Aller au contenu principal

大岡忠與


大岡忠與


大岡 忠與(おおおか ただとも)は、三河西大平藩第4代藩主。大岡忠世家6代当主。

播磨安志藩第2代藩主・小笠原長逵の四男として生まれる。

西大平藩第3代藩主・大岡忠恒の養女を娶り、その養子として迎えられ、天明4年(1784年)に忠恒の隠居により家督を譲られる。同年、10代将軍徳川家治に御目見して従五位下・越前守に叙任するが、その2年後の天明6年(1786年)に死去した。

忠與には男児がおらず、家督は忠恒の次男の忠移が養子として継いだ。

系譜

父母

  • 小笠原長逵(実父)
  • 小林氏(実母) - 側室
  • 大岡忠恒(養父)

正室

  • 大岡忠恒の養女、大岡忠宜の娘

養子

  • 大岡忠移 - 大岡忠恒の次男

脚注


Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 大岡忠與 by Wikipedia (Historical)


INVESTIGATION