ツチクジラ属(槌鯨属、Berardius)は、鯨偶蹄目ハクジラ亜目アカボウクジラ科に属する属の一つ。ミナミツチクジラとツチクジラとクロツチクジラの3種が属する。
和名のツチ(槌)は、頭部の形状が稲藁を叩く槌に似ているからとされる。
属名の「Berardius」は、ミナミツチクジラの頭蓋骨をニュージーランドからフランスに運んだ船の船長であるBerardに由来する。
ミナミツチクジラの種小名の「arnuxii」および英名の「Arnoux's」は、同船の船医であったArnouxに由来する[www.cetacea.org]。
ツチクジラの種小名の「bairdii」および英名の「Baird's」は、鳥類・魚類学者でありスミソニアン博物館の副館長も務めたスペンサー・フラトン・ベアードに由来する。
クロツチクジラの英名は、北海道の標津町と羅臼町でホエールウォッチングのガイド等を務めてきて、本種の発見に貢献した佐藤晴子氏に因んでいる。種小名の「minumus」は、「最小の」を意味する。なお、新種として認定される以前は、「カラス」や「クロツチ」などの呼称で地元民などに知られていたとされる。
ツチクジラ属(Berardius)
ミナミツチクジラとツチクジラは大きさも近く、外観も非常に似通っている。そのため、分布こそ南半球と北半球に分かれているものの、一部の動物学者は同一の種が変異して別々の種に分かれたという説を唱えている[McCann(1975)]。
ミナミツチクジラは、ニュージーランドで発見された頭蓋骨に基づき、1851年、Duvernoyによって新種として報告された。
ツチクジラは、ベーリング海で発見された試料に基づき、1883年、Stejnegerによって新種として報告された。
クロツチクジラは、北海道沿岸に漂着した試料に基づき、2019年に新種として報告された。なお、ソビエト連邦時代から「オホーツク海のキタトックリクジラ」が報告されていたが、これが本種を指していたのかは不明である。
ツチクジラはアカボウクジラ科の中では最も大きいハクジラであり、ハクジラ全体ではマッコウクジラに次ぐ大きさとなる。海上で観察された最も大きなミナミツチクジラの推定体長は12mであるが、標本として入手できているものはそれよりもかなり小さい。一方、ツチクジラは成長すると12mから13m程度に達する。
ミナミツチクジラとツチクジラの両種とも、アカボウクジラ科の中でも比較的長い口吻を有する。下顎が上顎よりも長く、口を閉じた状態でも下の前歯が見える。
頭部メロンは、アカボウクジラ科の中でも特に膨らんだ形状を持つ。体型は細長く、胴回りは体長の50%程度に過ぎない。 体色はほぼ一色であり、個体による違いがあるが、明るい灰色から黒である。胸びれは小さく、丸くなっている。同じく背びれも小さく、丸くなっており、全長の3/4くらいの位置にある。両種とも全身に白い引っかき傷がある。この傷の個数は加齢とともに増えていくため、各個体の年齢の大雑把な見積もりに使用することができる。また、両種とも性による外観の違いはほとんどない。
クロツチクジラは体色が黒みがかっているため判別は容易だが、ミナミツチクジラとツチクジラの外観は非常によく似ている。 生息域が重なっていないため海上で識別する必要はないが、もしも生息域が重なっていたならば、識別は非常に困難になっていただろう。 身体の大きさはクロツチクジラは6〜7mと小さいが、ミナミツチクジラとツチクジラでは若干異なっており、ミナミツチクジラの方がツチクジラよりも少し小さい。
ミナミツチクジラとツチクジラの生息域は重なっておらず、完全に分かれている。両種とも、基本的には深海性だが、海底渓谷が陸地付近に迫っている地域などやその付近では陸上から観察できるほどの沿岸で見られる場合もある。
ミナミツチクジラは南極海に棲息する。 ニュージーランドやオーストラリアの海岸への座礁が少なくないことから、これらの国の南部海域から南極大陸までの海域においては、比較的一般に棲息しているものと考えられている。サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島や南アフリカ、ニュージーランドなどにも棲息しているため、南極海の広い海域に棲息していると考えられている。また、最北端の座礁の報告例は南緯34度であるため、極地に近い寒冷な海域だけではなく、温暖な海域にも棲息すると考えられる。
一方、ツチクジラは北太平洋、日本海、オホーツク海の南部などに棲息する。大陸棚の端近くの沿岸側あたりを好むと考えられている。北限はベーリング海、南限は東側はバハ・カリフォルニア半島、西側は(太平洋側の通常は)伊豆半島や伊豆大島や(日本海側の通常は)富山湾であるが、隠岐や朝鮮半島や大分県の蒲江や東シナ海の舟山諸島などでも記録されている。熊野灘や中国大陸(黄海の膠州湾など)でも日本の捕鯨業者によって捕獲されていたことを示唆させる資料も存在する。
日本列島の沿岸部では、個体数が減少したゆえか、日本海全体や房総半島や東京湾の様に個体数が大きく減少したり安定した回遊が消滅したと思わしい海域も散見されるが、北海道、久六島、佐渡海峡、相模湾と伊豆大島、富山湾などでは現在も目撃自体は多くないものの回遊が存続しており、網走市と知床半島ではホエールウォッチングの対象になっており、積丹半島の沿岸でもイルカ類の観察業やダイビングの最中に目撃されることもあり、檜山郡の沿岸でもハートランドフェリーなどからの目撃情報を収集して観光への利用を模索する動きもある。
