陣内 智則(じんない とものり、1974年〈昭和49年〉2月22日 - )は、日本のお笑いタレント(ピン芸人)、司会者、YouTuber。兵庫県加古川市出身。兵庫県立高砂南高等学校卒業。吉本興業(東京本社)所属。妻はフジテレビアナウンサーの松村未央。
加古川市立別府小学校、加古川市立別府中学校、兵庫県立高砂南高等学校卒業後、高校の同級生である西口圭と共にNSC大阪校の11期生として入学し、西口とお笑いコンビ『リミテッド』を結成。このコンビ名は陣内が「限界」という意味の「リミット(limit)」と間違って名付けたものである。実際、「リミテッド(limited)」は「制限された」「わずかな」という意味の言葉だが、本人は指摘されるまでこの勘違いに気付かなかった。リミテッドとしての初仕事は、その当時、WコウジがMBSラジオで放送していたラジオ番組の素人参加型コーナーだった。その他、高校時代にも『ピート・ローズ』のコンビ名で出演し賞金を稼いでいた。その後、『NSCアマチュア大賞』の秋開催のグランプリを獲得。これが、リミテッド時代に獲得した唯一の賞となる。
陣内は同級生と一緒にNSC入学と同時に、祖父の知り合いが営んでいた寿司屋・小鯛雀鮨鮨萬で生活費などを稼ぐためにアルバイトで入るつもりが、誤って正社員になる手続きを済ませてしまった。職人達の中での厳しい仕事だったため同級生はすぐに辞めたが、陣内は卒業までの1年間、早朝4時に起床してからの皿洗いやシャリ炊き、料理の下拵えなどをしていた。
NSC卒業後、心斎橋筋2丁目劇場を中心に活動を開始。しかし当時のリミテッドは評判が芳しくなく、「2丁目ブーム」の中リミテッドは「2丁目で一番おもんないコンビ」などと揶揄されていた。その結果、結成3年後の1995年9月をもってコンビは解散。相方の西口は解散と同時に芸能界から引退したことに伴い、陣内自身はピン芸人への転向を余儀なくされた。
先述の通りリミテッドの評判が悪く「見たら不幸になるコンビ」という批評もあり、舞台に立つと観客が顔を伏せる状況であった。実際、当時はネタ番組で1分だけの出演にも関わらず出番になった途端画面に台風情報が入ったり、一般参加型のフェリーツアーの追加メンバーにリミテッドの名前が出た途端台風でツアーが中止になったりするなど、不運ぶりも群を抜いていた。このことで陣内自身も萎縮してしまっており、ライブの前説をする後輩に「今日来た方は残念でしたね。なんと、今からリミテッドが出ます!!」といじられてもまったく反応を返せなかった。その後、後輩芸人の予定が合わなかったため、その代役としてテレビ番組に出演することになったが、出番は着ぐるみを着て舞台を通過するだけという屈辱的なものだった。陣内はそのことが悔しくて仕方なかったが、相方の西口が意欲のない態度を示したため、その場で殴り合いの喧嘩となり、その最中に陣内は解散を決意した。
リミテッド解散以降、「Wachacha Live」への出演もままならなくなった陣内はテレビの『すんげー!Best10』や同番組で結成されたユニット「そういう人達」のライブ活動で凌ぎ、1996年12月の若手ネタ番組『オールザッツ漫才』(毎日放送、関西ローカル)に出演。若手芸人のトーナメント戦で欠員が出たため(岸本R突然の不参加による)、陣内が急遽スタッフに呼ばれ1人でネタを披露するという場面があった。センターマイク前に1人で立ち一発ネタを1人でただしゃべるだけだったが、これが大受けし3回戦まで進出した。
解散のショックからなかなか立ち直れないでいた1997年、先輩芸人や吉本側から「ネタが作れない芸人は出るな」「次のイベントでスベったら芸人を辞めろ」と最後通告を受ける。プレッシャーからネタ作りもままならなかったが、イベントの直前に偶然乗った電車の車掌のアナウンスが変であったことに思わずツッコミを入れたところ周囲から笑いが起きたことに気づき、現在の持ちネタである「予め用意された音声や映像にツッコミを入れるネタ」の原型となる、新しい手法のネタが閃いた。開演数分前にようやく新ネタが完成し、それを演じたところ評判が良かったため吉本の陣内に対する評価も変わり、仕事が増えるようになる。
1999年10月放送開始の情報番組『ちちんぷいぷい』(毎日放送)の月曜レギュラーに抜擢され、同曜日の人気企画「クイズ私鉄沿線」で関西の中年層への知名度も徐々にアップする。同年11月からは爆笑オンエアバトル(NHK総合)に出場。初挑戦で当時の最高KBである537KBを記録。以降も高得点を連発し、番組の常勝組となっていく。
