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天白川 (愛知県)


天白川 (愛知県)


天白川(てんぱくがわ)は、愛知県日進市から名古屋市を流れ、伊勢湾に注ぐ河川。二級水系天白川の本流である。

読みは『あましろがわ』ともされる。

地理

愛知県日進市東部の名古屋商科大学の西南隣接地にある三ヶ峯上池付近に源を発し、西へ流れる。(三本木川)。その後天白川と名称を変え、岩崎川を合わせ名古屋市へ入ると天白区を横断。各区および東海市の境界を流れ、名古屋港へ注ぐ。途中にダムは一つも存在しない。

江戸時代の頃から水害が度々起きており、流路が幾度も変わっている。1668年(寛文8年)の洪水では植田川との合流点が南方へ移動、かつて島田村であった字八事前などの地は八事村に編入された。また、野並ではかつて、現在の郷下川(かつての天白川との意から古川とも呼ばれる。)の付近を流れていたとされ、連続する細長い小字もそれを示している。

下流でも水害が度々発生しており、そのことから1728年(享保13年)には野並村で川を西流させ、山崎川に合流させる瀬替え工事が行われたが、その後は山崎川にて水害が頻発し、暴動も発生したことから1741年(寛保元年)には元の流路に戻された。

流域の地形

上流域では尾張丘陵が広がり、比較的標高の高い土地が続くが、中・下流域はかつて年魚市潟と呼ばれた入江であり、標高が低く、多くの地域でポンプ排水が行われている。

流域の自治体

流域のほぼすべてを名古屋市・日進市が占める。

  • 愛知県
    • 名古屋市(南区・緑区・瑞穂区・天白区・昭和区・千種区・名東区)
    • 東海市
    • 大府市
    • 豊明市
    • 長久手市
    • 日進市
    • 東郷町

名称の由来

『天白川』という名称は、下流域に名古屋市緑区鳴海町字天白という地名があり、そこにかつて、川を鎮める神とされた天白神が祀られていたことによるものである。この名称は江戸時代ごろから使用されている。

現在、主に『天白川』とされる範囲には植田川合流点より上流(旧・米野木川)も含まれるが、古くは一般的に植田川と米野木川の合流地点より下流を指す名称であり、植田川合流点より上流は赤池川米野木川(米ノ木川)、平針川、岩崎川合流点より上流は本郷川黒末川などと呼ばれ、天白川と呼ばれることはあまりなかった。また、江戸時代には高針川(植田川)、明治時代には岩崎川を、それぞれ天白川本流として天白川と呼ぶこともあった。

かつて植田村では米野木川と高針川の両方が『植田川』と呼ばれており、名称を整理するために、明治時代に高針川()を植田川、米野木川()を天白川としたため、現在の名称となったとされる。

また、扇川合流後の天白川は黒末川とも呼ばれたが、支川の扇子川(相原川とも。のちに扇川へと省略された)も下流の天白川との並行部で黒末川と呼ばれていた。2024年(令和6年)現在では、扇川合流後の天白川は天白川、扇川の天白川並行部は上流部と同じ扇川と呼ばれている。

2024年(令和6年)現在、『天白川』とは主に三本木川(本木川)より下流を指すが、三本木川を含むこともあり、その範囲は安定していない。また、岩崎川と岩藤川(岩藤新田川)の境界についても、岩崎川の源流を岩藤川とする場合と、北新田川合流前の岩崎川を岩藤川とする場合があり、解釈が分かれている。

以下に天白川・扇川・植田川・岩崎川の名称の変遷を記載する。

関連する地名

名古屋市天白区の名称は、区内を天白川が流れていることに由来する。

また、名古屋市南区の天白町は、町域の南側に天白川が流れていることに由来する。 名古屋市緑区にある鳴海町字天白は、天白川沿いの土地であることに由来するとする説もある。

