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アエロメヒコ航空


アエロメヒコ航空


アエロメヒコ航空(アエロメヒコこうくう、スペイン語: Aeroméxico)は、メキシコ最大の航空会社で、メキシコのフラッグ・キャリア。

概要

メキシコシティのメキシコ・シティ国際空港を本拠地にメキシコ国内、北米、南米、ヨーロッパ及び日本を含むアジアの50都市へ、毎日400便、またはアエロリトラルと共に750便以上運航を行っている。11年以上連続して、メキシコでも最多の定期運航を行う航空会社と見なされている。なお、「アエロメヒコ」はブランド名で、正式な社名は"AEROVIAS DE MEXICO, S.A. DE C.V."である。

主要な就航地はハブ空港であるメキシコ・シティ国際空港や、モンテレイのモンテレイ国際空港、グアダラハラのドン・ミゲル・イダルゴ・イ・コスティージャ国際空港である。また、アメリカ合衆国・ロサンゼルス国際空港へは、メキシコ国内の各都市から1日に数便から10数便の頻度で運航している。さらに日本やヨーロッパにも路線網を広げている。

2000年に世界有数の航空連合であるスカイチームの設立メンバーの1社となり、以降デルタ航空やエールフランス、大韓航空、KLMオランダ航空などと共に同アライアンスの有力メンバーとなっている。また、アライアンス外の航空会社とコードシェア運航を行っており、2019年から日本航空(JAL)とのコードシェア運航が始まった。

子会社に、リージョナル航空会社として主にメキシコシティからの地方路線を運航するアエロメヒコ・コネクトがある。機内誌は「escala」がある。

歴史

創立

「アエロナベス(Aeronaves)」という名前で、1934年9月15日に設立された。初飛行は1934年9月23日メキシコシティからアカプルコまでの運用だった。

第二次世界大戦中は、アメリカのパンアメリカン航空の援助を受けていた。その後チワワやティフアナなどへのメキシコ国内線を拡充した。

拡大期

1950年代には、双発機のダグラスDC-3で国内線やキューバなどのカリブ海沿岸諸国など近距離国際線を、ダグラスDC-4で国内幹線やヨーロッパやアメリカなどの中長距離国際線を運航し、マドリードとパリ2都市への運航を開始し、国際線での地位を確立した。

1950年代後半にダグラスDC-6やブリストル ブリタニアを投入し、旧態化したダグラスDC-4と置き換え、アメリカのアイドルワイルド国際空港(現在のジョン・F・ケネディ国際空港)とメキシコシティ間で運航した。

国有化と改名

1959年に国有化されることとなった。1962年には初のジェット機であるダグラスDC-8を導入し、その後国際線をダグラスDC-6やブリストル ブリタニアと置き換えることになり、これらの機種は国内線専用となった。

1964年に開催された東京オリンピックの際には、大会関係者を運ぶためにダグラスDC-8で東京国際空港へ特別便を運航した他、東京オリンピックに次いで1968年に開催されたメキシコオリンピックのオフィシャルキャリアにもなっている。その後社名を現在の「アエロメヒコ」に改名した。

航空会社統合

1970年代には劇的な変化をした。メキシコ航空局による国内線の新規路線開設抑制政策で、当時8つもあったメキシコの航空会社を一挙に吸収合併した。これにより同じく国内線と国際線を運航するメヒカーナ航空と主要路線分け合いつつも路線網を伸ばすことになった。

フリートの統一

1974年には初のワイドボディ機であるマクドネル・ダグラスDC-10を導入し、ヨーロッパ線やアメリカ線に投入したほか、同年にはダグラスDC-9も導入した。

その後ダグラスDC-9の導入により1970年代中に国内線の完全ジェット化を実現したほか、便数や路線網の急増を受けて日本航空などからダグラスDC-8-62の中古機を購入した。

さらに1980年代には、ダグラスDC-9の後継のマクドネル・ダグラス MD-82のローンチカスタマーの一つになるなど、積極的にマクドネル・ダグラスの機材を導入、フリートをマクドネル・ダグラス機で統一した。

国営会社の破産宣告

1988年4月に、メキシコ政府は資金が底をつき、政府が所有するすべての企業の破産を宣告した。当時保有機材のほとんどが20年以上経過していた。そこで3か月間再建策を模索し、同年8月再建を明示した。その内訳は保有機材の一部退役や民営化、本部の設立、ハンガーの整備、機材の一部個人所有というものであった。

この際にダグラスDC-8の様な旧式機材や、マクドネル・ダグラスDC-10などの効率の悪い大型機を整理し、その代わりに効率の良い最新鋭機のボーイング757やボーイング767-200ERを発注した。

再度の拡大

1989年にアメリカのフェニックスに乗り入れを開始し、1991年にはボーイング767-200ERの引き渡しを受けて、1992年にはドイツのフランクフルトとイタリアのローマに乗り入れた。

さらに当時深刻な経営難に陥っていたアエロペルーの株式の47%を取得し、1995年にはペルーのリマへの乗り入れを開始するなど、積極的にその路線網を広げた。

スカイチーム立上げ

1990年代には、新規航空会社の参入や燃料費の高騰などの理由で、メキシコ国内での競争は徐々に厳しさを増した。これを打開すべく国際線の展開を積極的に進め、1995年にはデルタ航空とエールフランスと提携関係を結び、2000年にはこれらの2社や大韓航空などとともに、世界有数の航空連合の1つである「スカイチーム」の立ち上げメンバーの1社となるに至った。また旺盛な需要に対応すべくボーイング777を導入した。

