特別養子縁組(とくべつようしえんぐみ)とは、児童福祉のための養子縁組の制度で、様々な事情で育てられない子供が家庭で養育を受けられるようにすることを目的に設けられた。民法の第四編第三章第二節第五款、第817条の2から第817条の11に規定されている。
子供が養親と縁組した後も実親子関係が存続する普通養子縁組とは違い、特別養子縁組は養子と実親との法的な親子関係を解消させ、養子と養親が実親子と同様の関係を成立させる制度である。ただし、近親婚を禁止する規定は例外的に実親の親族との間でも適用される。
特別養子縁組の条件として子供が養子縁組できるのは、子供の年齢が15歳になるまでと制限されている(ただし15歳未満から養親候補から事実上養育されており、やむを得ない事由で15歳までに申し立てが出来ない場合は15歳以上でも可能)。
特別養子縁組の離縁は、「養親による虐待、悪意の遺棄その他養子の利益を著しく害する事由があること」「実親が相当の監護をすることができること(実父母の双方がすでに死亡している場合は対象外)」「養子の利益のために特に必要があると認めるとき」と家庭裁判所が認めた場合のみ可能であり、その場合は離縁の日から実親らとの親族関係が復活する。
なお、里親制度と養子縁組が混合されがちであるが、里親委託は里親が(実親の生活が安定するまでなどの)一時的に子供を養育する制度であり、里親と子供の戸籍上の繋がりは発生しない点が養子縁組とは異なっている。
2020年4月施行の民法等の一部を改正する法律では特別養子縁組における養子となる者の年齢の上限を原則6歳未満から原則15歳未満に引き上げるとともに、特別養子縁組の成立の手続を二段階に分けて養親となる者の負担を軽減する改正が行われた。
不妊治療を終えると決意した夫婦が特別養子縁組の選択肢を検討することがあるが、厚労省は親の年齢制限は設けていない。しかし自治体によっては、親と子供の年齢差を40歳~45歳程度に制限しているところもある。
朝日新聞「GLOBE」副編集長 後藤絵里は日本国外では出産前に妊娠相談と養子縁組を合わせて相談する仕組みができているのに対し、日本の児童相談所は出産後の対応に限ったものになっていると指摘している。
菊田医師事件とは、1973年に産婦人科医菊田昇による乳児の出生書の偽装が発覚した事件で、特別養子縁組成立の発端になったとされている。
宮城県石巻市の産婦人科医であった菊田昇医師は、人工中絶、特に妊娠7か月以上で時に生きて出生する乳児の生命を絶つことに疑問を抱いていたことから、中絶を希望する妊婦に対し、出産して乳児を養子に出すように説得していた。同時に、子宝に恵まれないために養子の引き取りを希望する夫婦を地元紙で募集し、乳児を無報酬で養子縁組をしていた。その数は100人以上に及ぶと言われている。
だが、当時の日本は特別養子縁組に関する法律規定が無く、養親が実子のように養子を養育できるように、また実母が出産した経歴が戸籍に残らないようにとの配慮から、乳児の出生証明書を偽造していたことが発覚。しかし、この事件を契機に、法律に違反しながらも100名以上の乳児の命を守ったことへの賛同の声が巻き起こり、実子として養子を育てたいと考える養親や、社会的養護の下に置かれる子供が社会的に認知され、要望に応える法的制度が必要だという機運が高まった。
妊娠7か月以上の胎児の堕胎も禁止された。記録書籍として 「この赤ちゃんにもしあわせを 菊田医師赤ちゃんあっせん事件の記録」菊田 昇 著 / 243頁/ 人間と歴史社刊がある。
愛知方式とは、1982年に愛知県の児童相談所で始まった赤ちゃん縁組である。乳幼児は家庭で愛情を持って育てられるべきという考えをもとに、児童福祉司の矢満田篤二が取り組み始めた。矢満田篤二は虐待死により死に至るケースで最多なのが、出生日の赤ちゃんであり、加害者の9割が母親であることを重視している。
愛知方式では、妊娠をしたが自分は育てられない女性がいるという連絡が児童相談所などに入った場合、妊娠中からの実母の相談に乗り出産前から実母のケアをする。一方で行政側が養親を選定し、養子縁組を行う。
妊娠中から悩む実母のケアを行うのは、海外における養子縁組では一般的であるものの、当時の日本では画期的であった。愛知方式は現在の日本における特別養子縁組のあっせん方法の基礎となり、民間あっせん団体は多くがこの方式を活用している。
