新井場 徹(あらいば とおる、1979年7月12日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手でJFA登録仲介人。稲本潤一、播戸竜二と共にFC TIAMO枚方の創設に関わった。現役時代のポジションは左右のサイドバック。(主に左サイドバック)
ガンバ大阪ユース出身。ユース時代の同期生には稲本潤一、橋本英郎らがいる。トップチーム昇格時、夢として「満員の万博を自分のプレーで沸かせたい」と語っていた(入団後の初の満員の試合は1998年5月フランスワールドカップ直前のベルマーレ平塚戦。ゴール裏はトラブルにより応援自粛中だった)。
2001年9月に行われたトルシエ監督時代の日本代表候補メンバー合宿に招集されている。それまではドリブルを中心にサイドから切れ込んでシュートで終わるというのが彼のプレースタイルだったがこの合宿以後、トルシエから指導されたサイドを持ちあがりクロスを入れるプレーを多く見せるようになった。
その後、タイトルをとるために2004年に鹿島アントラーズへ完全移籍。移籍問題に揺れていた2003年12月20日の天皇杯(セレッソ大阪戦)でゴールを決め、ユニフォームのガンバエンブレムに惜別のキス。ガンバに別れを告げた。
2004年3月13日、J1開幕戦でいきなり古巣ガンバ大阪と対戦し、後半ロスタイムに同点ゴールを決めた。すぐにレギュラーに定着し、2007年から2009年には3連覇を経験した。2009年シーズンは同年加入したDFパク・チュホにレギュラーを奪われたが、シーズン後半にポジションを奪い返した。
2011年のJリーグ第32節では、チームメイトの負傷のため本職ではないセンターバックをこなした。
2013年、セレッソ大阪に完全移籍。2003年以来の地元大阪でのプレーとなる。2008年から単身赴任という形が続いており、家族のための移籍でもあった。
2014年シーズン終了後の12月末にセレッソから来季の構想外を言い渡され、他クラブからも正式オファーがなく、2015年1月19日に現役引退を発表した。
鹿島アントラーズで一番印象に残っている試合にアントラーズに移籍してきた年の開幕戦を挙げている。カシマスタジアムで古巣のガンバ大阪と対戦し、終了間際に同点ゴールを決める結果となったがそれまで育ててくれたガンバに対してうれしさ半分、不思議な感覚を味わったと振り返っている。
2015年7月5日に中田浩二、柳沢敦と合同での引退試合が行われた。
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