専修大学(せんしゅうだいがく、英語: Senshu University)は、東京都千代田区神田神保町三丁目8番地に本部を置く日本の私立大学。1880年創立、1923年大学設置。大学の略称は専大(せんだい)。
専修大学は1880年9月16日に開校した専修学校(現在の専修学校とは異なる)を前身とし、1922年に大学令に基づく大学となった私立大学である。旧制大学の一つであり五大法律学校の一校としても知られた。
大学の前身である専修学校は、1875年に日本人の官費留学生によってアメリカ合衆国で結成された「日本法律会社」にまで歴史はさかのぼる。当時、明治政府は近代国家の建設を目標に、西欧の先進的な文化を導入するため、積極的に海外留学政策を推し進めており、創立者たちもアメリカへ留学した人物である。1879年日本法律会社に所属していた相馬永胤と目賀田種太郎は、東京市京橋区(現:東京都中央区)に法律事務所を開設、そこへほぼ同時期に帰国した田尻稲次郎と駒井重格が加わり、アメリカ留学時に構想していた高等教育機関の設立へと動き出す。この構想に賛同した福澤諭吉は、まず慶應義塾内に教育機関を開設するように促した。こうして、1879年12月に開設されたのが慶應義塾夜間法律科である。また、同じくこの構想に賛同した箕作秋坪は、自分の私塾である三汊塾へ法律経済科を設置して、相馬らに教授を任せた。一方、日本法律会社は、東京大学法学部の卒業生らを加え、東京法学会へと発展し、東京攻法館という教育組織を結成していた。
慶應義塾や三汊塾の一部としてでは、自分たちの求める高等教育機関として不十分であると感じた相馬 らは、本格的に独立した高等教育機関を設立することを模索した。その結果、明治生命本館として使用されていた明治会堂を借り受けられることとなり、慶應義塾夜間法律科と三汊塾法律経済科、東京攻法館を統合し、専修学校を設置することにした。
明治会堂跡地(現在の東京都中央区銀座3丁目)には、専修学校発祥の碑が設けられている。これらの教育機関における実績をもとに、相馬ら8名は、1880年8月7日、東京府へ開校届出を提出し、イギリス法学系の私立旧制法律学校として認可された。その後、明治会堂の完成が遅延したが、福澤の好意で、簿記講習所を仮校舎として使用することとなり、簿記講習所で開校式が執り行われた。
当時、法律学を本格的に教える教育機関は、東京大学法学部や司法省法学校など極少数であり、東京大学法学部が英語、司法省法学校が仏語で教授していたのに対し、専修学校法律科は初めて日本語で英米法を教授する法律学校として多くの学生を集めた。
また、1880年に日本で初めて「経済科」(現在の経済学部)を設置した。日本最初の専門教育課程、高等教育機関において経済学を日本語で教授した学校である。これまでは経済学も個人的な教授は存在しただろうが、組織的にこれだけの大規模な経済学を享受できる機関の誕生は日本の学問に大きな功績を与えたといえる。
そのため法学部、経済学部が専修大学の看板学部である。
現在では7学部18学科・6大学院研究科を抱える、社会科学・人文科学(ネットワーク情報学部のみ文理融合の方針となっている [5])の総合大学へと発展した。
銀座に校舎を構えていたが、関東大震災や銀座地区の発展を受け、現在の神田神保町に校舎を移転した。当時の現在で言う九段、神保町、駿河台地域は武家屋敷が立ち並ぶ地域であったためにその風合いに倣い、黒色の門を構えた。上の写真がその門である。改築に伴いその門は解体されたが、140周年記念事業の一環として、モニュメントとして、復活し専大通り沿いに展示されている。
神田校舎は、千代田区の神田神保町に位置し、神田五大学とともに学生街を形成している。神田のカルチエ・ラタンとも呼ばれる。
戦後に入ると学生数増加及び学部新設に伴い神奈川県川崎市にもキャンパスを構え、神田・生田の2キャンパス体制となる。
専修大学の前身である専修学校は「創立主旨」において2つの姿勢を示した。まず「力ヲ専攻ニ致サザルベカラズ」と宣し、各科兼修ではなく一科専修の専門学校をめざして経済・法律の2科をおいた。