特別養子縁組前提を前提とした「新生児里親委託」とも呼ばれる。養親の候補者の夫妻は、性別や障害の不問、産みの親から引き取り希望があった時には、真に子供の幸せになることであれば育てた子供を返すこと、また取材協力をすることなどの9箇条への誓約を経なければならない。
なお、子供との年齢差を考慮し、親の年齢は40歳までとされている。不妊夫婦では、縁組後実子を授かるケースがあるため、養子との関係を考慮して暫くの間の避妊も指導するなど、養子の幸福に配慮している。また、出産女性の身や立場を考慮し、妊婦を自宅から離れた地で「ホームステイ預かり」することもある。
家事平成27年度司法統計「9 家事審判・調停事件の事件別新受件数 家庭裁判所別 」によると、裁判所別の特別養子縁組成立件数は、東京73件に続き、愛知63件となっている一方、甲府、大阪、奈良など一けた台のところも多く存在する。
1987年、民法改正によって特別養子縁組が導入され、翌年に施行された。
特別養子縁組の条件として子供が養子縁組できるのは、子供の年齢が6歳になるまでと制限されていた(ただし6歳未満から事実上養育していたと認められた場合は8歳未満まで可能であった)。
同時に厚生労働省によって「養子縁組斡旋事業の指導について」という通知が提出され、あっせん事業者は都道府県や政令指定都市に、業務開始の届けを提出することが義務付けられた。
家庭裁判所の特別養子縁組の認容件数は、当初は普通養子縁組をしていた親子が特別養子縁組に切り替えるなどしたため年間約1200件の特別養子縁組が行われた。その後は認知度の低さもあり350件前後にとどまっていたが、近年は支援活動の活性化などもあり増加傾向にあり、2014年度は513件の縁組が成立している。
2019年の法改正により、養子となる者の年齢が「原則6歳未満」から「原則15歳未満」に引き上げられ、15歳になる前から養親となる者に監護されていた場合は18歳未満まで審判請求が可能となった。
養子と養親のマッチングについて、厚生労働省の通知等にも見られるように「あっせん」という用語が広く使われてきたが、現在では「あっせん」に代わり「マッチング」等の用語の使用を積極的に行う団体も多い。
特別養子縁組の成立には、養子と養親のあっせんが不可欠であり、その仲介は児童相談所と民間あっせん事業者、医療機関が担っている。
特別養子縁組成立までの流れは、児童相談所での登録を経て縁組するか、民間あっせん事業者での登録を経て縁組するかによって異なっている。登録後に養親が実際に養子を受け入れるまでの待機期間についても、数週間から数年間までケースにより大きく異なる。
特別養子縁組は、父母による養子となる者の養護が著しく困難又は不適当であることその他特別の事情がある場合において、子の利益のため特に必要があると認めるときに成立するものとされている。
年齢以外では、健康で安定した収入があることなどが要件である。
一部の民間あっせん事業者では、配偶者のうち一方が専業主婦(夫)になりうることが求められる場合もあるが、民法上の規定はなく、そのような要件がない事業者も多い。
特別養子縁組が必要とされる背景として、以下の2点が指摘されている。
2014年度において513件の特別養子縁組が成立し、統計上は養子縁組を望む妊婦よりも養親希望者の方が多いにもかかわらず、家庭養護の下に置かれる子供の数は依然として増えていない。その背景としては以下の5点が挙げられている。
多くの民間事業者は、政府からの支援がない中で養子縁組にかかる諸経費をまかなうため、養親に費用を負担してもらうことで運営している。
欧州諸国や韓国など多くの国では、養子縁組は産みの親と暮らすことのできない子供のための福祉として捉えられていることから縁組のあっせんにかかる制度的基盤が整えられ、あっせんを行う事業者についても多くの支援が行われており 縁組の際の養親の費用は掛からない。ドイツでは養子縁組斡旋法が制定され、地方自治体は斡旋に従事する常勤の専門職を最低2名置かれた公的な斡旋機関を設立することが義務付けられている。民間団体も規定を満たせば人件費や事務所経費をカバーできる額の補助金が協定によって地方自治体から支払われ、利用者が自分に合った斡旋と相談サービスを同一の条件で受けられるようにしている。またアメリカは無償ではないものの、同じく養子縁組は子供のための福祉と考えられていることから、養子縁組にかかる費用には免税措置がある。 日本では、国からの補助金等の支援が全く行われていないことから、民間事業者への国の支援のあり方も含めた議論が必要だとの指摘もある。