1999年にbaseよしもとが開館し、FUJIWARA、シャンプーハットらとともに後輩たちをまとめる役を買って出ることになった。また、この頃から番組やイベントなどでの司会を任されることが多くなるが、その中でも圧倒的に毎日放送での仕事が多い時期に、毎日放送の番組で有名になったこともあって陣内は「MBSの若獅子」「MBSと言えば陣内智則」と言われるようになる。ケンドーコバヤシからは「(当時同局アナウンサーだった角淳一に媚びているのではないかという冷やかしで)角智則に改名しろ」と言わしめたほどだった。
baseよしもとを卒業後は、うめだ花月やルミネtheよしもとなどで活動。2003年に『エンタの神様』(日本テレビ系列)に出演して以来東京での仕事も増えていく。平日は大阪で仕事をし、木曜日に『なるトモ!』(読売テレビ)の生放送と同番組の金曜分の収録が終わるやいなや、午後から新幹線や航空機で移動し、東京で『エンタの神様』などの番組収録とルミネtheよしもとの公演をこなしていた。
2003年頃からは、俳優、声優など他の仕事も手掛けるようになる。ドラマでは『かるたクイーン』(NHK制作、2003年1月放送。石田ひかり、山口達也、錦戸亮ほか出演)に主人公に恋する新聞記者役として毎回出演した。
2004年、予てから好きだと公言していたゲームソフト桃太郎電鉄シリーズ(ハドソン)の第13作「桃太郎電鉄USA」のCMに出演(若槻千夏、Psycho le Cémuと共演)し、これが自身初のCMとなる。
2004年から朝日放送の日曜正午枠「日曜笑劇場」に主演・座長としてレギュラー出演するようになる。同年6月に、単独ライブ『NETAJIN』公演を開催、この模様はDVD『NETAJIN』に収録された。
2005年4月4日、5年2か月間レギュラー出演していた『ちちんぷいぷい』を降板。当時関西ローカルで放送されていた『なるトモ!』が同年10月3日から日本テレビ、中京テレビ、広島テレビ、熊本県民テレビでもネットされるようになった。
2006年1月19日放送の『なるトモ!』で番組開始から約1時間遅刻。『陣内智則のひとり番長』(TBSラジオ制作)生放送終了後、東京から大阪市へ向かう新幹線車内で熟睡し下車する新大阪駅を乗り過ごしたことが直接の原因。この件は大阪版スポーツ紙などでも報道された。同年4月、日本テレビ系DRAMA COMPLEX『59番目のプロポーズ』の収録時に藤原紀香と出会う。自身の収録分の最終日に、陣内は紀香に手紙を渡し、約1週間後のオールクランクアップの後、紀香から陣内にメールを送ったのを契機に、友人としての付き合いが始まる。
同年11月末に初めて藤原紀香との結婚の噂が報道される。その時は本人はまだ結婚するという考えはなかったが、メディア に注目されたのをきっかけにプロポーズ。同年12月10日に神戸市中央区の生田神社で結納を交わし、2007年2月17日に同神社で結婚式が行われた。結婚式には、同期のケンドーコバヤシ、たむらけんじや『なるトモ!』で共演するなるみ、海原やすよ・ともこ、恋さん(シャンプーハット)らが出席した。この結婚式の模様は、同日の16:20 - 16:55に読売テレビが放送し、関西で18.2%という高視聴率を記録した。交際をするにあたり、『なるトモ!』に出演している芸能リポーターである駒井千佳子に相談していた。
結婚式翌日に出演した「ルミネtheよしもと」では、生田神社のような規制(ただし、コント出演中の写真撮影は禁止された)もなく、素でコントをしている所などが見られた。結婚を機に東京で紀香と新居に引っ越し、『なるトモ!』の生放送および収録がある毎週月曜から木曜は片道3時間にもわたる新幹線通勤を行っていた。
2007年4月10日、加古川市役所にてともに婚姻届を提出し正式に夫婦となった。2007年5月30日、結婚披露宴をホテルオークラ神戸で行い、日本テレビ系列にてゴールデンタイムに放送。ビデオリサーチ社が調査した平均視聴率は、関東で24.7%、関西で40.0%であった。また瞬間最高視聴率は、関東で32.7%、関西で49.2%であった。また、陣内は披露宴にてコブクロの『永遠にともに』のピアノによる弾き語りを披露した。
2008年9月23日、約4年半司会を続けた『なるトモ!』を降板。
2009年3月20日、離婚届を提出し、同年3月23日に正式に受理される。
