1957年に創部され、以後兵庫県尼崎市に本拠地を置いて活動してきたヤンマーディーゼルサッカー部が前身となり、1995年にJリーグへ加盟した。ホームスタジアムはヨドコウ桜スタジアム 。チーム名の「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で「桜」という意味。桜は日本の国花であり、大阪の「市花」で、大阪市全体を、そして日本を代表するチームになるようにという願いが込められている。ホームタウンは加盟当初より2013年までは大阪市のみであったが、2014年に堺市が追加された。2023年には大阪府庁と地域活性化での包括連携協定を結んだ。
なお、ガンバ大阪、FC大阪などと区別するため「C大阪」(CはCerezoの頭文字)や「セ大阪」などと略記される。
エンブレムには、「桜」、水都・大阪の川をイメージした「ストライプ」、そしてグループで狩りをする「オオカミ」といったチームコンセプトが描かれている。
ユニフォームは桜をモチーフにしたピンク色が採用されており、メインカラーが同色であることは世界的に珍しい。他にはパレルモFCやインテル・マイアミCFなどがある。
マスコットはコンセプトの一つである狼の「ノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ」(愛称ロビー。"高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家のオオカミの息子"という意味がある)。2008年より、ロビーの母親として「エレガンテ・エスプレンディーダ・マダマ・ロビーナ・デ・セレッソ」(愛称マダム・ロビーナ、「優雅で華麗な、由緒あるセレッソ家の“オオカミの令夫人”」という意味)が加わった。
かつては上位争いをした翌年にJ2に降格した事が3度あったが、2017年以降はJ1に定着し安定した成績を残している。
所属期間中に最もゴールを決め、人柄の良さもクラブカラーに影響を与えた象徴的な選手である森島寛晃が着用した背番号8番は特別な番号とされている。この番号を着用した歴代の6人全員がワールドカップに出場している。また、2番目に多くゴールを決めた西沢明訓が着用した背番号20番も特別視されている。
前身は1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部。兵庫県尼崎市に本拠地を置き、日本サッカーリーグ(JSL)で4回、JSLカップで2回、天皇杯で3回それぞれ優勝した。
こちらのページも参照。
こちらのページも参照。
ホームスタジアムはヨドコウ桜スタジアム(長居球技場)である。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「セレッソ大阪の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。
セレッソ大阪のトップチームまたはその下部組織が使用する練習場は、次のとおりである。
・セレッソスポーツパーク舞洲(大阪市此花区北港緑地1丁目2番25号)
・南津守さくら公園スポーツ広場(大阪市西成区南津守1丁目3番57号)
・ヤンマーフィールド尼崎(尼崎市常光寺1丁目2)
トップチームのトレーニングは2013年から舞洲スポーツアイランドに所在するセレッソスポーツパーク舞洲内の、「セレッソ大阪スポーツクラブ クラブハウス・グラウンド」を使用している。この練習場は既存の舞洲球技場を大阪市から賃貸し、天然芝化やクラブハウスの新設などしたもの で、天然芝2面・新設の人工芝1面があり、下部組織チームも使用している。
なお、2012年まで練習場として使用していた南津守さくら公園スポーツ広場はセレッソ大阪堺レディースやアカデミーが使用している。また2010年以降は毎年9月中旬から約1か月間行う天然芝の養生期間に限りJ-GREEN堺を使用することもある。以前は舞洲島内北部にあった旧・舞洲グラウンド(現在の施設とは別の場所・2010年4月閉鎖)や尼崎市のヤンマーグラウンド(前身のヤンマーディーゼルサッカー部時代の練習拠点。現在は下部組織チームが使用。)も使用していた。
セレッソ大阪U-23(セレッソおおさか・アンダートゥエンティースリー、略称表記:C大23)は、2016年から2020年にかけてJ3リーグ(J3)に参加していた、セレッソ大阪所属の23歳以下の選手で構成されるサッカーチーム(U-23チーム)。
2015年12月15日、Jリーグの理事会において2016年シーズンよりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表され、初年度参加チームの一つとして承認された。「タフな試合環境の中でトップチームを担う次の才能を開花させる」との思いを込めて、SAKURA NEXT(サクラ・ネクスト)という独自愛称が与えられている。