2020年夏、文京区にあった養子縁組斡旋団体が東京都の許可を受けている最中、申請を取り消したうえで都とも連絡が取れなくなった自体が起こった。18年4月の養子縁組あっせん法により斡旋は許可制度になったが法施行前から運営する事業者は、申請の審査中は「経過措置」で活動が可能だったため期間中の斡旋により新たな生みの親、養親に被害を拡大させた。今後も出生に纏わる書類の管理が課題となっている。
国際養子縁組とは、国籍の異なる養親と養子との間で成立する養子縁組を指す。
国際養子縁組の総成立件数は把握されていないものの、日本国内の法律がないため養子縁組にかかる手続きが比較的容易である等の理由から、養子縁組大国である米国での受け入れも多い。米国国務省によると、1999年から2012年の13年間で日本から米国に養子に出された事例は483件、2012年度は21人であった。国際養子縁組は、多くの先進国が養子を受け入れる中で、このように日本が養子送り出し国となっていることについては一部の有識者から批判がある。国際連合が1989年に採択した『子どもの権利条約』においても、国内養子縁組ができない場合の次善の手段として位置づけられている。
韓国では1970年代から1990年代にかけては海外養子縁組が拡充した。産業化、都市化の進展において、未婚の母が急増。未婚の母から生まれ子供たちは、海外養子縁組に出された子供たちの大部分にあたる が、国連子どもの権利条約に批准した1990年以降、施設収容より家庭的養護が重視され始め、養子縁組は里親制度と並ぶ要保護児童対策として重要な役割を占めていると認識されるようになった。その結果、海外養子ゼロを目標に、国内養子縁組を優先させる方策が次々と打ち出された。要保護児童を家庭で育てる政策として、斡旋にかかる手数料の支払いや、子供が13歳になるまでの養育費の補助などが行われる他、心理治療についても支援がある。また、2008年には、日本の特別養子縁組制度に類似した、新しい親養子制度が施行されている。
一方で、海外では日本に比べ障害児の養子受け入れが進んでいる等、国際養子縁組が養子の最善の利益になる場合もあるため、一概には否定されるべきではないという意見もある。これらの状況を受け、近年、国内では国際養子縁組が多い背景の一つとされている、国内の制度基盤の未整備に立法化の動きもでてきている。
ダウン症などの障害を持つ子供を産み、育てられないという理由で特別養子縁組にわが子を出すことを希望する親が増えていると感じすると話すNPOがいる。しかし親が手放す理由によっては裁判で認められないケースもあり、経済的に豊かであり兄妹は育てているがダウン症の子供を手放すことを希望したケースでは認められず、母親が障害児の子供を育てる自信がなくうつ病となりやむを得ないと認められたケースもあった。特別養子縁組に取り組むBabyぽけっとでは、最近障害のある子を特別養子縁組に出したいという依頼が増えすぎ、障害のある子の引き取りを制限している。その一方で障害のある子供の特別養子縁組に取り組むNPO法人もあり、障害児と理解した上で引き取る人々もいる。
2012年、超党派の議員を中心として、養子縁組あっせん試案 が作られたが、養子に関する規定の明確化を目指し、あっせんにかかわる団体について現在の届出制を都道府県による許可制に改め、金品授受に関する規定をつくるなど、国内の養子縁組を活性化させる上での基盤づくりに資する法案「民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法律」 が、2018年に施行された。
2009年4月には代理母出産をした母子について特別養子縁組が初めて認められたり、2014年4月には性同一性障害で男性から性別変更した大阪府の30代女性が結婚後に児童養護施設から引き取った3歳男児との特別養子縁組が認められるなど している。
2016年11月、営利目的で養子あっせんした容疑で民間団体が捜索される事件 が起き、東京の夫婦が「縁組成立せず苦痛」を受けたとして養子あっせん団体を提訴した。また、2018年のあっせん法実地後、要件を満たさない団体が不許可になるなど、あっせん事業団体の事業運営に質の担保を求める動きが進んでいる。
2016年には、日本全国の有志の自治体及び広範な関連民間団体による「子どもの家庭養育推進官民協議会」が設立され、養子縁組・里親委託をはじめとする家庭養護の提供を官民協働の元、優先的に進めることを目的にしている。
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