ペプシ(英語: Pepsi)は、アメリカのペプシコ社が製造・販売するソフトドリンクおよびブランド。1893年にケイレブ・ブラッドハムによって開発され、当初はBrad's Drinkとして販売された。1898年にペプシコーラ(英語: Pepsi-Cola)と改名され、さらに1961年にはペプシに短縮された。日本ではサントリー食品インターナショナルの子会社のサントリーフーズが製造・販売を行なっている。
ペプシは1893年、薬剤師ケイレブ・デイビス・ブラッドハムによって「Brad's Drink(ブラッズドリンク)」として開発され、ブラッドハムが経営するノースカロライナ州ニューバーンの薬局で販売された。この飲料は、炭酸水、砂糖、カラメル、コーラの種子、バニラ、ナツメグ、レモンオイルなどによってつくられた。1898年、ブラッドハムはBrad's Drinkを「ペプシコーラ( Pepsi-Cola)」と改名した。「ペプシ」という語の由来は、この飲料により改善すると宣伝されたディスペプシア(消化不良)、もしくは消化酵素のペプシンとされるが、ペプシコーラの材料として実際にペプシンが使われたことはない。なお、dyspepsia・pepsinのいずれもギリシア語πέψις(ラテン文字転写pepsis。意味は「消化」)に由来する。
1902年にペプシコーラ・カンパニーが設立され本格販売を開始し、第一次世界大戦頃には全米25州にフランチャイズのボトリング工場を擁するまでに事業拡大したが、大戦中の砂糖相場の乱高下の打撃を受けて1922年に破綻した。ブラッドハムはコカ・コーラ社に会社売却を依頼したが、コカ・コーラを買収したばかりだったアーネスト・ウッドラフは、1ドルの価値もないと判断して拒否。結局、投資家のロイ・メガーゲルがペプシを買収するものの、経営は振るわず1933年に再度会社売却することになる。
この時、ドラッグストアとソーダ・ファウンテンの経営者でコカ・コーラと利益の分配で対立していたチャールズ・ガズがペプシ社を買収、原液の配合をコカ・コーラに類似したものに変え、コーラの瓶より内容量の多いビール瓶に瓶詰めしてコカ・コーラと同じ値段で売る低価格戦略で攻勢に打って出た。これが当たり、ようやくペプシは経営が安定する。
第二次世界大戦下では軍需品として特別扱いされたコカ・コーラに引き離されてしまうものの、コカ・コーラから移籍してきたアルフレッド・スティールによって、自動販売機での販売を開始すると再び成長軌道に乗った。
1959年には、かつて顧問弁護士であったリチャード・ニクソン副大統領の紹介でソビエト連邦のニキータ・フルシチョフ書記長にペプシコーラを試飲させることに成功。1970年代にニクソンが大統領に就任、ペプシコーラはソビエト連邦政府と20年間の独占契約をした。これによりソ連と契約した最初のアメリカ製品となる。この後、ソビエト連邦ではペプシコーラは一般的に入手することが可能となり、他の共産圏諸国(東ドイツ、ルーマニアなど)でも販売された。
フリトレーやピザハット、ケンタッキーフライドチキン、タコベルなどを傘下におさめ、清涼飲料水以外の分野にも進出しているが、現在はレストラン事業はペプシコよりスピンオフし、トライコングローバルレストラン(現ヤム・ブランズ)となっている。
なお、ペプシコ社の社長であったロジャー・エンリコは、ジェシー・コーンブルースとの共著である『コーラ戦争に勝った! ―ペプシ社長が明かすマーケティングのすべて―』(原題:THE OTHER GUY BLINKED: HOW PEPSI WON THE COLA WARS)にてコーラ戦争の顛末を記している。
日本には1947年、GHQ専用に輸入されたが、一般販売は行われなかった。しかし、後に大統領となるニクソンが弁護士として当時から市場開放のロビー活動をしていた。
