ヒッポメドーン(古希: Ἰππομέδων, Hippomedōn)は、ギリシア神話の人物である。長音を省略してヒッポメドンとも表記される。テーバイ攻めの七将の1人。アルゴス王タラオスあるいはアリストマコスの息子。ヒュギーヌスによるとアドラーストスの姉妹メティディケーとムネーシマコスの子。パウサニアースも同様にアドラストスの姉妹の子と述べている。エピゴノイの1人ポリュドーロスの父とされ、妻の名はエラトスの娘エウアニッペーという。
ヒッポメドーンは巨人族を思わせる大男で、ミュケーナイで生を受け、レルネーの沼地の近くに居を構えていた。パウサニアースはレルネーのポンティノス山にヒッポメドーンの館の跡が残っていたことを報告している。もっとも、彼は館での生活よりも原野で暮らすことを好み、幼少の頃から文学の楽しみに浸ることをせず、狩りや乗馬を楽しみ、心身を鍛錬することに励んだという。後にヒッポメドーンはアドラストス率いるアルゴスのテーバイ遠征軍に参加した。アイスキュロスの『テーバイ攻めの七将』とソポクレースの『コローノスのオイディプース』ではともにテーバイを攻める七将の1人として4番目に名前が挙げられている。一方でエウリーピデースの『救いを求める女たち』のプロロゴス後すぐのアンティゴネーがテーバイを包囲するアルゴス軍を見つめる場面では1番目に、同じく『救いを求める女たち』の終劇間近のイオカステーが戦況の報告を聞く場面、および『フェニキアの女たち』では3番目に名前が挙げられている。しかしアルゴス王アドラストスを除く他の武将たちと同様に、ヒッポメドーンもまた生きて帰ることが出来ない運命にあった。
テーバイを包囲した七将はそれぞれテーバイの7つの門のうちの1つを攻撃したと伝えられている。アイスキュロスによるとヒッポメドーンが攻撃したのはオンカ・アテーナー門であった。エウリーピデースはこの門をオーギュギアイ門と呼び、アポロドーロスはオンカイダイ門と呼んでいる。
アイスキュロスはヒッポメドーンを尋常ならざる戦士として描いている。その大きな特徴は彼の武装であり、火と黒煙を放つ怪物テューポーンの姿を描いた巨大な丸盾を装備していた。テーバイ王エテオクレースはヒッポメドーンの出で立ちを聞くと、雷を手にしたゼウスの姿を描いた丸盾を持つオイノープスの子ヒュペルビオスをヒッポメドーンと戦わせた。アイスキュロスはこのようにヒッポメドーンとヒュペルビオスの戦いを神話におけるテューポーンとゼウスの戦いになぞらえることで、ヒッポメドーンが戦死することを暗示している。
エウリーピデースでは、ヒッポメドーンは中央に百目巨人アルゴスを描いた盾を持っていたが、アルゴスの眼のいくつかが夜になると開き、夜明けとともに閉じる作りになっていたため、遠くからこの盾を見たアンティゴネーの目にはヒッポメドーンが光を発しているように見えたという。
アポロドーロスでは、ヒッポメドーンはアスタコスの子イスマロスに討たれた。なお、息子のポリュドーロスは通常はエピゴノイに数えられているが、アポロドーロスではエピゴノイに含まれていない。
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