クロツチクジラは、アラスカ、アリューシャン列島、サハリンなどでもストランディングなどが知られるが、北海道の知床半島と国後島の間の根室海峡が世界でも特に観察事例が多く、後述の通り、知床半島と網走市ではホエールウォッチングの最中に観察される事もある。
ミナミツチクジラの全生息数は不明である。
ツチクジラの全生息数の見積もりは3万頭以上である。
ミナミツチクジラの生態はほとんどわかっていないが、ツチクジラに似ているものと考えられている。
ツチクジラは、通常は3頭から10頭程度の群を成して行動するが、稀に50頭程度の群が観察される。 群の構成は良くわかっていない。
雌の方が雄よりも若干大きいので、捕獲の困難さに雌雄の差がないならば、雌の捕獲頭数の方が雄よりも多いことが予想されるのだが、実際には全捕獲頭数の2/3が雄であるため、調査捕鯨の結果からも群の構成は良くわかってはいない。
主な餌は魚類、頭足類などである。潜水深度は千メートル近くになり、深海性の大型のイカを捕食する事もある。
時には連続して海面から飛び出すジャンプ(ブリーチング)や、海面から周囲を観察する行動であるスパイホッピング、尾びれを海面に叩きつけるペックスラップなどの海面行動を見せることもある。
なお、コマンドルスキー諸島には通年を浅い沿岸水域で過ごす特異な個体群が存在する。
IUCNの2006年版レッドリストでは、両種とも「低リスク-保全対策依存」 (LRcd : Lower Risk - Conservation Dependent) に分類(1996年)されている。
ツチクジラもミナミツチクジラも「ボン条約」の保護対象種に指定されているが、日本では現在も商業捕鯨の対象になっている。なお、日本政府が捕鯨問題において捕鯨を正当化するために用いた「鯨食害論」は国内外の識者からの批判を受けており、2009年6月の国際捕鯨委員会の年次会合にて、日本政府代表代理だった森下丈二水産庁参事官が鯨類による漁業被害(害獣論)を撤回している。
なお、日本列島においても古くから捕鯨をタブー視する風潮も多く、捕鯨を禁止したり捕鯨に反対する住民が暴動を起こした事例も存在する(捕鯨問題#文化としての捕鯨を参照)。
ミナミツチクジラは捕鯨の対象となったことはない。 不明な点もあるが、おそらく絶滅の惧れはあまりないものと考えられている。
一方、ツチクジラは、20世紀、主に日本によって捕鯨の対象になっていた。 日本は1986年の商業捕鯨モラトリアムまでに約4,000頭を捕獲した。 最も多いのは1952年の年間300頭であった。 ソ連、カナダ、アメリカも頭数は少ないが捕鯨を行っていた。 ソ連は1974年に捕鯨を中止するまでに176頭のツチクジラを、カナダ、アメリカは1966年に中止するまでに60頭のツチクジラをそれぞれ捕獲した。
現在日本は、自主規制による頭数制限(ツチクジラはIWCの管轄外)に従ってツチクジラを捕獲しており、その肉は日本の市場で流通しており、ミンククジラよりも多い。現在行われている程度の捕鯨頭数が種としての存続を脅かすことはないと考えられている。
千葉県、房総半島南部の特産品としてツチクジラの肉から作られる鯨のたれが有名である。
近年、房総沖での発見・捕獲が困難になってきているとされるが、捕鯨の影響による個体群の減少なのか分布の変化なのかは不明とされる。同様に、浮島を始めとする東京湾では近年確認されている限りではストランディング個体のみのであり、相模湾や伊豆大島周辺でも確認が少なくなってきている。また、日本海では捕鯨の影響が暫く無かったため、人懐っこい個体が増えてきたとも言われるが、近年再開された捕鯨業が行動にどのような影響を及ぼすかは不明である。
食料として見た場合、ツチクジラの体内に含まれる微量の水銀に注意する必要がある。 厚生労働省は、ツチクジラを妊婦が摂食量を注意すべき魚介類の一つとして挙げており、2005年11月2日の発表では、1回に食べる量を約80gとした場合、ツチクジラの摂食は週に1回まで(1週間当たり80g程度)を目安としている。
木白による資料に基づく日本のツチクジラ捕鯨の推移である。
上記の通り、ツチクジラはオホーツク海や北海道を中心にホエールウォッチングの対象とされる場合があり、頻度こそ高くないものの、モントレー湾などアメリカ合衆国の沿岸のホエールウォッチングにおいても観察される事がある。しかし、過去には根室海峡にて観光業と商業捕鯨との間に軋轢が生じたこともある。
ミナミツチクジラは、分布などの生態情報も少なく観察自体が珍しいため、商業用の観光ツアーが主だった観察対象としている事例もない。
クロツチクジラは、網走市と知床半島ではホエールウォッチング船からの観察が記録されており、知床半島では陸上から観察される場合もある。
日本列島の周囲では、漁網への混獲や、とくに相模湾の伊豆大島の周辺や日本海側の沿岸にて、本種と高速船の衝突が懸念されている。
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