沖縄における一般販売は本土よりも早く、1954年に当時アメリカ統治下の沖縄で比嘉悦雄の設立した「与那城飲料会社」(現:サントリーフーズ沖縄株式会社)により製造・販売が開始される。コカ・コーラの6.5オンス(約192ml)の容量に対して8オンス(約236ml)、瓶の回収を不要としたことで、当初はコカ・コーラを圧倒していた。コカ・コーラとのシェア逆転後も本土のような大差はつかなかった。
本土では、1956年に大映の永田雅一、大日本製糖の藤山勝彦、朝日麦酒の山本為三郎などの個人出資に加え、大日本製糖が大株主となることで第1号フランチャイズの「日本飲料」(日本コカ・コーラの前身である「日本飲料工業」とは別会社)を設立。横浜港近くにあったペプシコの所有する駐留軍用瓶詰め工場を引き継ぎ営業を開始した。その後、全国各地にボトリング会社を設立するが、コカ・コーラが早くから三菱・三井などの大手財閥系企業を中心に大企業を次々とボトラーに抱えいれたのに対し、ペプシ側は日綿実業(後のニチメン→双日)・宇部興産(現在のUBE)などの大手非財閥系企業を抱えいれて対抗するものの、日本全土にボトラーを設立することに大きな遅れを取ってしまう。それに加え、1964年発売のペプシコーラファミリーサイズが後発のコカ・コーラホームサイズよりも同価格で量が少なかったことで売上の低迷を招き、急遽同容量のボトルを発売するなどの対応で多大な出費を強いられた。この出来事を境に、コカ・コーラとの差が大きく開いていくこととなった。
1970年には大日本製糖が首都圏のフランチャイズであった日本飲料、関西のフランチャイズであった日糖飲料の株式を伊藤忠商事に売却し撤退。その伊藤忠商事も1976年に大赤字を抱えたまま撤退することを余儀なくされた。首都圏ではペプシコ直営の「関東ペプシコーラ販売」を設立、関西ではセブンアップ飲料(関西)が新たにフランチャイズとなることで空白地帯が生じることは阻止できたが、全国的にペプシコーラボトラーの経営は厳しさを増して行った。北東北をエリアとしていた北日本飲料は多額の負債を抱え1982年に事業停止、他のボトラーもペプシ製品以外を取り扱わねば経営が行きづまる状況に置かれてしまった。
そのような状況下、宇部興産飲料が管轄していた中国及び四国地区、地元資本のバックアップと750ml瓶が大ヒットした北海道地区、中日ドラゴンズめんこなど独自のノベルティを展開した中部地区、早くからコカ・コーラよりも大容量のボトルを採用していた沖縄地区は善戦していた。1989年になるとアメリカ本社の戦略転換により日本は「最重要市場」と認定され、他国で大きな実績をあげていたアンソニー・K・イルズリーが送り込まれ日本支社長に就任。「自販機・シェア倍増計画」のもと、積極的な販売攻勢に転換。M.C.ハマー出演の比較広告投入などの話題もあり、ペプシは勢いを取り戻していった。今まで新製品の開発に消極的であったペプシコの方針転換により、数々の新製品が世に送り出された。
しかし、ペプシコ本社の海外戦略失敗による事業見直しの中、1997年に日本に於ける事業(マーケティング及び製造販売総代理権)はサントリーに譲渡され、1998年以降、飲料部門はサントリーフーズが事業を行なっている。これにより、それまで製造販売を請け負っていた地域ボトラーは、サントリーフーズが大株主の販社へと業態転換した。一方で、国内ペプシボトラーの最大手だったキリンビバックス(旧宇部興産飲料・キリンビバレッジに株式譲渡)の離反なども発生。例外的に、2007年から「クラシックデザイン」のみダイドードリンコが販売。ただし、「クラシックデザイン」もサントリーが開発を担当し、ダイドードリンコに供給していたものである。
2002年の夏にレモン果汁入りの「ペプシツイスト」が日本で期間限定商品として発売され、翌2003年には通年商品として発売された。のちにこの商品は世界中で販売されている。それまでにも喫茶店やレストランでコーラを注文すると、スライスレモンがついてくることはあったが、その果汁を絞って缶入りにすればいいという発想から生まれた。
