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相模 (戦艦)


相模 (戦艦)


相模(さがみ)は、日本海軍に所属した戦艦。 元は、帝政時代のロシア海軍の戦艦ペレスヴェート(ロシア語:Пересвет)、日本海軍の法令上はペレスウェート、日露戦争(旅順攻囲戦)において沈没。その後、日本海軍に鹵獲されたものである。 艦名は旧国名「相模国」にちなむ。 明治天皇に奏聞した候補艦名に「阿波」があった。

艦歴

1895年(明治28年)11月21日、起工。1898年(明治31年)5月19日、進水。1901年(明治34年)6月、サンクトペテルブルクで竣工。同年10月24日、極東に向け出港する。1902年(明治35年)4月9日、旅順に到着する。旅順艦隊に所属。1904年(明治37年)8月の黄海海戦ではパーヴェル・ウフトムスキー少将が坐乗し本隊の4番艦として参加。艦隊司令長官ヴィリゲリム・ヴィトゲフト少将の戦死後は嚮導艦となったため集中砲火を浴び大損害を受けた。12月上旬、旅順港内で203高地からの測定による日本陸軍第三軍の28cm榴弾砲の曲射砲撃を受け着底する。旅順要塞降伏後の日本側の調査では、破損は直接の沈没原因ではなく4か所のキングストン弁の開放により喫水が下がり、破孔や舷側砲門などから浸水したものと推定されている。弾痕は多数あったが、舷側や弾火薬庫には損傷が無かった。

1905年(明治38年)1月1日、旅順要塞降伏にともない日本海軍に捕獲される。5月15日から6月29日にかけて浮揚作業を実施した。 8月17日、3隻(ペレスウェート、日本丸、薄雲)は旅順港を出発する。ペレスウェートは自力で日本に向かった。 日本本土へ回航中の8月22日附で他の戦利艦と共に軍艦籍に編入および改名、本艦は「相模」と命名される。一等戦艦に類別。 8月23日、佐世保に到着。9月13日、佐世保を出発して9月16日に横須賀へ到着。その後、横須賀海軍工廠で大修理を実施した。 9月21日、松山捕虜収容所で元ペレスウェート艦長が死去する。艦長が亡くなるまで献身的な看護をおこなった日本人看護婦4名に対し、ロシア帝国は功労銀メダルを授与した。 10月23日、東京湾で凱旋観艦式(明治天皇御召艦浅間、先導艦八重山)が行われる。元ロシア海軍艦艇(相模《ペレスウェート》、丹後《ポルタワ》、壱岐《インペラートル・ニコライ一世》、沖島《ゲネラル・アプラクシン》、見島《アドミラル・セニャーウィン》)等も凱旋観艦式に参列した。

12月12日、日本海軍は艦艇類別等級表を改定。戦艦の等級廃止にともない、当時日本海軍が保有していた9隻(富士、敷島、朝日、三笠、石見、相模、丹後、肥前、周防)が『戦艦』に類別される。

1908年(明治41年)秋頃、横須賀工廠での修理工事完了。旧ペレスウェート級2隻(ペレスウェート、ポピエダ)は軍艦「相模」と「周防」となり、日本海軍艦艇として活動することになった。 1909年(明治42年)9月2日、裕仁親王(当時8歳、後日昭和天皇)、雍仁親王、宣仁親王達は横須賀鎮守府を訪れる。上村彦之丞横須賀鎮守府司令長官等の案内で、裕仁親王達は「相模」(艦長上村翁輔大佐)に乗艦、本艦を見学した。

1912年(大正元年)8月28日、日本海軍は艦艇類別等級表の改訂を実施。「相模」は一等海防艦(7000トン以上)に類別変更される。 その後、日露親善のためロシア側に返還することとなった。 1916年(大正5年)4月4日、3隻(相模、宗谷、丹後)は軍艦籍より除籍。艦艇類別等級表からも削除。「相模」は「ペレスヴェート」に艦名を戻し、ウラジオストクで引き渡された。5月23日、同港外で座礁。 巡洋艦「笠置」が、横須賀海軍工廠と舞鶴工廠の職工を遭難現場まで移送した。7月9日、日本海軍により浮揚。8月に舞鶴工廠で修理を行った。

1917年(大正6年)1月4日、スエズ運河を通過して白海へ回航の途中、ポートサイド北方で独潜水艦(U-73)が敷設した機雷に触れ沈没した。

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

日本海軍
  • 土屋光金 大佐:1908年4月20日 - 12月10日
  • 上村翁輔 大佐:1909年5月22日 - 1911年9月2日
  • (兼)江口麟六 大佐:1911年9月2日 - 9月21日
  • (兼)土山哲三 大佐:1911年9月21日 - 12月9日
  • 平岡貞一 大佐:1912年4月20日 - 1912年12月1日
  • 小黒秀夫 大佐:1913年4月1日 - 1914年5月29日
  • 布目満造 大佐:1914年5月29日 - 1915年10月1日
  • 小山田仲之丞 大佐:1915年10月1日 - 12月13日
  • 関重孝 大佐:1915年12月13日 - 1916年4月4日

同型艦

  • ペレスヴェート級戦艦
    • オスラビア(日本海海戦で沈没)
    • ポベーダ(日本海軍編入後は周防)

