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ジョック・クリア


ジョック・クリア


ジョック・クリア(Jock Clear、1963年9月12日 - )は、イギリスの自動車技術者であり、自動車レースのフォーミュラ1(F1)のエンジニアとして知られる。日本語では「ジョック・クレア」と表記、発音されることもある。

経歴

初期の経歴

ポーツマス出身のクリアは地元のポーツマス・グラマースクールを卒業した後、スコットランド・エディンバラのヘリオット・ワット大学で学び、機械工学の単位を得て1987年秋に卒業した。

デザイナー

卒業後は造船会社で働いていたが、ある時、ヒストリックカーイベントで友人が古いF1車両を走らせ、その手伝いをしたことがきっかけでクリアは自動車レースに興味を持ち、1988年にローラ・カーズに入る。ローラでは、当時F1のラルース用の車体設計をしていたクリス・マーフィーの下で設計エンジニアとして働いた。ここでクリアはCAD/CAMといったコンピュータ支援を用いた設計手法の開発や、コンポジット(複合素材)についての開発で手腕を発揮したことで、その評判は他チームにも広まった。

そうして、1989年にベネトン・フォーミュラに2年契約で雇われ、ジョン・バーナードの下でコンポジット設計の責任者として働いた。その後、バーナードはチーム代表のフラビオ・ブリアトーレと決別したことで1991年半ばにチームを去り、それに伴ってクリアもレイトンハウスに移籍した。

レイトンハウスではグスタフ・ブルナーの下でシニアデザイナーを務めていたが、1年ほど経った頃、ローラ時代の上司で当時チーム・ロータスでシニアデザイナーを務めていたマーフィーから声がかかり、ロータスに移籍した。

レースエンジニア

ロータスでは当初は設計部門で働いていたが、1994年に同チームのドライバーであるジョニー・ハーバートのレースエンジニアに任命され、クリアは以降20年以上に渡り、レースエンジニアとしてキャリアを重ねることになる。

レースエンジニアを始めてほどなく、ロータスは破産したため、クリアはウィリアムズに移り、1995年はデビッド・クルサードのレースエンジニアとなった。

1996年、移籍したクルサードの後任としてチームに加入したジャック・ヴィルヌーヴの担当レースエンジニアとなる。ヴィルヌーヴは1997年にウィリアムズでチャンピオンとなった後、1999年に新チームのブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR / B・A・R)に移籍し、この際、クリアもヴィルヌーヴと共に同チームに移籍した。

ヴィルヌーヴは2003年にチームを去ったが、クリアはその後も同チームに留まり、同チームがホンダ、ブラウンGP、メルセデスと変遷していく中で、さまざまなドライバーのレースエンジニアを担当した。(→#担当ドライバー)

2014年に担当したドライバーのルイス・ハミルトンがチャンピオンとなり、同年末にクリアはスクーデリア・フェラーリと契約した。

フェラーリには(ガーデニング休暇の後)2016年にシニアパフォーマンスエンジニアとして加入し、2019年はシャルル・ルクレールのレースエンジニアを務めるとともに、以降はフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)のコーチを務めている。

担当ドライバー

クリアがレースエンジニア時代に担当したドライバーは下記の通り。

  • ジョニー・ハーバート (1994年・ロータス)
  • デビッド・クルサード (1995年・ウィリアムズ)
  • ジャック・ヴィルヌーヴ (1996年 - 2003年・ウィリアムズ、B・A・R)
  • 佐藤琢磨 (2003年 - 2005年・B・A・R)
  • ルーベンス・バリチェロ (2006年 - 2009年・ホンダ、ブラウン)
  • ニコ・ロズベルグ (2010年 - 2011年・メルセデス)
  • ミハエル・シューマッハ (2011年 - 2012年・メルセデス)
  • ルイス・ハミルトン (2013年 - 2014年・メルセデス)
  • シャルル・ルクレール (2019年・フェラーリ)

人物

若い頃はラグビーに打ち込んでおり、ヘリオット・ワット大学在籍時も学業の傍ら、ラグビーをしていた。

栄典

  • 2007年・名誉工学博士(ヘリオット・ワット大学)

脚注

出典

Collection James Bond 007

外部リンク

  • Jock Clear - Grandprix.com (英語)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: ジョック・クリア by Wikipedia (Historical)



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