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1995年のJリーグ


1995年のJリーグ


1995年のJリーグは、リーグ戦が3月18日に開幕、11月25日に日程を終了し、11月30日、12月6日にチャンピオンシップを行った。リーグの優勝クラブはサントリーシリーズが横浜マリノス、ニコスシリーズがヴェルディ川崎で、チャンピオンシップにより決定された年間総合優勝は横浜マリノス

参加クラブ

1995年シーズンのJリーグのクラブは以下の通り。昨シーズンのジャパンフットボールリーグで準会員かつ上位2位に入ったセレッソ大阪と柏レイソルが新たに加わり、計14クラブとなった。

※前年度成績=1994年のJリーグ前後期を通算した順位を記載

レギュレーション

基本的に前年のレギュレーションを踏襲している。リーグは2ステージ制で行われ、14クラブが各ステージごとにホーム・アンド・アウェー2回戦各26試合×2ステージ=52試合(総試合数182試合×2ステージ=364試合)を戦う。リーグ戦の試合数が大幅に増えたため、このシーズンはヤマザキナビスコカップは行われなかった。

各試合の「完全決着方式」(前後半90分で決着が付かない場合、前後半15分ずつのVゴール方式による延長戦を行い、それでも決着が付かない場合はPK戦)は前年・前々年と同様であるが、この年から勝点制を採用し、「90分勝利」「Vゴール勝利」「PK戦勝利」に勝点3を、「PK戦敗北」に勝点1を与えることとした。各ステージの1位(ステージ優勝者)同士が2回戦制のJリーグチャンピオンシップを戦い、勝者が年間優勝、敗者が年間2位となる。なお、年間順位の3位以下は、チャンピオンシップに出場しなかった12クラブの間で「年間勝ち点→得失点差→総得点」の順で定めた。

前年・前々年同様、それぞれのステージならびにチャンピオンシップは冠スポンサー大会とされ、第1ステージを「サントリーシリーズ」、第2ステージを「日本信販・NICOSシリーズ」とそれぞれ称して行った。又、チャンピオンシップについてもサントリーが冠スポンサーとなり「サントリー・チャンピオンシップ」の名称で開催された。

このシーズンから、選手交代が3人まで行えるようになった。

スケジュール

サントリーシリーズは3月18日開幕・7月22日閉幕で行われ、NICOSシリーズは8月12日開幕・11月25日閉幕で行われた。サントリーチャンピオンシップは11月30日・12月6日に行われた。

キリンカップサッカーおよびアンブロ・カップに日本代表が参加するためサントリーシリーズ第16節終了後に1ヶ月の中断期間が設けられたこともあり、ほぼ全期間にわたって週2回開催というタイトなスケジュールとなった。

リーグ概要

サントリーシリーズは、この年前年のワールドカップでサウジアラビアをベスト16に躍進させたホルヘ・ソラリを招聘し、川口能活・松田直樹といった若手を積極的に起用した横浜Mが首位争いを演じるが、第16節で「個人的な理由」から横浜M監督のソラリが退任し、後任に日産OBの早野宏史を抜擢。監督交代直後には3連敗を喫するなどするものの、後続のチームのもたつきに助けられる形で横浜Mが初のステージ優勝を達成する。続くNICOSシリーズは地力を発揮したV川崎が3年連続でステージを制した。

一方この年はリーグ発足当初からの「Jリーグ人気」にやや陰りが見られる年ともなり、リーグ発足当初から続いていた「テレビ地上波での中継」(関東地区・録画放送含む)がNICOSシリーズ第3節で消滅、「プラチナチケット」とも呼ばれたスタジアムの観戦チケットも当日券が販売される状況となった。また、NICOSシリーズ第1節(8月12日)に横浜FのGK森敦彦が主審にボールをぶつける反則行為で3ヶ月の出場停止、NICOSシリーズ第11節(9月23日)の試合終了後、浦和DF田口禎則がサポーターに暴行しクラブ側の自主処分として同シーズンの残り全試合の出場自粛(リーグもこれを追認) など、不祥事の相次いだシーズンでもあった。

なお、清水エスパルスの清水市日本平スタジアムがサントリーシリーズから、浦和レッズの浦和市駒場スタジアムがNICOSシリーズからそれぞれ改修工事を終えて本拠地に復帰した。セレッソ大阪は長居スタジアム全面改築のための暫定処置として長居第2陸上競技場を本拠地として使用した。

順位表

  • 以下の順位表において、勝利数・敗戦数はいずれも90分での勝利数・敗戦数を示す。
  • Jリーグ公式記録 では、両ステージ通算の順位を公表していないが、便宜上集計したものを示す。

サントリーシリーズ

開催期間:3月18日 - 7月22日

NICOSシリーズ

開催期間:8月12日 - 11月25日

年間総合順位

上位2チームの順位はJリーグチャンピオンシップの結果により確定する。

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チャンピオンシップ

Jリーグチャンピオンシップについてはサントリーが冠スポンサーとなり、サントリー・チャンピオンシップの名称で開催された。

合計スコアが2-0となり、横浜マリノスが年間王者に決定。

テレビ中継
  • 第1レグ TBS系列・NHK BS1
  • 第2レグ フジテレビ系列・NHK BS1

表彰

ベストイレブン

得点ランキング

出典: J.LEAGUE Data Site

記録

  • Jリーグ通算2,000ゴール
    エジソン(ベルマーレ平塚 1995年8月12日 - NICOSシリーズ第1節vsヴェルディ川崎・等々力陸上競技場)

Jリーグ準会員

  • 京都パープルサンガ
  • ヴィッセル神戸(1994年11月承認)
  • 福岡ブルックス(同上)
  • 鳥栖フューチャーズ
    1995年のJFLの成績により1位・福岡と2位・京都のJリーグ入会が認められた

脚注

注釈

出典

関連項目

  • 1995年のスポーツ
  • 第75回天皇杯全日本サッカー選手権大会
  • アジアクラブ選手権1995-96

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 1995年のJリーグ by Wikipedia (Historical)