2006年春、日本人の味覚にあわせた「カロリーゼロ」「レモン風味」の味わいで、日本発コーラである「ペプシネックス(後に「ペプシネックスゼロ」を経て「ペプシストロングゼロ」へ改称)」を発売した。サントリー食品インターナショナル(サントリーフーズ)が全面的に開発に携わっており、現在の日本のペプシコーラのメインストリーム(主力)商品になっている。2014年3月のリニューアル(改良)より風味が大幅に見直され、甘味料の一部にステビアが含まれるようになった。
2010年3月の「ペプシネックス」のリニューアルに伴い、従来は大文字だったロゴマークを小文字に変え(PEPSI→pepsi)、グローブマークも変更された。しばらくは新規発売品(ストロングショット、バオパブ、モンブラン)にしか用いなかったが、2011年3月に「ペプシコーラ」・「ダイエットペプシ」・「ペプシツイスト」もパッケージリニューアルに伴い、新ロゴマーク・新グローブデザインに統一された。
また、2012年11月には難消化性デキストリンを配合した特定保健用食品「ペプシスペシャル」を発売し、2013年8月のリニューアル時にゼロカロリー化した。
2013年5月にはカフェイン量を多めにした200ml入りの小容量飲みきりサイズのコーラ「ペプシ リフレッシュショット」を発売した。
2014年8月には「ペプシコーラ」をパッケージリニューアルし、ロゴマークが変更となった。
2015年6月には主力ラインナップを大幅に刷新した。これまでの「ペプシネックス ゼロ」を終売し、新たに炭酸とカフェインを強めにした「ペプシストロング」ブランドの展開を開始した。ゼロカロリーの「ペプシストロング ゼロ」と、有糖の「ペプシストロング」の2商品がラインナップされ、日本における新たなメインストリーム商品として発売される。
2016年6月には「ペプシストロング5.0GV<ゼロ>」・「ペプシストロング5.0GV」を発売した。製品名にある"GV"とは、飲料中の炭酸ガスの含有量を表すガスボリュームという単位で、標準状態において1Lの液体に1Lの炭酸ガスが溶けている場合で1GVとなる。このガスボリューム最大5.0GV(炭酸飲料の製造時の特性上、充填時ガスボリュームは約5.0〜4.5GVとなっている)にも耐えられる新型ペットボトルを開発したことで、より高いガスボリュームでの充填が可能となり、加えて香料の配合も見直した。本製品の発売に伴って「ペプシストロング<ゼロ>」と「ペプシストロング」もリニューアルを行い、香料の配合見直しと「ペプシストロング5.0GV ゼロ/5.0GV」と統一したパッケージデザインに変更。容量も見直しを行い、「ペプシストロング<ゼロ>」は500mlペットボトル(「ペプシストロング5.0GV<ゼロ>」へ移行のため)と270mlペットボトルを廃止し、缶製品は内容量を変更(160ml→155ml、350ml→340ml)。「ペプシストロング」は既存容量を「ペプシストロング5.0GV」へ移行のため廃止し、新たに1.5Lペットボトルを設定して大容量サイズ専用商品の位置づけとなった。
2018年4月にペプシストロングシリーズを終売し、代わって新ブランド「ペプシJコーラ」シリーズを発売したが、翌2019年4月よりこれに代わり、塩と和柑橘を隠し味にした「ペプシ ジャパンコーラ」シリーズを発売している。
2021年6月に生コーラスパイスを香料の基原料の一部とした「ペプシ<生>」および「ペプシ<生>ゼロ」を発売。
2022年夏季期間限定で「ペプシゼロ からあげ専用」を発売。その名の通り、から揚げと一緒に飲食することを想定した味付けになっている。これ以降も、「フライドチキン専用」(2022年冬季限定)など期間限定商品という形で様々な料理と一緒に味わうことを前提とした商品群を展開していった。
2023年3月には新しいロゴマークを発表、15年ぶりに小文字から大文字となった「PEPSI」の書体は異なるが、70~80年代に使用されたロゴに近いデザインとなっている。
かつてはペプシ自社のルート以外にも、過去にボトリングを請け負っていた関係でチェリオコーポレーション(旧セブンアップ飲料(関西))及びチェリオ中部(旧中部ペプシコーラボトリング)、カゴメ(静岡、山梨地区でペプシ製品を製造販売していた)他、提携という形でカルピス、ユニマットライフ(現サントリービバレッジソリューション)等の自販機ルートを通じてもペプシコーラ缶製品が販売されていた。
アメリカにおいて、1970年代にペプシコーラのマーケティングを担当し後に社長となったのがジョン・スカリーである。スカリーはスティーブ・ジョブズに口説かれて1983年にApple Computerに入社した。
ペプシコーラの宣伝でよく使われているのが、コカ・コーラと比較した比較広告であり、1975年に始めた『ペプシチャレンジ』がその先駆けとなった。この施策は、通行人にペプシコーラとコカ・コーラを、それぞれ区別出来ないようサーブして、どちらがうまいかを判定させるという内容だった。このペプシチャレンジでは多くの人々がペプシに軍配を上げ、それがCMとして全米に流され、ペプシの業績向上につながった。このペプシチャレンジのキャンペーンは日本でも実施されたが、放送倫理などの問題があってかこちらのコーラを選びましたと、ペプシを選んだデータだけを強調するものになっている。
アメリカ合衆国においてこのような比較広告はありふれていた一方、日本人にはなじみが薄く受け入れられなかった。ことにM.C.ハマーが出演した比較広告は、日本で放送された際はコカ・コーラに対する誹謗中傷と受け止められたといわれている。それ以降も、「UFOがコカ・コーラとペプシコーラを1缶ずつ吸い上げた後、ペプシコーラだけを自動販売機ごと持ち去る」「自動販売機のボタンに手が届かない少年がコカ・コーラのビンを踏み台にしてペプシコーラを購入する」「コカ・コーラに似せたロゴのトラックの運転手がペプシコーラを激しく求める」「ダイエットペプシのカロリーはコカ・コーラライトの11分の1であることを名指しで指摘(1kcalと11kcalの差であったが)」などの挑戦的なCMを放送した。またイチローやデビッド・ベッカムなども日本版限定でCMに出演していた。
日本における販売活動では、「おまけ」などの付加価値を重視したマーケティングを行ってきた。王冠裏に「〜円」という文字があると、その分の現金が貰えるというのもペプシが先駆けである。テレビCMにおいては、水前寺清子や王貞治といった著名人や、漫画のキャラクターであるルパン三世がイメージキャラクターを務めたことがあった。特に前者においては、ホームラン世界記録が掛かった1977年に大規模なキャンペーンを繰り広げ、「1.5倍で50円」を売り文句にした300mlの瓶入り「ペプシ300」の発売と共に、特にその割安感から若年層の間での人気はコカ・コーラを凌駕していた。他社に先駆けて日本市場にダイエットペプシを導入したのもこの頃だが、時期尚早のため成功には至らなかった。やがて、その勢いも1980年代に入ると急激に衰えていく。市場シェアが年々下落していき、ペプシのCM自体があまり見られなくなっていった。1981年に発売したマウンテンデューは大ヒットしたものの、従来の看板商品であるペプシコーラやミリンダの低迷に歯止めがかからず、コカ・コーラとの差は広がる一方だった。
80年代の低迷期を経て、イリズリー新社長の体制が整った1989年から日本市場への本格的テコ入れが始まった。積極的にテレビCMを出稿し自動販売機の数を増やしていった。当時の自販機増設ペースは、「月間増設台数」がそれまでの「年間増設台数」に匹敵すると、北関東飲料社長がコメントしている。CMはアメリカから輸入し、その他製品のCMは日本にて製作していた(例:セブンアップやバーディコーヒー、マウンテンデュー、フルーピーなど)
1998年から、コカ・コーラの赤に対抗して青をシンボルカラーにすることが前面に打ち出される。当時、コカ・コーラに対する挑戦者(青コーナー)であることを宣言する広告が展開された。 マスコットキャラクターペプシマンなどを通じて、飲料への首掛け景品やボトルキャップブームを創り出し、オープン懸賞も『2001年宇宙の旅』プレゼント(主催企業の解散により中止、希望者には1000万円の補償金が支払われた)やペプシマンの愛車、シボレー・コルベットのプレゼントなど、話題性の高い懸賞を次々と実施してきた。
1999年には、コンビニエンスストアを中心に映画『スター・ウォーズ』とのタイアップを展開した。この際、ペプシの味に慣れ親しんでもらうという狙いから、ボトルごとに異なるおまけをつけるというコレクション要素が追加された。おまけをつけた月は売れ行きが伸びたものの、最終的には赤字となったうえ、ユーザーの定着という目的を果たせなかったことから、2001年には方針転換がはかられた。
2003年からペプシツイストのおまけとして添付されたテレビアニメ『機動戦士ガンダムSEED』のフィギュアが「中身が見えないため懸賞にあたる」と公正取引委員会によって認定され、2005年には懸賞品に課せられるコスト上限(景表法)を超え「射幸心を煽る」と是正勧告を受けた。公正取引委員会によると、フィギュアの中にはなかなか入手できない「レアもの」も含まれており、全種類を集めようと大量購入し、ペプシツイストのみをインターネットで転売する者もいたほか、フィギュア一式がインターネットオークションで10万円前後で売買されていたという。
審査期間中にあたる2005年9月上旬、サントリーは自社判断として、ノベルティグッズの袋を透明なものに変更した。また、公正取引委員会も2005年9月末にサントリーへ注意すると同時に、全国清涼飲料工業会にも注意喚起を出した。これ以降、飲料に附属するノベルティグッズは全て中身が目視確認可能なものとなった。
2010年代になってからはネットでのプロモーションにも力を入れる。2019年4月の「ペプシジャパンコーラ」発売時には、本田圭佑を起用した「じゃんけんで勝ったらコーラ1本プレゼント」という内容のプロモーションをSNS上で展開し、反響を呼んだ。その後も「本田とカードバトル(2019年7月)」、「本田とコイントス(2019年10月)」など同様のゲームバトル企画は度々行われ、その度に話題を博している。
2023年にはペプシBIG〈生〉をはじめとする対象商品を購入すると、デジタルギフト100円分がもらえる「実質全額返金」キャンペーンが展開された。Twitterに投稿されたPR動画はクールポコ。の2人がキャンペーンの内容を説明しているところをやす子が茶々を入れる内容であり、MADムービーなどを想起させるとして大きな反響を呼んだ。サントリー食品の市川友梨香も、これらのキャンペーンツイートが購買につながったと認識しており、「『誰』に『何』を伝えるかが考慮されていた」「誰でも一目でわかる内容である」「ユーザの反応を見ながらPDCAを回せたこと」を成功要因として挙げている。
サントリーグループと資本関係がない地方ペプシボトラーズは、サントリーフーズと業務提携した上でペプシ製品を販売している。地域によってはサントリーグループのペプシボトラーズ同士やサントリーグループのペプシボトラーズと独立系地方ペプシボトラーズと営業地域が重複する地域もある。サントリーグループのペプシボトラーズや独立系地方ペプシボトラーズの中には、サントリー製品・ペプシ製品以外の他社製品(キリンビバレッジ製品、ポッカサッポロフード&ビバレッジ製品)も取り扱うボトラーもある。
2007年から2009年まで続いたシリーズ。男性2人・女性1人の構成で、1年ごとに入れ替わっていた。