離婚から半年経った2009年10月、約3年ぶりの単独全国ツアーライブ『NETAJIN Live Tour 2009〜墜ちたら這い上がれ〜』を公演。サブタイトルの「墜ちたら這い上がれ」は、離婚によるマスコミや世間からのバッシングが治まっていない時期に収録した『いい旅・夢気分』(テレビ東京)のロケ先で見つけ購入した絵画に書かれていた言葉から取られた。
同年2009年12月、2009年S-1バトル12月度月間チャンピオンに選ばれる。作品名は「ボーリング」(ボウリング)。
2003年から7年連続で務めた「オールザッツ漫才」(毎日放送)の司会を2009年を最後に勇退。
2010年4月6日、ルミネtheよしもとで吉本新喜劇座長としてデビュー(よしもと新喜劇強化プロジェクトの期間限定座長)。
2011年6月12日には、自身初の海外公演『陣内智則 ワールドライブツアー 第1弾 In韓国 NETAJINマイベスト〜世界進出本気で狙ってます〜』を韓国・ソウルで開催。日本でも毎日放送で、2011年7月18日(17日深夜)に、その模様が関西ローカルの特別番組「ハングルで笑わせろ!〜密着! 陣内智則ライブin韓国〜」が放送された。同年5月には、同公演の告知を兼ねて、同国のテレビ局・KBSの人気バラエティ番組『ギャグスター シーズン2』へゲスト出演した。自分で制作に関わった映像にツッコミを入れるネタがYouTube配信の動画を通じてアジア諸国などで評判を呼んでいることを受けた訪韓で、出発前には後輩の女性芸人・ヒヨン(NSC東京14期生)を相手に、約1か月にわたって韓国語を猛勉強。その結果、上記の公演・番組では、持ちネタの一部を韓国語で披露している。
2012年4月、吉本興業創業100周年記念の舞台作品シリーズ「吉本百年物語」において、第1弾の「大将と御寮ンさん・二人の夢」に創業者・吉本吉兵衛 役で国仲涼子(妻・吉本せい 役)とともに主演を務めた。
2013年1月27日、第34回ABCお笑いグランプリの審査員を務めた。お笑いコンテストの審査員を務めるのは初となる。2018年と2019年にはR-1ぐらんぷりの審査員も務めた。
2020年2月22日、46歳の誕生日に自身のYouTubeチャンネル『陣内智則のネタジン』を開設。今まで作ってきたネタや過去のネタの動画を毎週水曜と土曜の18時に配信している。2021年1月29日には英語版のチャンネルも開設した。
同年11月11日、bilibiliにて公式アカウントを開設、YouTubeに投稿してきた動画をこちらにも投稿し、中国における動画配信デビューを果たした。また、動画は中国語字幕付きで配信されている。
2021年11月10日から12月18日にかけて、動画編集とディレクターを務めているスタッフが「未破裂左椎骨動脈解離」で緊急入院した為『ネタジン』の配信を休止。
身長167cm 体重58kg。NSC大阪校11期生。
趣味は野球観戦とゴルフ。
好きなミュージシャンは尾崎豊、Mr.Childrenなど。特に尾崎豊はマニアだと自称するほどのファン。出囃子はBLANKEY JET CITYの「ロメオ」。
一番好きな映画は『ライフ・イズ・ビューティフル』。
ゴルフを2005年頃から始めていて、東野ゴルフクラブ所属。
桃太郎電鉄シリーズ - 陣内桃則(じんないもものり)名義(2024年2月現在「剥奪中」)。
演劇鑑賞 - 劇団☆新感線、三谷幸喜、後藤ひろひとなどの舞台を好んで観劇。
絵を描くのとダンスが苦手である。
「陣くん」、「陣ちゃん」などと呼ばれる。『なるトモ!』(読売テレビ制作)では三浦隆志(読売テレビアナウンサー)から「陣様」とも呼ばれていた。日本テレビ『ニノさん』で共演する嵐の二宮和也とSexy Zoneの菊池風磨からは「陣さん」と呼ばれている。
舞台に上がるのは陣内智則ただ1人であるためピン芸人という位置付けであるが、実際はグラフィックデザイナーの原田専門家と2人組でネタを制作している。原田専門家がボケとなる映像を制作し、陣内智則が映像にツッコミを入れる形でお笑いを展開している。
現在のレギュラー
現在の準レギュラー
現在の不定期出演・特番
過去の出演
*MCもしくはメインキャスト
陣内智則のYouTubeチャンネルに投稿されたネタ。
陣内は2020年にbilibiliにアカウントを登録。投稿されたネタは以下の通り。
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