東京パフォーマンスドール(とうきょうパフォーマンスドール、英: Tokyo Performance Doll、略称: TPD)は、日本のガールズグループ、日本初のダンスボーカルアイドルグループ。メンバーやファンの間での愛称はパードル。
第1期TPD(1990年〈平成2年〉〜1996年〈平成8年〉)は、多人数でスタイリッシュに歌って踊る女性アイドルグループのスタイルを、日本の音楽史上において初めて確立した。また、ライブハウスの原宿RUIDOで定期公演を行って着実にファンを獲得しつつ日本武道館公演や横浜アリーナ公演を成功させるまで上り詰めたことや、国内外の各都市に姉妹グループ(大阪パフォーマンスドール,上海パフォーマンスドール)を結成していることから、AKB48グループや、その後にメジャー化して行くライブアイドルのルーツ的な存在であったとも言える。発表した楽曲は当時のディスコ(マハラジャやジュリアナ東京など)やクラブ(芝浦GOLDなど)やストリートで掛かるような先進的なダンスミュージックを参考にしており、参考元を完全に洋楽に切り替えたことで昭和歌謡的な従来のアイドル曲からは完全に脱却している。第1期TPDはパフォーマンスと楽曲をスタイリッシュにして格好良さを志向した点で、女性アイドルグループでありながらもアーティスト的な側面を持ち合わせている。但し、21世紀の女性アイドルグループのプロトタイプに留まっており、後年のグループと比較して実験的な部分は多数存在する。
2013年〈平成25年〉、世代交代した新メンバーにより約17年ぶりに復活し、翌年にCDデビューした。
第1期TPDのメンバーやファンは解散後もコミュニティを形成し、SNSで交流したり自主的にリアルイベントを企画したりするなど、往時とは別の形で活動中である。
おニャン子クラブ解散後に発生したアイドル冬の時代に結成して活動した女性アイドルグループで、時代のトレンドは格好良さを重視するアーティストに向かっていたため商業的には大きく成功しなかった。しかし、舞台上でのスタイリッシュなパフォーマンスを重視して本格的なダンスを導入し、定期公演を行い、国内外の各都市に姉妹グループを結成した点で、21世紀以降に隆盛を見せる女性アイドルグループの始祖となった。始祖とは言え、劇団四季出身の中村龍史の指導による長時間ノンストップでの生歌とパフォーマンスの両立は非常に高度なレベルに到達しており、後世の口パク前提のアイドルグループとは一線を画している。各々のメンバーは、所属レコード会社は同じであるが、所属芸能事務所は異なっていた。第1期のTPDプロジェクトは冬の時代にあったアイドル界の仕切り直しを当初から意識しており、アイデアの源泉はアイドル以外の分野である宝塚歌劇団,ソ連のミハイル・ゴルバチョフが実行した『ペレストロイカ』,ストック・エイトキン・ウォーターマンのプロデュース手法など多岐に渡り、それらを1つにまとめ上げて完成した、当時としては革新的な女性アイドルグループである。
1990年(平成2年)4月、原宿RUIDOを母会場にEPIC・ソニー(現:エピックレコードジャパン)・Fプロジェクトが企画した「ゴルビーズ(GOLBIES)」が起源。後にTPDのメンバーの中心となる3人(木原さとみ,川村知沙,篠原涼子)によって構成されたこのグループは、主に中村龍史の構想により、当時のソビエト連邦共産党書記長ミハイル・ゴルバチョフの愛称「ゴルビー」に由来して名付けられ、ゴルバチョフの進めるペレストロイカにちなんで、アイドル冬の時代を迎え音楽番組も激減した芸能界に革命的な衝撃をもたらそうと名づけられた。ゴルビーズは未だ東京パフォーマンスドールが構想中の段階にあって先駆けてデビューし、Epic/Sony Records内に設立されたTPDのプライベートレーベル「Cha-DANCE」からシングルCD2作品をリリースした。並行して、雑誌『DUNK』で「ゲーノーペレストロイカ」というスター発掘オーディション企画がスタートし、派生レーベルのCha-DUNKレーベルから4枚のシングルCDがリリースされた。