現在

2006年には日本の成田国際空港に就航し、2010年代に入るとボーイング787を導入したことで、日本以外のアジアにも路線網を広げている。さらに国内線にも継続的に最新鋭機の導入を進めている。

また国内線の一部を、小型ジェット機のエンブラエルERJ-145やE190などで運航する、子会社の「アエロメヒコ・コネクト」に移管することで、経営効率の改善を行っている。

しかし新型コロナウイルスの影響による運航停止で2020年6月30日、アメリカ国内で連邦倒産法第11章の適用を申請。アエロメヒコ側は、この申請によりフライトの予約や従業員の給与に影響はないとし、今後、運航本数を国内線で2倍、国際線で4倍に増やすことを発表した。

就航都市

国際線

メキシコを代表する航空会社として多数の長距離国際線を運航している。旧宗主国であるスペイン(マドリード・バルセロナ)を主軸とし多くのヨーロッパ路線を運航する。アジア路線に定期直行便を自社運航しているラテンアメリカ唯一の会社であったが、南米チリのLAN航空(現在はLATAM航空)によってB787シリーズを使用したオセアニア及びシンガポール行きなど、南半球における太平洋横断線も複数の会社で運航されるようになった(2016年現在)。

ボーイング737以上の大きさの機材で運航される国際線はビジネスクラス「クラセ・プレミエ」とエコノミークラスの2クラスで運航されている。また、ボーイング767やボーイング777などのワイドボディ機で運航される国際線のビジネスクラスには、ライフラット型もしくはシェルフラット型のビジネスクラスシートが装備されている。なおボーイング787では、フルフラットタイプのビジネスクラスを搭載。2016年から直行便化した成田国際空港への10時間を超える直行国際便では、最新鋭のボーイング787が投入されている。

国内線

アジアでの就航状況

日本へは、2006年11月に初のアジア路線として成田-メキシコシティ(ティフアナ経由)線をボーイング767-200ER型機で就航開始した。2008年には上海への就航を開始し、中国へ進出した(往路・復路ともにティフアナ経由)。

2014年9月には成田-メキシコシティ線の経由地がモンテレイ(復路のみ)経由便になり、2016年1月にボーイング787-8型機投入より往路・復路ともにメキシコシティ-成田間が直行便化された。この直行化によって大幅に日本から中南米各地への移動時間短縮が実現し、カリブ海諸国へも大きく空路利便性が向上し、自動車製造業などでは大きな経済効果が出るといわれている。その後、2017年3月より成田-メキシコシティ線が週7便のデイリー運航に増便された。また、2017年10月には日本航空とのコードシェア運航を行うと発表され、2019年2月より開始された。

アエロメヒコ航空はボーイング787の受領以降、メキシコからアジア直行長距離路線の強化に踏み切っており、2016年中にアジアでの就航地を1つ増やすということを示唆し、2017年5月27日よりソウルへ就航した。他に候補地として北京などが挙げられた。日本については三大都市圏である名古屋や大阪が挙がった。

保有機材

同社が発注したボーイング社製旅客機の顧客番号(カスタマーコード)は52で、航空機の形式名は737-752、737-852、777-252ER、787-852などと表記される。

運用機材

退役機材

  • ボーイング707-320
  • ボーイング737-700
  • ボーイング757-200
  • ボーイング767-200ER/300ER
  • ボーイング777-200ER
  • ダグラスDC-8-50/60/62
  • ダグラスDC-9-10/30
  • マクドネル・ダグラス DC-10-15/30
  • マクドネル・ダグラス MD-82/MD-83/MD-87/MD-88

事故

  • 1973年アエロメヒコ航空229便墜落事故-インテルナシオナル・リセンシアド・グスターボ・ディアス・オルダス空港の近くで起こった墜落事故。乗客乗員27名全員死亡した。
  • 1981年アエロメヒコ航空230便着陸失敗事故- ヘネラル・ロベルト・フィエロ・ビジャロボス国際空港での着陸時のスリップ事故。乗客60名、乗員6名のうち、30名が死亡した。
  • 1981年アエロメヒコ航空110便墜落事故
  • 1986年アエロメヒコ航空498便空中衝突事故
  • 2009年アエロメヒコ航空576便ハイジャック事件
  • 2017年 アエロメヒコ航空642便(ボーイング737)と小型トラックがロサンゼルス国際空港の誘導路上で衝突し、8人が負傷した。
  • 2018年7月31日アエロメヒコ・コネクト2431便事故 - ドゥランゴ(es:Aeropuerto Internacional de Durango)からメキシコシティに向かっていたアエロメヒコ・コネクト2431便(エンブラエル E190、XA-GAL)が離陸直後に墜落した。

脚注

外部リンク

  • アエロメヒコ航空(日本語)
  • Aeroméxico(スペイン語)(英語)
  • Aeroméxico (@aeromexico) - Instagram

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: アエロメヒコ航空 by Wikipedia (Historical)