『白い巨塔』(しろいきょとう)は、フジテレビ系列で毎週土曜日夜9時より1時間枠(土曜劇場)で1978年6月3日から1979年1月6日まで放送された(8月26日は放送なし)テレビドラマ。全31回。本編総時間は約24時間。1979年1月20日には「総集編」も放送された。
主演は田宮二郎。山崎豊子の小説『白い巨塔』の3度目の映像化作品。その後リメイク版としてフジテレビ系列で連続ドラマが1作品(2003年版)、テレビ朝日系列でスペシャルドラマが2作品(1990年版、2019年版)製作された。
当時スキャンダル(借金・双極性障害など、詳細は田宮二郎の項目を参照)が物議をかもしていた田宮二郎(財前五郎役)の代表作かつ遺作(作品放映中に自殺)となった。
原作小説は『白い巨塔』と『続・白い巨塔』から構成されており、それまで映像化されたものは『白い巨塔』までであったものが、当作品で初めて『続・白い巨塔』までの完全映像化がなされた(現在、原作の新潮文庫版は正編・続編を合わせて『白い巨塔』全5巻として発売中)。
田宮二郎は、1966年の映画『白い巨塔』と1965年のラジオドラマ『白い巨塔』でも財前五郎役で主演していた。特に映画版は、内外で多くの賞を総なめにした歴史的名作である。
第1話の視聴率は18.6%であった(その後は後述参照)。
この作品は、主演の田宮二郎がドラマ化を強く要望し制作されたものであった。彼が映画版で財前五郎を演じた後に続編が書かれ、田宮は続編の結末までを演じたいと切望していた。以前にも田宮は2度にわたってテレビ局にドラマ化を提案していたが、以下の事情で実現しておらず、これは3度目の提案であった(1度目は1969年〈昭和44年〉、2度目はその数年後にドラマ化の企画をテレビ局に持ち込んだ経緯があったが、最初は五社協定により、2度目はスポンサーの了承が出なかったために実現しなかった)。また、映画で主演した当時は31歳であった田宮も、原作の財前の年齢設定(42歳)とほぼ同じ43歳になったこともあって、改めて財前を演じたいという思いが強かった。
以上の背景から、田宮の要望と原作者の山崎豊子をはじめとする周囲の協力もあって、3度目の映像化が実現した。
脚本家の鈴木尚之、原作の山崎豊子、田宮との話し合いの元に、原作に極力忠実でありつつも登場人物の性格を深く掘り下げた脚本が練られた。脇を固める俳優陣も当時の錚々たる顔ぶれが揃った。また、東佐枝子と花森ケイ子の役割が原作よりも大きくなった。
プロデューサーの小林俊一によると、田宮は本作でメスを持つ手にリアリティを持たせる為、カエルの解剖を幾度となく繰り返していたという。
このドラマにおける手術シーンのほとんどは、医師及び患者の許可を取って撮影された実際の映像である。クレジットタイトルには出てこないが、ロケは神奈川県伊勢原市の東海大学病院で行われた。田宮が同病院と懇意にしていたことから実現したものである。浪速大学医学部本館は、杉並区高井戸の社会福祉法人浴風会病院本館の外観を、オープニングの浪速大学医学部付属病院の外装は渋谷区渋谷の第一勧業銀行(東京事務センターの外観をそれぞれ撮影して当てた。なお、撮影は当時のフジテレビ河田町本社およびその周辺でも多く行われており、近畿がんセンターの建物は当時のフジテレビ本社スタジオ棟の正面玄関、浪速医師会会館の建物は2009年まで実在したフジテレビ第一別館の正面玄関に看板を付けて撮影された。
1978年3月26日から撮影開始。最初の撮影は第一外科教授室で胃噴門部癌患者・佐々木庸平への薬の投与を巡って財前と里見が論争するシーン(第13話)であったが、田宮は躁うつ病(双極性障害)を患っていたこともあって異常にテンションが高かったため、「このままでは後が大変になる」と危機感を抱いた里見役の山本學が撮影を中断すると、田宮は激怒してセットの裏側に隠れてしまい、山本學が田宮に何度も謝罪してようやく撮影が再開されたという。このように撮影に情熱を傾けたかと思いきや、「ウラン(一説には石油とも言われている)の採掘権を取得した」と主張して突如トンガへと1週間出かけ、あわや撮影中止になりかけることもあった。
第18話まで収録したところで、収録は1カ月の休暇に入り、田宮は7月29日にロンドンへ旅行に出発。戻って来ないのではないかという周囲の心配をよそに9月8日に帰国した。9月17日から後半の裁判編の収録が始まったが、テンションが高かった旅行前とは一転して欝状態に陥り、田宮は泣き崩れてばかりでセリフが頭に入らなくなっていた。妻やスタッフが必死に彼を励まし続け、共演者の協力もあって収録は11月15日に無事終了。
最終話ラストシーンの財前五郎の死のシーンに際して田宮は3日間絶食してすっかり癌患者になりきり、財前の遺書も自らが書き、それを台本に加えさせた。全身に白布を掛けられストレッチャーで運ばれる財前の遺体は、自ら希望して田宮自身が演じている。収録後には「うまく死ねた」とラストシーンを自賛したという。その時に流れたBGMはモーツァルト作曲、レクイエム『涙の日 Lacrimosa』。途中で遺族が立ち止り、解剖病棟までついて行かないのは実際のモーツァルトの葬儀をヒントにしたものである。
撮影終了後の田宮はすっかり虚脱状態になり、「財前五郎の後に、どんな役を演じたらいいかわからない」とプロデューサーの小林俊一に漏らすようになっていたという。
1978年12月28日に、田宮は猟銃自殺した。このことに世間は衝撃を受け、この時点でドラマの未放映回が2回分残っていたが、それまでは12 - 13%程度であった視聴率が12月30日の最終回直前回で急上昇し26.3%を記録し、最終回は31.4%まで大幅にアップした。番組関係者は主演俳優の自殺という悲劇が視聴率を上げたことで、視聴者に対して憤慨するコメントをしたとされている。
本放送では「完」と表記された後に「田宮二郎さんのご冥福をお祈りいたします」とテロップが挿入された。
1966年映画版
1967年版ドラマ
1990年版ドラマ
2003年版ドラマ
本放送後の再放送はフジテレビで3回、テレビ東京で1回あったが、年月を経てそれもなくなっていたところ、2001年に全話収録のビデオ全11巻、2002年にはDVD全9巻が発売され更に予告編も含む全話が完全収録されたDVD-BOXが発売され、現在はレンタル版もリリースされている。2003年には同じフジテレビにて、唐沢寿明主演で再ドラマ化され高視聴率を挙げたこともあって、田宮版が改めて注目されるようになり、2003年10月には石川テレビ(2話連続放送)が、2004年8月16日〜8月22日には、全31話を合計13時間に再編集した特別版がフジテレビ(関東地区)、仙台放送(ヨジテレビ! ドラマ枠内)で放送され、また2005年1月1日〜1月3日に、再びフジテレビ721で全話連続放送(放送時間は1日14:00〜22:30(1話〜10話)、2日14:00〜22:30(11話〜20話)、3日14:00〜23:00(21話〜31話))されたこともあって再び見直された。また、放送ライブラリーでは、第1話を閲覧することが出来る。
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