日野自動車株式会社(ひのじどうしゃ、英: HINO MOTORS, LTD.)は、東京都日野市に本社を置く、主にトラック・バスといった商用車を製造するメーカーである。通称「日野」、略称「日野自」、ローマ字表記は「HINO」。トヨタ自動車の連結子会社でトヨタグループ16社のうちの一つ。日本のトラック・バス製造業界の大手。日経平均株価及びJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ。
2024年(令和6年)末に予定されている三菱ふそうトラック・バスとの経営統合をもって、トヨタ自動車の子会社ではなくなる。
主にトラックやバスなどの商用車の生産を手がけ、トヨタブランドのライトバンダイハツ工業に集約)や小型乗用車、小型・普通ピックアップトラック、スポーツ・ユーティリティ・ビークル(SUV)などの受託生産も行っている。親会社のトヨタが陸上自衛隊へ納入する73式中型トラックやトヨタ向け普通トラック用ディーゼルエンジンの生産、あるいは軍用ハイブリッドシステムも共同開発している。
2004年(平成16年)3月期に、連結決算で売上高が1兆円を超えた。2019年(平成31/令和元年)も1兆9,813億円で過去最高益を更新している。日本国内の大型・中型トラックで2021年(令和3年)現在、48年連続で販売台数が1位、大型トラック顧客満足度調査で11年連続で1位、小型トラックも6年連続で1位である。
2007年(平成19年)に海外向け販売台数が国内向けを上回り、現在は総販売台数の7割以上を海外向けが占めている。世界93カ国で販売しており、台湾、タイ、インドネシア、マレーシア、パキスタン、ペルーなどではシェアが首位である。2013年(平成25年)に世界で初めてハイブリッドトラック・バスのグローバルでの累計販売台数が1万台を超えた。全世界の大型トラック製造メーカーの中でも毎年生産台数トップ10にランクしている。
1966年(昭和41年)にトヨタ自動車の傘下に入り、2001年(平成13年)にトヨタが株式の過半数を取得して子会社化した。合理化のためにバス部門はいすゞ自動車と経営統合して2004年(平成16年)10月に日野自動車・いすゞ自動車共同出資の新会社(ジェイ・バス)に移行し、日野は観光バス、いすゞは路線バスを開発して相互供給する形となり、いすゞと共通の車両がジェイ・バスから日野へ供給されている。
いすゞは日野の母体になった会社で、2006年(平成18年)から2018年(平成30年)までトヨタ自動車との資本提携関係にあったため、日野との関係も深い。ジェイ・バスの立ち上げに伴い、西日本車体工業(西工)へのシャシ供給を取りやめている。2006年(平成18年)から一部の路線車に限り、西工へのシャシ供給が再開したが、それも2010年(平成22年)の西工の解散と共に終了した。また、2018年(平成30年)4月にはバス・トラック分野でドイツのフォルクスワーゲンと包括提携することが発表されている。
2022年(令和4年)3月に発覚した日本国内向けエンジン不正問題により、同年3月期は約847億円の赤字となった他、同年3月以降、日本国内向けの製品は出荷停止となった製品が相次いでおり、2024年(令和6年)1月現在で日本国内で発売されている車種は3車種のみとなっている(後述)。
東京都八王子市の日野自動車21世紀センター内にトラック主体の企業博物館である日野オートプラザが設けられている。
東京瓦斯電気工業株式会社(瓦斯電:がすでん)が今日の日野自動車の母体とされている。
東京瓦斯電気工業はその名の通り、明治時代末期から大正時代にかけて、普及期にあったガス・電気器具を生産した。第一次世界大戦時には海外から薬莢の大量受注などにより業績を伸ばし、航空機用国産エンジン「神風」なども生産している。「TGE」(Tokyo Gas Electric Engineering Co. の頭字語)のブランドで、日本でも初期の自動車量産に取り組んだ。
1930年代、大型車両生産を強化する国策により、東京瓦斯電気工業株式会社の自動車部と自動車工業株式会社、および共同国産自動車株式会社とが合併し、ヂーゼル自動車工業(現・いすゞ自動車、設立当初は東京自動車工業株式会社)を設立した。その後、戦時体制下の国策により、総合車両メーカーのヂーゼル自動車工業から特殊車両製造部門の日野製造所が分離独立されて、日野自動車の元となる日野重工業が設立され、九七式中戦車などの軍需車両の製造を行わせた。
企業系譜としてはいすゞ自動車の分派ではあるが、日野製造所が星子勇ら瓦斯電系出身の技術者を主軸とした製造拠点であったことから、日野自動車では自社のルーツを瓦斯電に求めている。そのほか、瓦斯電を母体とした会社にはトキコ、小松ゼノアなどがある。
終戦後の1946年(昭和21年)には民需転換により日野産業に改称。ディーゼルエンジン技術を生かして当時としては異例の超大型トレーラートラック・バスを開発、次いで1950年(昭和25年)以降は通常シャシ(単車)の大型ディーゼルトラック・バスの生産も開始して、母体企業のいすゞと競合する大型車両業界の有力メーカーとなった。