そして、その後メンバーが次々と増え、プロデュースを依頼された中村龍史により、ノンストップで歌とダンスを繰り広げるライブ「ダンスサミット」を毎週行う7人組集団として「東京パフォーマンスドール」を結成。CDやVHSやLDなどは前述のCha-DANCEレーベルよりリリースされた。ダンスサミットは原宿RUIDOで開催され、同年6月に第一回公演が行われた。当初はメンバーが竹下通りでビラ配りを行うなど草の根的に宣伝するなどしても観客が数人に留まり、それはメンバーの家族のみということもあったが、口コミで徐々に観客を増やし、次第に公演チケットの争奪戦が行われるようになった。人気音楽番組が軒並み消滅し、残った数少ない音楽番組ではアーティストの出演が優先されたため、アイドルではテレビ出演が難しいという時代背景から必然的にライブハウス中心の活動となったが、このライブハウスを拠点とする活動は、後のライブアイドルに近い活動であった。
ダンス、楽曲、照明、衣装は、EPIC・ソニーのプロジェクトチームによってそれぞれにこだわりのあるものが生み出された。特に初期の楽曲に関しては、古きよき外国のダンス・ミュージックを中心に再構築させることで、新しいイメージを作り上げていった。中村龍史のダンス・ミュージック(特にユーロビート)への拘りにより、最初期は主にユーロビートにアレンジされていた。最初期においてはストック・エイトキン・ウォーターマンがプロデュースしたKAKKOの『We Should Be Dancing』という、日本人女性歌手と本場のユーロビートのコラボレーション事例も参考にしている。
当時はおニャン子クラブに代表される「身近な女の子がアイドルに」というコンセプトの衝撃を超えるアイドルが現れず、大衆音楽のトレンドとしてアイドルがマンネリ化し飽きられて、格好良さを重視するアーティスト志向が強まっていた。そのような状況下で、アーティスト的な要素も取り込んだ職業的集団、「ダンスのプロ」的要素をコンセプトとしたTPDはネオ宝塚の趣も持ち合わせ、初期アルバムの帯には〝帝都超少女歌劇団〟といったキャッチコピーも見られた。必然的に、1980年代までのアイドルと比較してライブパフォーマンスでの差別化となり、自宅で観るテレビ番組ではなく『ダンスサミット』等での生のライブ体験が重要なキーポイントとなった。
初期は所属メンバーが流動的であり、ダンスサミットに合わせて毎月リリースされるCD(このCDはダンスサミット参加前の予習用音源にもなっていた)についてもグループ内ユニットやメンバー単独でのリリースも行われていた。また、初期は洋楽のカバー曲が殆どを占め、オリジナル曲は活動を重ねる中で徐々に作られて行った。
しかし、組織内におけるメンバーの意識やパフォーマンスに差が出てきたことなどから二軍制を導入。その結果、メインを務める1軍(フロントメンバー)と2軍(ライブメンバー:「東京パフォーマンスフィーユ」「ファイヤードールズ」「TPD DASH!!」など、時期によって名称が変わる)に分割。その後、結成時メンバーであり、ソロシングルのリリースもある篠原リエが脱退している。1stアルバムのブックレットにおいて、「ロコモーション」のクレジットには「初代東京パフォーマンスドール」としての米光・柳瀬・木原・涼子・リエ・川村・井口の7人の名前があり、最終ページ近くには「Best of luck 井口&柳瀬」の文字や、「SATOMI KIHARA,RYOKO SHIONOHARA,CHISA KAWAMURA,RIE SHINOHARA,MIHO YONEMITSU,MAI YAGITA,YURI ICHII,KAORI NAKATA,NATSUKO KIFUSHI」という記載もある。
フロントメンバーは、積極的にソロ活動も行うなど多彩な活動を展開。CDの売上自体は最高順位がシングル34位、アルバム13位と他のアイドルグループに比べ見劣りするものの、テレビやラジオ等のレギュラー出演などにより1993年(平成5年)頃から人気が上昇し、1993年8月16日・17日の日本武道館2Days公演、1994年8月7日の横浜アリーナ公演も成功させた。また、結成当初ユーロビートのみだった楽曲は、ハウス,デステクノ,ヒップホップなどバリエーションを広げて行き、より垢抜けた作風へと進化した。