環境

生物

植物

在来種
上流部では、ツルヨシが繁茂する区間が見られる。その他支川を含めた周辺では、マコモ、アオツヅラフジ、ナデシコ、ナワシロイチゴなどの生息が確認されている。
下流部では、スズサイコや名古屋市内では唯一の生息となるキスゲ等の生息が確認されており、激特事業時には保全のため堤防表土の移植が行われた。大慶橋より下流では護岸がコンクリートで覆われており植生がほとんど見られない。
名古屋市重要種としては、スズサイコ、タツナミソウ、カワラナデシコなどの生息が確認されている。
外来種
セイタカアワダチソウやヒガンバナなどの生息が確認されている。

動物

現在では天白川本川・支川ともに多くの落差工が設置されており、魚類等の生息環境が抑制されている。

かつてはアユの遡上も見られたが、魚道の設置されていない落差工により遡上が妨害され、現在では天白護床工より上流には遡上できていない。

在来種
魚類ではオイカワ、ギンブナ、トウヨシノボリ、マハゼ、モツゴなど、鳥類ではアオサギ、カルガモ、バン、カワセミ、キジなど、爬虫類では、ニホンイシガメ、スッポンなど、両生類ではトノサマガエルなど、節足動物ではギンヤンマ、ハグロトンボ、ヘイケボタル、ヒメガムシ、スジエビなど、哺乳類ではホンドギツネなどの生息が確認されている。
名古屋市重要種としては、魚類ではミナミメダカ、ウナギ、アユなど、鳥類ではコアジサシ、ミサゴなど、爬虫類ではクサガメ、イシガメ、スッポンなどの生息が確認されている。
外来種
魚類ではライギョ、カダヤシ、ブルーギルなど、爬虫類ではクサガメ、ミシシッピアカミミガメなど、両生類ではウシガエルなど、節足動物ではアメリカザリガニなど、哺乳類ではヌートリアなどの生息が確認されている。
その他、ウンキュウ(二ホンイシガメとクサガメの雑種)の生息も確認されている。

水環境

天白川の水はその約63パーセント、植田川の水はその約66パーセントを下水処理水に頼っている。

かつては水質の悪化が問題となっていたが、現在では下水処理場の整備により水質の改善が進んでいる。天白川の水質はC類型に指定されており、環境基準点である千鳥橋では環境基準値程度であるが、天白橋付近ではより一層の水質改善が求められている。

本川・支川ともにゴミの不法投棄が問題となっており、天白区が2023年(令和5年)に実施した天白川河川敷清掃奉仕活動では、約90名による30分間の清掃活動で約400リットルのゴミが収集された。 2004年(平成16年)5月から6月までにかけて行われた流域の住民アンケートでは、水質について約44パーセントの人が『水のきたない川』という回答をしている。

三本木川・岩崎川では生活排水の影響を強く受けているほか、宅地化の進行による水源涵養林の消失により水量の低下が進んでいる。扇川では、 流域の生活排水がすべて天白川に排水されるため、主な水源は雨水のみとなっており晴天時の流量の確保が問題となっている。2004年(平成16年)5月から6月までにかけて行われた流域の住民アンケートでは、身近な河川の水量について全体の約50%が『水の少ない川』という回答をしている。大高川や扇川では水辺環境の単調化が課題となっており、蛇行化や水際植生の再生が検討されている。

その他、天白川では藤川合流点付近まで、扇川では流路のおよそ4割が感潮域となっている。

流域の下水処理施設

天白川
  • 柴田水処理センター(名古屋市南区、名古屋市上下水道局)
  • 鳴海水処理センター(名古屋市緑区、名古屋市上下水道局)
植田川
  • 植田水処理センター(名古屋市天白区、名古屋市上下水道局)
  • 西山水処理センター(名古屋市名東区、名古屋市上下水道局)
  • 長久手南部浄化センター(長久手市)
豊田川
  • 南部浄化センター(日進市)
小川
  • 北部浄化センター(日進市)
岩崎川
  • 相野山浄化センター(日進市)

歴史

流域の歴史

先史時代

今から約650万年前ごろから約120万年前ごろまで、天白川流域含む濃尾平野全域は東海湖の一部だった。その後、約300万年前ごろから始まった地殻変動によって東海湖は消滅し、現在の尾張丘陵が形成された。

古代

約1万9千年前から約6000年前にかけておこった、縄文海進と呼ばれる海面上昇によって尾張丘陵に海水が侵入、年魚市潟(あゆちがた)と呼ばれる入江が誕生した。このころには、現在の植田川・天白川合流点付近にまで入江が広がっていたとされる。

名古屋市天白区には『海老山』『島田』『坂海戸』『塩辛田』などの年魚市潟に関連する地名が残っているほか、植田川の名称の由来となった『植田』という地名も「年魚市潟の上の田」を意味する『上田』が転じたものではないかとされている。

中世

土砂が堆積したことや海面が低下したことなどにより年魚市潟は大きく縮小、鎌倉時代までには鳴海潟と呼ばれるようになっていた。

流域では室町時代ごろから根古屋城などの城が築城されはじめ、戦国時代には桶狭間の戦いや長久手の戦いなどの舞台となった。流域の下社城は柴田勝家の出生地ともされる。

近世

江戸時代の新田開発などによって鳴海潟は消滅し、ほぼ現在の海岸線となった。江戸前期に記された地図である『尾州鳴海辺』には『鳴海潟今は塩干に成にけり野並の里に旅人もなし 口伝』とある。