U-23を育成の一番上のカテゴリー(もしくは育成とトップチームの間)として位置づけ、トップチームと別に練習を行ってチームの育成を図っている。
日刊スポーツが2019年7月16日付 の記事で、Jリーグが2020年を最後としてU-23チームの参戦を終了させる方向である見込みと報じたとおり、「セレッソ大阪U-23」は2020年シーズンをもってJ3リーグへの参加およびチーム活動を終了した。
初年度の監督には、2014年シーズン途中からトップチームの指揮を執り、2015年にはアカデミー(U-18)の監督を務めた大熊裕司が就任。また、初年度では若手がトップチームに上がることが少なかったが、序盤戦にオーバーエージ枠で出場していた清原翔平がトップチームに這い上がった。
大熊体制2年目。開幕戦では瀬古歩夢、喜田陽といった高校1年生も選ばれ、平均年齢17歳で挑んだ。また、序盤こそは選手の入れ替わりがあって苦しんだが、斧澤隼輝、西本雅崇がトップに絡み、ユースの小林洵が試合を重ねて成長をした。
大熊体制3年目。第3節から第12節にかけて10戦負け無し(5勝5分)を記録し一時は2位にも入った。その後は2度の連敗もあって順位を落とすが、第23節から第26節にかけて4連勝を記録するなど、最終的にはチーム発足後初めて勝利数が敗戦数を上回り、順位も過去最高の7位でシーズンを終えた。個人では、米澤令衣が得点ランク6位の12ゴールを記録する活躍を見せた。
大熊体制4年目。序盤から好調を維持し、第6節では首位に立った。最終的には前年の過去最高順位を更新して、6位でフィニッシュした。
「-」:改修中につき閉鎖
ユニフォームデザイン及びユニフォームのサプライヤーはトップチームと同じ。
セレッソ大阪のアカデミーは、各年代別日本代表にも多くの選手を輩出しており、アカデミー出身の柿谷曜一朗や山口蛍、扇原貴宏、杉本健勇、南野拓実らが日本代表に選ばれている。また、セレッソ大阪の育成組織である「ハナサカクラブ」にも注目が向けられている。
2016年から長期的な「SAKURA SPECTACLE」というクラブ哲学が発表され、アカデミーの名称をスペイン語で「セレッサ」と呼ぶことになった。
2021年、風間八宏が技術委員に就任しアカデミーの育成方針が変更された。同年8月からは、おおむね月1回のペースで、小学生から高校生までの各年代のチーム、ヤンマーレディース(2023年のプロ化に伴って改名)やその下部組織選手らから選ばれた選手が同じグラウンドに集まり、ボールを「止める」「蹴る」といった基本動作から、技術を高め、個の力をつけるための特別なトレーニングに取り組んでいる。また、その年代・性別バラバラの選手でチームを組み、対外試合を行っている。
2022年夏、クラブユースの全てのカテゴリーを制覇し、史上初のクラブユース三冠を達成したアカデミーとなった。8月3日、日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会でセレッソ大阪U-18が優勝。8月8日、日本クラブユース 女子サッカー大会(U-18)でセレッソ大阪堺ガールズが初優勝。8月24日にはセレッソ大阪U-15が日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会で初優勝。
セレッソ大阪のアカデミーは年代別の選抜チームとして、第2種(高校生年代)の「U-18」、第3種(中学生年代)の「U-15」、「西U-15」、「和歌山U-15」、第4種(小学生年代)の「U-12」がある。これらは、次のようなピラミッド構造を形成している。
2009年にはレディースU-15(セレッソ大阪レディース)が設立され、2013年よりなでしこリーグ2部相当の「なでしこチャレンジリーグ」参入を果たすなど、女子選手の育成にも力を入れている。
ハナサカクラブは、セレッソ大阪の育成組織をサポートすることを目的に設立した育成サポートクラブ(個人協賛会)で、2007年に発足した。個人や団体などから年度ごとに会費を募り、合宿や遠征、練習試合、食事などの費用補助にする。ハナサカクラブの会費はクラブ運営費とは完全に分けられ、育成組織の活動をサポートするためのみに活用される。
ユースを含めたすべての育成組織のチームは2012年より、セレッソ大阪スポーツクラブが運営している。
セレッソ大阪の決算は、つぎのとおり。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou