『黄色い涙』(きいろいなみだ)は、永島慎二の漫画作品『若者たち』を原作として1974年に放送された日本のテレビドラマ、および2007年4月14日に公開された日本映画。
脚本はテレビドラマ・映画いずれも市川森一がつとめた。
1968年 - 1970年『週刊漫画アクション』に不定期掲載。全11話。
1974年11月25日 - 12月20日に、NHK総合テレビジョンの月曜 - 金曜21時40分 - 22時00分に『銀河テレビ小説』で放送された。全20回。NHK名古屋放送局製作。市川森一にとって、NHKで初めて脚本を担当した作品である。ドラマ化に際しては、既に原作漫画と同名タイトルのテレビドラマ「若者たち」が存在していたため、原作漫画のシリーズ名「シリーズ黄色い涙」を引用した「黄色い涙」にタイトルが改められた。
1963年(昭和38年)12月。ひょんな事から知り合って早々東京・阿佐ヶ谷のアパートの一室で共同生活をする事になった一流の漫画家・画家・小説家・歌手を志す若者4人と、彼らの行きつけの喫茶店、食堂の人々の日常を描く。
森本レオがNHKに原作を自分の主演、友人の市川森一の脚本で売り込んだ事から企画がスタートした。オープニング映像には永島が描いた出演者たちの似顔絵が使われている。永島慎二がスタジオ見学のついでにさかえ食堂の客の一人として出演している。最終回ではフランスの作家・モンテルラン(1896‐1972)による詩の一節が登場する。
全編スタジオにてVTR収録。番組終了後に放送用ビデオテープが消去されたため、NHKに映像は残っていなかった。 しかし、主演の森本レオが家庭用ビデオで録画していた映像が現存しており、「NHKビデオギャラリー」1989年3月19日放送回では最終回が放送された。現在は森本レオ録画分の全20回がNHKアーカイブスに所蔵されており、NHK各放送局および関連施設にある「番組公開ライブラリー」にて無料で閲覧することができる。 NHKに本作のスチール写真は保存されていない。
市川森一による全20話分の脚本は、単行本として1984年に大和書房から発売されている。そのあとがきによれば、東京で入院する病気の母親が乗って来る夜行列車に、知り合いに医者を装わせ乗り込ませる冒頭のドラマオリジナルのエピソードは市川自身の体験を元にしているという。
ほか
2007年4月4日に都内で先行ロードショー、4月14日に他4劇場で封切られた。J Storm製作。
監督をつとめた犬童一心が、中学生の頃にテレビドラマ版を見たときに感動し、ずっと映画化したいと思い続けた。そして念願が叶い、2006年に自らの手で実現した。映画では嵐の5人が、1960年代の日本を背景にそれぞれ夢を追い求める青年を演じる。
舞台は東京都杉並区阿佐ヶ谷界隈。また、ロケ地では岐阜県大垣市西大垣駅、愛知県江南市新町商店街、愛知学院大学、三重県津市江戸橋、三重大学、静岡県島田市などが使われた。
1963年、翌年にアジアで初のオリンピック開催をひかえた東京の街は、工事とビルラッシュが至る所で行われ、首都がメガロポリスに変貌していく前夜の様相を呈していた。この年の晩秋、都心からわずかに逸れた中央線沿線の町、阿佐ヶ谷界隈を舞台に夢を語らう5人の若者たちを描く。
杉並区阿佐ヶ谷界隈の路地の喫茶店『SHIP』に児童漫画家の村岡栄介(二宮和也)がいた。郷里の病気の母「きぬ」を東京の大病院に入院させるため、医者に扮し駅まで迎えに行くというアルバイトの人材を栄介は探していた。癌でそう長くはない「きぬ」への最後の親孝行として、何とかしたかった栄介は、求人広告を見ていた小説家・向井竜三(櫻井翔)、無銭飲食をしようとした画家・下川圭(大野智)、栄介のアパートの隣人で北海道へ帰る歌い手志望・井上章一(相葉雅紀)と出会う。最初は嫌がる竜三、圭、章一だったが、アルバイト料欲しさにしぶしぶ引き受けることにし、病院まで送り届けることになる。栄介は「きぬ」が涙を流して喜んでくれた事で報われた気持ちだった。そして仕事を終えた4人は、互いに握手を交わして別れていった。しかし、梅雨の雨の日、栄介のアパートに再び圭、竜三、章一が転がり込み無為徒食の日々を送っていた。
本映画のDVDが、2007年10月3日に、Blu-rayが2018年12月26日にそれぞれ発売された。
『黄色い涙 オリジナル・サウンドトラック』は、2007年4月4日にJ Stormから発売された、本映画のサウンドトラック。
特記があるもの以外は、全てSAKEROCKによるもの。
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