕方
平日夜
その他
金曜日朝
金曜日昼前
金曜日昼過ぎ
金曜日夜
土曜日朝
土曜日昼前
土曜日昼過ぎ
土曜日夕方
土曜日夜
その他
日曜日朝
日曜日昼前
日曜日昼過ぎ
日曜日夕方
日曜日夜
その他
1970年代末期から1980年代初期には、関西地方に3球団(阪急ブレーブス・南海ホークス・近鉄バファローズ)の本拠地が集中していたパシフィック・リーグの公式戦を自社制作で中継する構想があったため、公立中学校の教師だった岩崎和夫などを中途採用扱いで入社させていた。岩崎は入社後にスポーツ実況の研修を受けていたが、後に構想が頓挫したため、スポーツの担当から外れた。
※ 退社、OB、人事異動も含む・五十音順
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