長谷部 茂利(はせべ しげとし、1971年4月23日 - )は、神奈川県横浜市栄区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。現在はJリーグ・アビスパ福岡の監督を務めている。
横浜市栄区のFC本郷出身。同クラブでの1学年後輩に有馬賢二。桐蔭学園高等学校では李国秀監督体制の第一期生として指導を受け、背番号10を背負い3年時には主将として第68回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、準々決勝で延長・PK戦の末に服部浩紀・鳥居塚伸人を擁した前橋商業高等学校に敗れた。高校の同期生に戸倉健一郎、1期下に林健太郎・福永泰、2期下に栗原圭介・松川友明がいた。高校卒業後の進路として大学サッカーの強豪・筑波大学への進学が候補として挙がっていたが、李のアドバイスを受け中央大学に進学してサッカー部に所属。大学での同期に岡島清延、1期上に沢田謙太郎、1期下に奥原崇・渡辺毅などがいたチームで3年生時(1992年)に第41回全日本大学サッカー選手権大会優勝を果たした。4年生時(1993年)の春にも李の助言を受け、卒業後の1994年にヴェルディ川崎に入団、同年Jデビューを果たす。V川崎のミッドフィールダー陣はラモス瑠偉がまだ健在な事に加え、ビスマルクや北澤豪らレギュラーの壁が厚かったが、その中でも多くの出場機会を得た。エースFWだった三浦知良は長谷部のプレーを「クレバーで確かな技術のある選手、キャプテンシーも備わっていた」と語る。出場機会が減少した1997年にジャパンフットボールリーグ所属(当時)の川崎フロンターレへレンタル移籍。
翌1998年にはヴィッセル神戸へと完全移籍。神戸では背番号10を与えられ攻守に中盤の要となり、キャプテンとしてチームを牽引。1999年セカンドステージでは神戸のそれまでの最高成績となる7位に貢献。2001年からはジェフ市原へ移籍。ここでも若手の多かったチームをキャプテンとしてまとめ、チームを過去最高順位の年間3位へ浮上させるのに貢献した。2003年7月末に契約満了により退団。
現役引退後、古巣である神戸で指導者としてユース年代を指導し、2011年からはトップチームのコーチに就任した。
2016年からもうひとつの古巣であるジェフユナイテッド市原・千葉のコーチに就任。同年7月、監督を解任された関塚隆に代わって監督に就任。シーズン終了まで指揮を執り、2017年からは再びコーチに戻った。
2018年より水戸ホーリーホックの監督に就任した。2019年には開幕から好調を維持し、最終節までJ1参入プレーオフ出場の可能性を残した。同年11月26日に退任が発表された。
2020年よりアビスパ福岡の監督に就任。新型コロナウイルスの影響によるリーグ戦中断を経験するも、クラブは史上初の12連勝を記録するなど中盤以降躍進し、最終的にJ2リーグ優勝の徳島ヴォルティスと勝点84で並ぶものの、得失点差による2位でJ1リーグ自動昇格を達成した。
2023年、リーグ戦は上位をうかがえる位置で推移し、天皇杯とルヴァンカップは準決勝に導く。天皇杯は川崎に敗れたものの、ルヴァンカップは名古屋を破り決勝に進出。決勝は浦和に勝利してクラブに初タイトルをもたらした。
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