近代

流域付近では明治時代、大正時代にそれぞれ1回陸軍特別大演習が行われ、天白川付近での攻防もあった。

現代

戦後には流域の各地で区画整理が進められ、景観が著しく変化した。

水害の歴史

天白川は現在に至るまで幾度も水害を起こしてきた。江戸時代以前には堤防もなく、洪水のたびに流路を変えていたとされる。近年では東海豪雨による被害が特に大きかった。

年表

  • 1491年(延徳3年) - 島田村で氾濫。島田地蔵寺が破壊され、田畑は全滅。島田地蔵寺は字東田面から現在の場所へ移転した。
  • 1668年(寛文8年) - 植田川との合流点が氾濫により南方に移動。
  • 1707年(宝永4年) - 南野村・牛毛荒井村周辺で10日間の浸水。
  • 1714年(正徳4年) - 南野村・牛毛荒井村周辺で暴風雨により浸水。
  • 1722年(享保7年) - 南野村・牛毛荒井村周辺で大雨や高潮などの被害、収穫皆無。このころ、周辺では農作の被害が50年ほど続いていた。
  • 1728年(享保13年) - 氾濫が多く年貢が得られないため、尾張藩によって愛知郡野並村笹原(現在の天白区笹原町)で川筋を西流させて山崎川に合流させる瀬替え工事が行われた。旧川筋は農地に転用、天白古川新田と呼ばれた。
  • 1739年(元文4年) - 山崎川が各所で氾濫、被害甚大であった。
  • 1741年(寛保元年) - 付け替え後14年間で山崎川の井戸田村側堤防が17回も決壊、暴動が発生。尾張藩は西流させた川筋を再び工事により現在の川筋に戻し、山崎川と分流させる。
  • 1767年(明和4年)8月4日 - 6日 - 大雨で氾濫し、鳴海あたりまで浸水。(明和の洪水)。植田村では集落が街道沿いから山腹へと移動した。
  • 1779年(安永8年)9月29日 - 10月4日 - 大雨で氾濫し、鳴海の東海道が途絶。
  • 1802年(享和2年) - 天白川堤防に補強のため松並木が植えられた。
  • 1830年(文政13年) - 島田村で氾濫。圦が潰れる。
  • 1850年(嘉永3年)9月8日 - 15日 - 大雨で中根村(現在の瑞穂区中根町)で堤防が決壊し、笠寺から熱田の築出まで浸水。
  • 1855年(安政2年)9月7日 - 10日 - 暴風雨で中根村(現在の瑞穂区中根町)で堤防が決壊し、隣り合う山崎川でも堤防が決壊。
  • 1868年(明治元年) - 野並村で氾濫。
  • 1869年(明治2年) - 野並村で氾濫。
  • 1911年(明治44年)8月4日 - 台風により氾濫し、愛知郡笠寺村星崎・熱田町八町畷等が浸水。
  • 1913年(大正2年) - 天白村大字植田で氾濫。
  • 1921年(大正10年)7月26日 - 28日 - 雷雨により、天白川と扇川の堤防4箇所が決壊。
  • 1932年(昭和7年) - この年から時局匡救事業によって、河口から岩崎川合流点までの区間で築堤や掘削が行われた。
  • 1952年(昭和27年)7月10日 - 11日 - 豪雨により氾濫。
  • 1959年(昭和34年)9月 - 伊勢湾台風により下流域で甚大な被害が出る。その後の伊勢湾等高潮対策事業では下流部が整備された。
  • 1962年(昭和37年)7月2日 - 5日 - 梅雨前線の停滞により天白川の水位が上がり、野並橋が流失。
  • 1970年(昭和45年) - 氾濫。
  • 1971年(昭和46年) - 氾濫。
  • 1973年(昭和48年) - 1970年、1971年の氾濫を契機として、河口から植田川合流点までが中小河川改修事業に採択された。
  • 1989年(平成元年) - 中小河川改修事業の第二期工事が始まる。
  • 2000年(平成12年)9月11日 - 東海豪雨発生。左岸、右岸あわせて床上浸水 3800 戸、床下浸水 4400 戸の被害であった。左岸では、天白川から藤川、郷下川へと水が逆流し氾濫。名古屋市天白区野並地区周辺が浸水し、大きな被害をもたらした。そのほか名古屋市南区でも大きな被害があった。このことから、河川激甚災害対策特別緊急事業(激特事業)に採択される。名古屋市ではほかに緊急雨水整備事業も採択され、ポンプの増強・雨水貯留施設(天白川左岸雨水調整池など)などの整備が行われた。
  • 2004年(平成16年) - 激特事業に基づき、中流区間において引堤や河床掘削などが行われた。
  • 2008年(平成20年)8月 - 天白川水系河川整備基本方針において、天白区の野並地点で、概ね100年に1回の確率で発生すると予想される規模の降雨(24時間で423ミリメートル)により発生する洪水が安全に流れる状態に整備することを、治水の将来的な目標とする。
  • 2015年(平成27年) - 激特事業により、野中橋より下流の引き堤や河床掘削等の河川整備が完了。
  • 2024年(令和6年)現在 - 新島田橋付近での河川整備が行われている。

治水

年表

流域の雨水ポンプ場

天白川
  • 柴田ポンプ所(名古屋市南区、名古屋市上下水道局) - 柴田水処理センターに併設されている。
  • 鳴尾ポンプ所(名古屋市南区、名古屋市上下水道局)
  • 大高西部ポンプ所(名古屋市緑区、名古屋市緑政土木局)
  • 鳴海ポンプ所(名古屋市緑区、名古屋市上下水道局) - 鳴海水処理センターに併設されている。
  • 野並ポンプ所(名古屋市天白区、名古屋市上下水道局)
  • 弥富ポンプ所(名古屋市瑞穂区、名古屋市上下水道局)
  • 菅田ポンプ所(名古屋市天白区、名古屋市上下水道局)
大高川
  • 鶴田ポンプ所(名古屋市緑区、名古屋市緑政土木局)
扇川
  • 汐田ポンプ所(名古屋市緑区、名古屋市上下水道局)
  • 六条ポンプ所(名古屋市緑区、名古屋市上下水道局)
植田川
  • 植田ポンプ所(名古屋市天白区、名古屋市上下水道局) - 植田水処理センターに併設されている。

主な支川

下流から順に記載する。このうち、天白川・扇川・手越川・中井川・地蔵川・植田川・前川・黒木川の8河川は尾張志にも記されている(言及された旭出川、百々川、藤川も含めると11河川、他の項には地獄沢も記されている)。

