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寛延


寛延


寛延(かんえん、旧字体:寛󠄁延󠄂)は、日本の元号の一つ。延享の後、宝暦の前。1748年から1751年までの期間を指す。この時代の天皇は桃園天皇。江戸幕府将軍は徳川家重。

改元

  • 延享5年7月12日(グレゴリオ暦1748年8月5日) 桃園天皇即位による代始改元
  • 寛延4年10月27日(グレゴリオ暦1751年12月14日) 宝暦に改元

なお、当初4月25日改元の予定であったが、前将軍徳川家継の33回忌法要当日にぶつけてきたことから幕府が激怒、さらに朝鮮通信使も来日中と言うことで強く反対して、改元を進めたいとする朝廷との間に紛糾を招いたものの、2ヵ月半の延期で両者が折り合った。

出典

『文選』の「開裕之路、以天下之英俊也」から。

寛延年間の出来事

  • 元年 画譜・画論書『芥子園画伝』(元禄年間に伝来)翻刻。
  • 元年 土佐藩に關公膳という医者が京都から招かれ、日傘の風習を土佐に初めて持ち込む。以降、長らく日傘は「公膳傘」と呼称される。
  • 元年8月 『仮名手本忠臣蔵』(人形浄瑠璃) 大阪・竹本座で初演。同年歌舞伎化。
  • 元年9月 加賀騒動で配流されていた大槻伝蔵自害。
  • 元年10月 寺社奉行大岡忠相が奏者番を兼任、1万石の大名になる。
  • 元年12月15日 琉球からの慶賀使、将軍家重に拝謁。
  • 2年 土佐藩にて上士が日傘を使い始め、「手傘」と称する。
  • 2年1月 姫路寛延一揆
  • 2年5月
    • 幕府が定免制の全面施行を布達。
    • 稲生平太郎、備後三次で怪奇現象に出会う。後年、このできごとを基に『稲生物怪録』がまとめられた。
  • 2年7月
    • 播磨大水
    • 池大雅、金沢の四序閤で『陸懊奇勝図巻』(重要文化財)を描く。
  • 2年5月29日 直方隕石落下(貞観3年(861年)に落下とも)。
  • 2年11月15日 尾張藩主徳川宗勝が幅下学問所を「明倫堂」と命名する。
  • 2年12月24日 会津寛延一揆(金曲騒動)
  • 3年11月 幕府が農人の苗字帯刀禁止を再び行う。
  • 3年12月8日 幕府が寺社の富突きを禁止。
  • 4年 松前藩が加藤嘉兵衛を樺太に派遣。
  • 4年7月18日 田沼意次が側用取次に就任。

誕生

  • 2年 大田南畝(狂歌師・戯作者)、田沼意知(江戸幕府元若年寄)
  • 3年 蔦屋重三郎(版元)

死去

  • 3年 桜町上皇(115代天皇、宝算48)
  • 4年 徳川吉宗(8代将軍・大御所、享年68)

西暦との対照表

※は小の月を示す。

脚注

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参考文献

  • 山本博文 編『見る、読む、調べる 江戸時代年表』(初版)小学館、2007年10月6日。ISBN 978-4096266069。 
  • 兼本雄三「姫路藩寛延一揆の研究」修士論文、兵庫教育大学、1988年。 
  • 中田 勇次郎『文人画論集』中央公論新社、1982年8月1日。ISBN 978-4120011320。 

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 寛延 by Wikipedia (Historical)