全日本GT選手権(ぜんにほんジーティーせんしゅけん、Japan GT Championship, JGTC)は、1994年から2004年に掛けて行われた自動車レースの1カテゴリーで、SUPER GTの前身である。
1993年より「全日本GT選手権レース」として開催され、1994年に「全日本GT選手権」に名称が変更された。年間数レースを日本を中心に海外でも開催し、参加チーム、ドライバー、はその成績毎にポイントを獲得し、その年間トータルのポイントでシリーズチャンピオンを決定する。当時ル・マン24時間レース等で主流になりつつあったGT車両によるレースで、市販四輪車に改造を施した車両のレースであり、ル・マン24時間などのレギュレーションを参考に始まったものが、日本独自のカテゴリーに変化していった。
初年度の1993年は日本自動車連盟 (JAF) のN3規定で開催されたものの、エントリーした車は2台のみで、レースも全9戦中4戦のみ開催だった。それでもレース成立条件が出走2台以上、シリーズ成立条件が全3戦以上開催と緩かったため、シリーズは成立し影山正彦がチャンピオンに輝いた。
シリーズチャンピオンを獲得した翌年には、GT500は「1」、GT300は「0」のカーナンバーを付けることが出来る。
シリーズの海外進出も行われ、2000年よりマレーシアのセパンサーキットでレースを開催(2000年・2001年はオールスター戦、2002年からはシリーズ戦)したほか、2004年にはアメリカでもオールスター戦を開催した。2005年より国際シリーズ化したことからJAFの管轄下から離れ、全日本選手権がかけられなくなり、名称もSUPER GTへ変更された。
2つのクラスが設置されていた。1995年まではGT1(第1部門)とGT2(第2部門)と呼ばれていたが、1996年以降はそれぞれGT500クラスとGT300クラスと名前が改められた。
GT500クラス (GT1)はJGTCのトップクラスで、約500 PS の車両で争われる。このクラスの車両は、富士スピードウェイや鈴鹿サーキットなど長い直線を持つコースでは最高速度が約300 km/hに迫り、国際的にも注目された。参加チームの多くは国内外で活躍し、国際的にも通用するレーシングチームや、自動車メーカーによるワークス活動が盛んであった。
GT300クラス (GT2)は、約300 PS の車両で争われる。このクラスはパワーが低い分、改造個所が少なく済むため、有力なプライベートチームが参加し、車両間の格差も少なく、常に激しいレース展開を見せていた。初期の頃はグループB規定やIMSAシリーズ、JSS等の車両が参戦していた時期もあった。
予選・決勝の上位成績マシンには重りの搭載を課すことによって、同クラス内の全マシンの実力の拮抗を図っていた。上位成績を重ねるごとにウエイトハンデも増す規定の為、当然ながら、勝ち続けることは困難なシステムだった。
参加車両の競争力を均衡させるため、レギュレーションの改正が頻繁に行なわれた。そのため海外メーカーの車両が継続的に参戦することは難しく、国内メーカーの為のレースとなってしまった。その傾向は特にGT500クラスで顕著で、今までの日本のツーリングカーレースと同様に参加メーカーの減少、車種の減少、プライベートチームの参加が困難になると言った弊害が出た。
参戦の噂があったり、参戦準備がなされていたものの参戦そのものが頓挫した車両の中には、マツダ・コスモ、三菱・GTO、アルピーヌ・A610、TVR・グリフィス、フェラーリ・F40LM、デ・トマソ・パンテーラ、サード・MC8Rなどの名があった。
※2005年以降の参戦車種はSUPER GTの項を参照。
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