そして「其他諸科ニ至テハ将サニ漸次計画スルトコロアラントス」と示して、経済法律専修学校として開学した。専修学校とはこれの略称で、一科を専修し、一学を専攻して学問の蘊奥を究めさせるという方針を含意させたものである。
この方針はコロンビア法律学校(相馬)、ハーヴァード法律学校(目賀田)、イェール大学大学院(相馬・田尻)、ラトガース大学(駒井)における専門教育課程での経験、教育制度にならったものと言える。
創立者である相馬永胤・田尻稲次郎・目賀田種太郎・駒井重格らは、明治の初め、米国に留学して新しい学問を学んだ。この幸福を日本にいる多くの青年たちにわかち与えたいと念願して、専修大学を創立した。専修大学では、青年を教育・指導することによって社会に「報恩奉仕」するという精神を建学の精神としており、学風として「質実剛健・誠実力行」を挙げている。
専修大学では2010年に創立130周年を迎えることになったのを機に、建学の精神である「社会に対する報恩奉仕」を、現代的に捉えなおしたものとして、「社会知性(Socio-Intelligence)の開発」を柱とした、21世紀ビジョンを制定している。
社会知性(Socio-Intelligence)とは、「専門的な知識・技術とそれに基づく思考方法を核としながらも、深い人間理解と倫理観を持ち、地球的視野から独創的な発想により、主体的に社会の諸課題の解決に取り組んでいける能力」である。
法律学を学ぶためにアメリカに留学していた相馬永胤は、留学生監督として日本人留学生を支援するかたわら、自身も法律学や欧米の教育制度を調査研究していた目賀田種太郎と親交を深め、勉学組織「日本法律会社」を結成。他方、田尻稲次郎と駒井重格は経済学と財政学を学び、協力して財政学書の翻訳を開始。その後、相馬ら法学徒と田尻ら経済学徒は、イェール大学で出会う。 帰国後4人は、米国の教育制度にならい専門教育課程を組織的に日本語で教える「経済科」と「法律科」を併設した「専修学校」を1880年に創立した。1913年に私立専修大学、1919年に専修大学と改称、1922年大学令により大学として認可された。
キャンパスは2つあり、東京都千代田区神田神保町にある皇居や国会議事堂にほど近い神田キャンパスと、川崎市多摩区にある多摩丘陵と生田緑地に挟まれた高台にある生田キャンパスに分かれている。
ほかに応援歌「スター専修」(作詞東辰三、作曲明本京静)などがある。
以下、特記していない専攻は修士課程・博士後期課程である。
私立大学学術研究高度化推進事業
私立大学戦略的研究基盤形成支援事業(旧私立大学学術研究高度化推進事業)
「日本私立学校振興・共済事業団」学術研究振興資金
以上の他、専修大学社会知性開発研究センター(四川・ローカルリスクコミュニケーションセンター)と、中華人民共和国四川省の「四川省地域と国別重点研究拠点日本研究センター」との共同地域減災研究などが行われている
専修大学の学園祭は鳳祭という。
「鳳祭」は例年11月の開催で、主催は学生有志による専修大学鳳祭実行委員会である。鳳祭は学内サークル・ゼミナール・文化会・連合県人会など約200団体が参加して、研究発表・スポーツ・音楽など多彩な催しを開いている。コロナ禍以前では、本学学生を中心とし約3万人もの来場者が足を運んでいた。期間中は、オープニングパレードや前夜祭、ライブステージ、講演会、学生プロレス、ミス・ミスター専修コンテスト(ミスコン、ミスターコン)と沢山の企画が行われる。ステージショーには、芸能人や俳優その他著名人が参加することも珍しくない。
1号館の地下3階にある。体育室・武道場・トレーニングルーム・シャワールーム等の各種体育施設が入っている。トレーニングルームは、事前講習を受ければ学生が自由に使用できる。
10号館7階の学生ラウンジと弁慶食堂(1号館地下一階)の2つの食堂がある。東京ケータリング株式会社等が運営している。
ホワイトスペース特区に認定され 、 実験試験局による実証実験を実施。 エリア放送の制度化後は地上一般放送局の免許を取得 、 かわさきワンセグプロジェクト として「かわさきワンセグ」 の名称で ワンセグ放送を実施。 毎週金曜日には生放送をしてきた が、2018年(平成30年)3月末の免許の有効期限前に廃止 した。