参考文献

  • 岡本孝太郎『舞廠造機部の昭和史』文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 宮内庁 編『昭和天皇実録 第一 自明治三十四年至大正二年』東京書籍株式会社、2015年3月。ISBN 978-4487-74401-5。 
  • コンスタンチン・サルキソフ、鈴木康雄訳『もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から』朝日新聞出版〈朝日選書 851〉、2009年2月。ISBN 978-4-02-259951-3。 
  • 「世界の艦船増刊第35集 ロシア/ソビエト戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第79集 日本戦艦史」(海人社)
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第一巻 日本戦艦物語〔Ⅰ〕』光人社、1992年5月。ISBN 4-7698-0607-8。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第二巻 日本戦艦物語〔Ⅱ〕』光人社、1992年8月。ISBN 4-7698-0608-6。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第六巻 世界戦艦物語』光人社、1993年8月。ISBN 4-7698-0654-X。 
  • 歴史群像編集部編「第10章 捕獲艦と賠償艦」『決定版日本の戦艦 日本海軍全戦艦ガイダンス』学習研究社〈歴史群像シリーズ 太平洋戦史スペシャル Vol.5〉、2010年10月。ISBN 978-4-05-606094-2。 
  • 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)
  • 『官報』
  • 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
    • 有恒社編『明治・大正・昭和歴史資料全集. 戰役・外患篇』有恒社、1932年6月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920470 
    • 伊藤痴遊『元帥東郷平八郎』郁文舎出版部、1934年9月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232938 
    • 小笠原長生『東郷平八郎全集.第2巻』平凡社、1935年7月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176104 
    • 小笠原長生『東郷平八郎全集.第3巻』平凡社、1935年9月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176123 
    • 海軍文庫『大日本帝国軍艦帖』共益商社書店、1894年10月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/845238 
    • 「海軍」編輯局 編『帝国最新軍艦帖』画報社支店、1912年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966146 
    • 海軍有終会編『幕末以降帝国軍艦写真と史実』海軍有終会、1935年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1466489 
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻4(1939年印刷)』海軍大臣官房、1939年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886711 
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷)』海軍大臣官房、1940年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716 
    • 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷)』海軍大臣官房、1940年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886713 
    • 軍令部 編『明治三十七・八年海戦史.上巻』内閣印刷局朝陽会、1934年8月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452699 
    • 軍令部 編『明治三十七・八年海戦史.下巻』内閣印刷局朝陽会、1934年9月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1452726 
    • 光村写真部『日露戦役旅順港要塞戦写真帖』光村写真部、1905年8月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774534 
    • 坪谷善四郎編『日露戦役海軍写真集. 第1輯』博文会、1905年9月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774272 
    • 坪谷善四郎編『日露戦役海軍写真集. 第2輯』博文会、1905年10月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774273 
    • 坪谷善四郎編『日露戦役海軍写真集. 第3輯』博文会、1905年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774274 
    • 坪谷善四郎編『日露戦役海軍写真集. 第4輯』博文会、1906年7月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/774275 
    • 帝国水難救済会 編『帝国軍艦帖』帝国水難救済会出版部、1916年5月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966621 
    • 中島武『明治の海軍物語』三友社、1938年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720072 
    • 中島武『大正の海軍物語』三友社、1938年11月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1720075 
    • 藤田定市編『戦袍余薫懐旧録.第2輯』財団有終會、1926年12月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447099 
    • 藤田定市編『戦袍余薫懐旧録.第3輯』財団有終會、1928年1月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1447108 
    • 鳳秀太郎編『日露戰役話集 大戰餘響』博文館、1917年3月。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/954055 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『17.露国軍艦(旧名相模)座礁ノ件』。Ref.B07090406200。 
    • 『露国海軍太平洋第1、第2、艦隊艦船名』。Ref.C09050753800。 
    • 『第3号 旅順口港内沈没戦利軍艦破損箇所詳細図(明治38年10月19日旅順口海軍工作廠より海軍軍令部に送付せるものなり)/阿蘇、津軽、周防、肥前、丹後、相模』。Ref.C05110198300。 
    • 『第4号 明治39年2月17日旅順口海軍工作廠に於て調整したる1番艦「ペレスウェート」浮揚報告附図』。Ref.C05110198400。 
    • 『第5号「ペレスウェート」破損箇所詳細図(弾痕(A)図以下22枚)』。Ref.C05110198500。 
    • 『第3編 戦利艦船の収容引揚及ひ回航/第1章 収容艦船の概要』。Ref.C05110196200。 
    • 『第3編 戦利艦船の収容引揚及ひ回航/第4章 相模(元「ペレスウエート」)の引揚及ひ回航』。Ref.C05110196500。 
    • 『第3編 戦利艦船の収容引揚及ひ回航/第5章 丹後(元「ポルターワ」)の引揚及ひ回航』。Ref.C05110196600。 
    • 『明治38年 公文備考 巻10艦船1/進水、命名、艦船籍、類別、等級』。Ref.C06091630000。 
    • 『海戦史第6部巻之13(下)戦利艦(2)』。Ref.C09050733500。 
    • 『「ペレスウエート」遭難(1)』。Ref.C08020779100。 
    • 『「ペレスウエート」遭難(2)』。Ref.C08020779200。 
    • 『「ペレスウエート」遭難(3)』。Ref.C08020779300。 
    • 『「ペレスウエート」遭難(4)』。Ref.C08020779400。 
    • 『「ペレスウエート」遭難(5)』。Ref.C08020779500。 
    • 『第2特務艦隊開戦前誌 大正6年2月7日~28日(2)』。Ref.C10080646500。 
    • 『明治38年 達 完/8月』。Ref.C12070053200。 
    • 『明治38年 達 完/12月』。Ref.C12070053600。 
    • 『大正元年 達 完/8月』。Ref.C12070064400。 
    • 『大正5年 達 完/4月』。Ref.C12070070600。 

脚注

関連項目

  • 大日本帝国海軍艦艇一覧
  • ソ連・ロシア海軍艦艇一覧
  • 戦艦一覧
  • ペレスヴェート (大型揚陸艦)

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 相模 (戦艦) by Wikipedia (Historical)