本川・1次支川は太字で示す。

現存

細口川が二本存在するが、別の河川である。

消滅・付け替え

主なため池

天白川水系に属する主なため池を上流側より記載する。ため池の多くは区画整理などで消滅したが、現在でも約100個のため池が現存している。

橋梁

  • その他、名称不明の橋も存在する。

河川利用

水利用

かつて、流域では生活用水・産業用水ともに天白川水系のため池の水を利用していたが、1961年(昭和36年)の愛知用水通水などにより、そのほぼすべてを木曽川水系の水に頼るようになった。現在では約25件の水利権が認められている。

憩いの場として

名古屋市天白区役所が発行した『天白プロムナード』には『天白川河川敷コース』も含まれるなど、天白川は散歩のコースやサイクリングコースとして利用されている。

天白川流域委員会は『河川整備基本方針』で「親しみやすく潤いのある河川空間を、関係機関や地域住民と連携して、維持・形成に努める」としている。

施設

公園・緑地
  • 新宝緑地(東海市) - 天白川の最下流部(名古屋港付近)に設けられた公園。展望デッキからはカワウ、ムクドリ、ユリカモメ、スズガモ、ソリハシシギなどの様々な野鳥を観察することができる。
  • 天白川緑道(名古屋市) - 堤防上に設置された緑道。菅田緑道・島田緑道・植田緑道・平針原緑道から構成される。植田緑道には300本を超える桜(ソメイヨシノ)が植えられており、春には美しい景観が広がる。緑道にはベンチが設置されており、休憩ができるようになっている。付近には新音聞橋緑地などの小緑地も存在する。
  • 天白川緑地(名古屋市) - 天白川の河川敷に設けられた緑地。公園やサイクリングコースなどがある。
景観
  • 天白護床工(名古屋市) - 植田川との合流点に存在する落差工。愛知県名古屋土木事務所設計。せせらぎの音の創出という点と、自然と調和した外観という点から、平成4年度名古屋市都市景観賞を受賞し、散歩コースの名所となっている。その一方で、アユやオイカワといった生物の遡上を妨げているという一面もある。
  • 寄鷺橋(名古屋市) - 東海地方では珍しい、ニールセンローゼ橋。人道橋である。

イベント

上流部

網による生物捕獲(ガサガサ)などのイベントが開かれる。

校歌に天白川が含まれる学校

流域の7の小中学校には、校歌に天白川が含まれている。

流域の周辺施設

交通

公共交通機関

鉄道
名古屋市営地下鉄
  • 桜通線 野並駅、鶴里駅
  • 鶴舞線 植田駅、原駅、平針駅
東海旅客鉄道(JR東海)
  • CA  63  東海道本線 大高駅

道路

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 慶応義塾大学『知多郡史』下巻 · 第3巻 愛知県知多郡 、発行年:1923年。
  • 深田正韶『尾張志』発行年:1891年。
  • 新修名古屋市史編集委員会『新修名古屋市史:民族編』名古屋市。
  • 内田和子「名古屋市におけるため池の保全・活用に関する考察」『水利科学』 51巻、6号、一般社団法人日本治山治水協会、2008年2月1日。 
  • 『市内河川・ため池・名古屋港の水質の変遷』名古屋市環境局地域環境対策部地域環境対策課・名古屋市環境局地域環境対策部環境科学調査センター・名古屋市緑政土木局下線部河川計画課、2021年3月。 
  • 荒川銜次郎『戦国時代活史』177ページ、秀文館。

外部リンク

  • 日進市 天白川雨量水位観測システム
  • 名古屋市:天白川水系の河川(暮らしの情報)
  • 愛知県 川の防災情報 カメラ概況図新川・天白川・日光川
  • 国土交通省【川の防災情報】テレメータ水位(天白川)
  • 国土交通省 【川の防災情報】(愛知県尾張東部)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 天白川 (愛知県) by Wikipedia (Historical)


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