1953年(昭和28年)には、フランスのルノーの技術供与を受け、小型乗用車ルノー・4CVのノックダウン生産を行い、後に完全国産化を果たした。その後自社開発のリアエンジン(RR駆動)小型乗用車「コンテッサ」、ピックアップトラック「ブリスカ」、前輪駆動で4輪独立懸架のワンボックスカー「コンマース」など、先進的な自動車を開発・生産していたが、1966年(昭和41年)のトヨタ自動車との提携以後は、再びトラック・バスの開発・生産に特化して現在に至る。
2010年12月22日、茨城県開発公社より茨城県古河市名崎4112番1外の古河名崎工業団地(旧NTT名崎無線送信所跡地、古河市立名崎小学校南側)を約59億円で取得した(2009年1月に予約していた)。2012年から新工場を建設している。2011年の移転発表当時には、海外輸出のKD工場を2012年まで移管するとした。最終的には2025年までに日野工場の全ての機能を古河新工場に移管する予定。
バスについては、トヨタ自動車・いすゞ自動車からのOEM車種もあるが、ジェイ・バスから日野自動車・いすゞ自動車の両社に同一製品が供給される統合車種に移行が進んでいる。
クレーン、杭打ち機、フォークリフト、ロードローラー、プレジャーボート用小型船舶エンジン、コンプレッサー、発電機用として国内外各社にエンジンを供給している。
北米向けについては、北米工場におけるエンジン認証の遅れにより、2021年10月から600シリーズはカミンズ製エンジンを搭載して販売を再開する他、小型トラックに関してもいすゞ自動車からのOEM供給が決定している。
2022年3月に発覚した日野自動車エンジン不正問題により一時、日野自動車開発の車両が全て生産停止になったが、2022年9月には日野セレガ・いすゞガーラを除き生産再開。(プロフィア・セレガ・ガーラもA09C搭載車のみ2023年7月に再開済み)
2024年1月29日、豊田自動織機のエンジンの排ガス認証試験の不正発覚により、デュトロ(HINO 200、HINO 300 Series、トヨタ・ダイナ)向けのエンジンである1GD型の出荷停止により、同羽村工場の稼働が停止した。また、これ以外にも「N04C/HC-SCR」を搭載する車両の製造も停止した。
廃止された型式および車名を示す。
オート三輪は三井精機工業製で1960年代初頭まで日野で販売された。
1960年代の乗用車を開発していた頃は、「日野プロト」「日野GTP」などと呼ばれるクローズドタイプのプロトタイプレーシングカーを開発して日本グランプリに参戦していた。1967年にはシェルビー・デイトナをデザインしたピート・ブロックが日野エンジンを用いたマシンで、「ヒノ・サムライ」というチーム名に加えて三船敏郎を監督に据えて話題となったが、車両規定違反により出走が認められなかった。
また併催のフォーミュラカーレースにも、日野のエンジンを用いるチームがいた。
1990年以降日本国内の大型車メーカーでは唯一、ダカール・ラリーに「日野・レンジャー」で参戦している。チームオペレーションはダカール出場のギネス記録を保持する菅原義正とその息子菅原照仁のチームである「チームスガワラ」で、彼らは日野のワークス支援のなかった1993~1995年、1998年~2005年、2023年〜もプライベーターとして日野のトラックで参戦し続けるほど関わりが深い。1997年のダカールではトラック部門総合では史上初となる1・2・3位独占、排気量10L未満トラックとして初優勝、国産トラックとしても初優勝という歴史的な記録ずくめの勝利を収め、「リトル・モンスター」の異名を取った。その後設定された排気量10リッター未満クラスにおいては、2022年大会までで12連覇・31回連続完走を達成している。2019年には、専任のチーフエンジニアや車両開発の最先端にいる技術者を結集させた「新生チームダカール」を社内にも発足させ、さらなる活動の強化が執られている。また、2020年にはAT(オートマチックトランスミッション)、2022年にはレーシングハイブリッドシステム(蓄電池はキャパシタ)を採用するなど、新技術の開発にも活かしている。
2023年は10L未満クラスが消滅し、日野のエンジン認証不正の煽りもあったものの、チームスガワラの単独活動として参戦が継続されている。
なお1999~2002年のダカールでは、ラリーの最後尾を走り選手の安全を確保するスイパートラックとしてプロフィアが採用されていた。
2000年代にインディカー・シリーズの強豪チームであったチーム・ペンスキーとスポンサーシップ契約を締結していたこともある。