生田キャンパスと多摩区役所に地上一般放送局各1局が設置 されていた。
また、行方市と協定を結び、行方市のエリア放送なめがたエリアテレビの番組も制作している。
大学と各高等学校との「教育交流に関する研究協定」に基づくものである。連携・協定の内容として、対象高等学校の生徒が専修大学の授業を聴講生として受講することの許可(単位取得科目は専修大学入学後に単位認定)、高等学校教員を目指す学生ための「教職版インターンシップ」の場の提供、大学と高等学校の教員同士の交流など、相互交流型のものである。
上述の「高大連携」に類するものとして、神奈川県教育委員会教育局指導部高校教育課等との「県立高校生学習活動コンソーシアム」としての取組(高校生や教員のための連携に関する取組)がある。
上述の「高大連携」を超えた「教育交流提携協定」に基づく連携である。連携・協定の内容として、対象高等学校の生徒による専修大学図書館等施設利用の許可、専修大学への優先進学枠の設定(「提携校推薦入試を実施する」)などがある。
本学ネットワーク情報学部と高等学校の友好関係に基づいて、双方の教育課程の連携を通じて相互に教育理念及び教育方針を尊重しつつ教育内容等について理解を深めることにより、大学教育及び高等教育の接続及び活性化を図ることを目的とする。連携に基づく教育課程プログラムを行うほか、2017年度入試から教育課程指定連携型推薦入学試験を実施する。
専修大学から、また、各校(特に各高等学校)から、対外的には「附属校」あるいは「付属校」と言われるも、いずれの附属学校も学校法人専修大学の設置ではなく、別法人による設置(いわゆる「係属校」)となっている。このため、系列校で掲載している。専修大学への進学率も各学校によって大きく異なる。
学校法人専修大学は、以下の大学を設置しており、専修大学の系列校となっている。
以下の「専修大学」と付いている学校は、学校法人専修大学の設置ではなく、別法人による設置となっているため、ここでまとめる。
黒門(くろもん)は、専修大学の前身である専修学校の校門であり、現在ではその復元したモニュメントが神田キャンパス内に設置されている。
開学直後、日本語で法学・経済学が学べるということから入学者が急増し、学生数の増加に追いつかなくなったため、銀座から神保町へ移転した。江戸時代の神田神保町は、旗本や御家人の武家屋敷の地で、その多くは冠木門といわれる両側の柱上部に冠木と呼ばれる横木を渡した屋根のない門構えであり、それに倣い専修学校の校門も作られた。
東京帝国大学が赤門という代名詞で呼ばれていたため、専修学校は黒門(くろもん)とで呼ばれるようになった。
赤門(東帝)、黒門(専修)、白門(中央)となっていた。
1907年の校舎改築に伴って、黒門は取り壊されることとなったが、2010年、約100年ぶりにモニュメントとして復元された 。
創立130周年記念事業の一環として、地域の子供たちの健全な育成を支援することを目的に、神奈川県野球連盟と共に「神奈川県学童軟式野球選手権大会」を主催している。
創立130周年記念として、2010年に専修学校(現専修大学)創立をテーマにした映画『学校をつくろう』(監督神山征二郎、原作志茂田景樹、主演三浦貴大)を制作。2011年2月に一般劇場公開。
創立130周年記念事業の一環として、2007年4月から2010年3月まで、フジテレビ系列・FNNスーパーニュースの隔日提供のスポンサー扱いで、同学のイメージCMが放映された。大学のブランドイメージを広く浸透及び向上させることを目的に、全国ネットの番組でCM放映を行うのは日本国内の大学で初めての試み、と言うことであった。
2003年頃から2012年度まで、法学部、のちに大学院法務研究科に「女性科学研究者の環境改善に関する懇談会」の事務局が置かれていたことがある(専修大学法学部・大学院法務研究科の教員が当懇談会会員だったため)。
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