その後、1995年(平成7年)秋までにフロントメンバーが相次いで卒業。新井雅をリーダーにメンバーを一新するもグループとしてのCDのリリースはなく、1996年(平成8年)中に活動停止、ラストライブも行わず自然消滅的に解散した。
中村龍史によるプロデュースの一環として、博品館劇場におけるミュージカル寄りの公演を行っていたこともある。
解散後は一般人に近い立場にある元メンバーにより活動当時を振り返る企画や、元ダンスアイドルとしてのノウハウを活かして健康維持のための教室が開かれている。元メンバーは既に日本各地に散らばっており、一般人から有名芸能人まで各々異なる立場で生活しているため、完全な形での復活が行われたことはない(もはや立場が違い過ぎるため完全な復活は殆ど不可能である)。
2014年8月1日より、インターネットラジオ「帰ってきたTPD RETURNS」を放送開始。メインーパーソナリティは木原さとみ・八木田麻衣・および当時サウンドプロデュースを手掛けていた清水彰彦(アッキー清水)。隔週金曜日に更新され、2016年6月17日終了まで全48回が放送された。
2022年2月に木原さとみが新型コロナウイルスに感染して体調を崩し、気分転換も兼ねてSNSのフォロワーとファンミーティングを開催した際に、高齢になりつつあるファンの年齢で最も重要な事は健康であるため身体を動かしながら楽しめることをやってみようと思い2022年9月に『パードルダンス部』を立ち上げた。『パードルダンス部』は元TPDメンバーをゲストに迎えつつ月1~2回のペースで東京都内のダンススタジオを借りて活動中である。発起人の木原さとみは毎月のレギュラーで、川村知砂,穴井夕子,八木田麻衣,木伏夏子,櫃割香奈子などが入れ替わりで参加している。部員もイベント準備の協力などで運営サポートに廻っている。
最も代表的なものは、以下の7名による編成である。
ライブビデオなどでメンバー紹介されたことがあるメンバー。
東京パフォーマンスドールには、前述のフロントメンバー、ライブメンバーのほかに「研修生」と呼ばれるレッスン生が在籍していた。
研修生には、その技量を審査するため、オリジナルメンバーの公演にバックダンサーとして出演させ、その評価により正式メンバーに昇格、研修生として継続、または見込みがない者として退団のいずれかを判断されるという制度を採っていた。
研修生が日頃の成果をアピールする場として、一部のライブメンバーと研修生のみが出演する「新人公演」を原宿RUIDOで毎年数回開催し、オリジナルメンバーの楽曲をレパートリーとしてパフォーマンスを行った。
※ver(version)は、書籍『TPD in the case』を参考にした。
※以下の作品は、すべてCha-DANCE(Epic/Sony Records)より発売された。
TPDを模したユニットも数多く生まれた。大阪パフォーマンスドール(OPD)に始まり、中国出身の4人による上海パフォーマンスドール(SPD)という公式のものから、阿波パフォーマンスドール(APD)、新宿2丁目パフォーマンスドール(S2PD)、代々木アニメーション学院パフォーマンスドール(YAGPD)などといった非公式なものまで存在した。非公式に結成したグループがメジャーなアイドルグループの命名規則を借用する現象はAKB48グループでも同様に発生した。
また、2010年1月初旬には、中村龍史が新しくプロデュースするSay-Youパフォーマンスドールが結成される。当初は2009年11月デビューを予定していたが、メンバー6名およびスタッフが新型インフルエンザに感染したために延期された。しかし、2010年8月に予定されていたライブが諸般の事情により中止となり、その後オフィスひらめWEBサイト上で解散が発表された。