1980年代前半の「風のレンジャー」と称されたレンジャーのCMに桂歌丸、佳那晃子、ジャンボ鶴田の3人を起用した。続く1986年発売のレンジャー+5 のCMには「日野」つながりで日野皓正の曲をBGMに使用した。1989年のレンジャーフルモデルチェンジの際には、トラックのイメージ一新を狙い、ダイアン・レインを起用した。また1990年代前半にはスーパードルフィンのCMにケニー・Gの曲にイルカのCGイラストが流れるもの、1992年のモデルチェンジ時には役所広司出演のCMも流れた。1990年代後半のデュトロ発売当時はともさかりえがCMに出演していた。2004年以降はポパイが同CMに起用されており、「日野ダイナミックスコープ→日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲」の影響があってか文化放送で比較的多く(1日中)流れていた。近年はTBSラジオやニッポン放送でもCMを流す。かつて放送されていたABCラジオの近鉄バファローズアワーでは試合中継の際にスポンサーとなっていた。これは大阪近鉄バファローズの親会社であった近畿日本鉄道(近鉄バス)との関係が深いためである。
2010年代は「トントントントン日野の二トン」という軽快なキャッチフレーズと対照的な、堤真一とリリー・フランキーの繰り広げるシュールギャグのCMが人気を集めている。
トラックだけでなく、バスのCMも流す事もあった。モデルチェンジ時に制作され、セレガ(初代)のCMはバブル期の1990年ということもあり、大々的な宣伝活動を行っていた。
テレビCMは、フジテレビの「ご存知 女ねずみ小僧」・「新・座頭市」・「大空港」・「裸の街」・「欽ちゃんの9時テレビ」・「江戸の用心棒」・「超潜入!リアルスコープハイパー」・「ボクらの時代」・「おじゃマップ」・「VS嵐」・「フジテレビ水10ドラマ」・「FNSの日」、関西テレビの「にじいろジーン」、TBSの「ドラマチック22」・「ブロードキャスター」・「さんまのSUPERからくりTV」、日本テレビ火曜8時枠時代劇、24時間テレビ 「愛は地球を救う」のスポンサーも務めていたが、「踊る!さんま御殿!!」の番組途中で降板するも、2011年10月にテレビ東京系列の「乃木坂って、どこ?」(テレビ愛知制作)、ミニ番組「ひるパパ」で久々にテレビ番組のスポンサーになった(提供コメントでは「日野・デュトロ」と読み上げている。沖縄での日本テレビ火曜20時枠でのCMは沖縄テレビで放送された)。また、2013年4月にTBSの「水曜プレミアシネマ」に1992年以来のスポンサーとして提供するようになった。
JFN系列土曜もしくは日曜5:00 - 13:00の時報CMにも起用されている。
書籍・雑誌ではバスラマ・インターナショナルに書籍広告を出している。バブル期には漫画ゴラクに広告を出していた。
1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)発生時は近畿地方のテレビ・ラジオのCMを自粛する処理で対応し、それ以外のエリアでは通常通りCMを流していたが、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、未曾有の災害と東京電力・福島第一原子力発電所での事故などの被害を受けて3月15日 - 4月21日まで全てのラジオCMを自粛した。4月22日にラジオCMを再開するも当面は企業CMや緊急災害時のトラック運転に対する心構え、燃料の節約に関するお願いなど「日野自動車が今、何かできること」を宣伝していた。7月1日より主力トラックのデュトロの新CMを制作、放送すると同時にイメージタレントに佐々木蔵之介、柳沢慎吾、新山千春を起用したテレビCMスポットとラジオCMを流している。この3人には実家が自営業であるという共通点があり、特に佐々木の実家佐々木酒造は実際にデュトロハイブリッドのユーザーでもある。また、ブランドCMとして、ダカールラリーへの挑戦「明日を止めないために」を放送している。
2022年4月から4年間、羽村市動物公園のネーミングライツを取得し、『ヒノトントンZOO』の名称で営業する。
日野工業高等学園は、日野自動車株式会社が職業能力開発促進法に基づき運営する認定職業訓練による職業能力開発校で、東京都日野市にある。もとは1951年4月に、労働基準法に基づき、中学校卒業後入社した社員を対象とした3カ年教育の技能者養成所で、事業内職業訓練施設として認定される。これを1959年6月に「日野自動車工業高等学園」と改称。1962年11月から、学校教育法に基づき文部大臣の指定を受けて指定技能教育施設となり、東京都立八王子工業高等学校との連携を開始。1964年4月には、科学技術学園高等学校と連携を開始した。1970年代後半から1980年代にはしばらく休止していたが、1991年3月に「日野工業高等学園」として機械科と板金科の2科で再開、また、4月には専修コースを設置した。その後自動車整備科、電気制御回路組立科を追加した。2003年に専修コースの募集は休止したが、2022年現在は、機械加工科、塑性加工科、製造設備科、自動車製造科の4科で運営されている。
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