アーティスト達がそれぞれ思い入れのある洋楽ナンバーをカバーする内容のであり、2010年3月2日から始まった。ただし、宇多田ヒカルのみ、12月には「LOVE! XMAS」として宇多田の新曲が採用された。また、宇多田ヒカルのみ、「やっぱり、これが好き。」ではなく「LOVE! PEPSI NEX」と、セリフが異なっている。
2011年3月1日からは、B'zをメインキャラクターに据えたシリーズを放送。季節ごとにタイトルやシチュエーションが変わる内容で、映像には若手の女性ファッションモデルがアップで登場していた。
2011年3月1日から放送された第1弾で、B'zにとっては初めてのCM出演であり、書下ろし曲である『さよなら傷だらけの日々よ』が採用されている。
同時期に放送されたテレビアニメ『TIGER & BUNNY』では、登場人物の一人・ブルーローズのスポンサーとして設定されており、作中でも「ペプシネックス」を使用された。また、キャラクターを起用したCMも放送された。
2011年7月16日からは同じキャッチコピー、出演者で「People編」が放送された。CMは青空の住宅街の街角でエキストラ達の前でB'zが書下ろし曲「C'mon」を演奏する内容であり、のちに同楽曲はオリジナルアルバム『C'mon』に収録された。
2011年12月に放送。雪が降る街での恋人の姿を描きながら、B'zが『いつかのメリークリスマス』を歌っている。
ペプシネックスのリニューアルに合わせて作られたCMで、2012年2月28日から期間限定で放送。B'zは、ペプシネックスの新しいキャッチフレーズである「GO FOR IT! PEPSI NEX」を基に、CMソングとして『GO FOR IT, BABY -キオクの山脈-』を書き下ろした。ペプシネックスのボトルのキャップを開けると、Tシャツの中でB'zがライブを展開したうえで、最後に現実の世界でライブを続けるという内容である。
2012年7月から夏季限定で放送。多くの人々が夏場にペプシネックスを飲む光景を、数珠つなぎやウェーブ風に表現しながら、B'zのビーチライブにつなげた構成が特徴。B'zは、このCMのために『愛のバクダン』の歌詞を英語で書き直した「Love Bomb」(配信限定アルバム「B'z」収録曲)を、エンディングのライブシーンで披露している。
2012年10月27日全国公開の神山健治監督作品『009 RE:CYBORG』とコラボレーション。
2013年4月2日より開始されたCMのシリーズで、今回のみ「ペプシネックスゼロ」・「ペプシスペシャル」共通のプロモーションとなった。白亜紀を舞台に恐竜が登場するオリジナルのCGアニメーションが展開された。
2014年3月1日より開始されたシリーズで、昔話『桃太郎』を新たな解釈でアレンジした『MOMOTARO』を展開しており、桃太郎役は小栗旬 が演じた。また並行してペプシネックスゼロとコカ・コーラ ゼロの比較広告も放映されている。2015年7月からはペプシストロング ゼロのCMとして継続され、2017年に完結を迎えた。また、このシリーズでは森永製菓のハイチュウとのコラボレーションとなっている。
また、2016年6月21日から、「ペプシストロング5.0GVシリーズ」のプロモーションを前提とした「人類未体験!強炭酸ペプシ」が展開された。メインキャラクターはジュード・ロウが務めており、『MOMOTARO』シリーズに出ていた小栗もサブキャラクターで登場している。
2012年3月、カラメル色素に含有される4-メチルイミダゾールが、米国カリフォルニア州法の発がん性物質リストに摂取上限値29µg/dayとして追加収録されるも、コーラ類飲料には355ml缶1本に100µg超の含有が認められ、リスク警告表示回避のためにレシピが変更 される。米国飲料協会は4-メチルイミダゾールがFDAのヒト発がん性物質リストに収載されていない、旨の声明を発表する。WHOの研究では、発がんリスク有りとの報告がある。
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