1993年8月16日・17日の日本武道館での公演を宣伝する際に、2日間の公演であることを「1日だけならCoCoだってやってるじゃない」というフレーズを使って宣伝した。CoCoは当時「アイドル冬の時代」と言われた時期において、アイドルグループの中では頭ひとつ抜けた人気を持つグループだったこともあり、方向性は違うがメンバーが同世代であるCoCoを強く意識していたと見られる。TPD名義によるシングルはCoCoのラストシングル「You're my treasure〜遠い約束」(1994年7月6日発売)と同時期に出た「今夜はネヴァーストップ」(1994年7月1日発売)を最後にリリースされなくなり、またCoCo解散の1か月前(1994年8月31日)に、篠原・市井・米光を「卒業」させTPD DASH!!を吸収し一体化するなど、歩調を合わせるような事象も見られた。
2013年、全国8,800人の中からオーディションで選ばれた新メンバー10名により復活。同年6月19日、CBGKシブゲキ!!でのイベントにてお披露目された。ただし、オーディションの段階ではTPDのメンバー募集であることは伏せられていた。
同年8月15日からCBGKシブゲキ!!にて演劇とライブを融合させた「PLAY×LIVE 『1×0』(ワンバイゼロ)」の公演を開始。演劇パートではエピソード毎にメンバーが主役を演じ、ライブパートではノンストップで歌とダンスを繰り広げる「ダンスサミット」を復活させた。また、TPD DASH!!(妹グループとして同年に結成)も当公演に出演し、初お披露目となった。
2014年1月25日、メンバーの美波沙南が退団し、9人編成となる。
2014年6月11日、シングル「BRAND NEW STORY」でCDデビュー。
2017年4月3日 - 、オフィシャルファンクラブ「NINE STARS」を発足。
2017年9月13日発売のミニアルバム『Summer Glitter』が、9月12日付のオリコンデイリーランキングで自身初の1位を記録。
2017年11月21日 - 、メンバーの小林晏夕が、一身上の理由により活動を休止。
2018年4月19日に開催されたライブをもって、飯田桜子、神宮沙紀、活動休止中だった小林晏夕が退団することが公式サイトなどで発表された。
2021年5月26日、同年9月30日をもって無期限で活動休止することが発表された。
2021年9月26日、Zepp Tokyo(東京都江東区)でラストライブ「DANCE SUMMIT The Final #2 〜Can't stop the dreamin'」を開催。
メンバーにはそれぞれメンバーカラーが存在し、結成当初から披露されていたオリジナル楽曲「DREAMIN'」を披露する際に着用した衣装のカラーが由来である。また、グループとしてのチームカラーは白。
コスチュームデザイン担当の北迫秀明によると、衣装のコンセプトは「近未来感」「エレガントさ」等であり、イメージカラーは白である。
TPDのスタイルをMMMatsumoto(松本昌幸)は、ガールズユニットの進化形と評しており、「そもそもアイドル/ガールズグループ自体が総合表現。音楽もダンスも映像・照明も衣装・メイクも演劇も何より演者本人という資質・キャラクターも、すべてが連動する表現の在り方。〜 この成り立ちをTPDは最大限で実践し、歌とダンスに止まりがちな今の活況に風穴を開ける」と述べている。
イベント・リリースイベント等の詳細は「公式ウェブサイト > SCHEDULE」を参照
※TPD DASH!!の公演は下記解説も参照のこと
詳細は「東京パフォーマンスドール (2014〜) > ディスコグラフィ」を参照
※最高位はオリコン週間ランキングに準ずる。なお、ランキングの集計において、チャート算入に一定の制限がある。
東京パフォーマンスドール
スタッフ関連
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TPD DASH!!
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