スピードワゴンは、ホリプロコムに所属する井戸田潤と小沢一敬からなる日本のお笑いコンビ。1998年12月結成。M-1グランプリ2002・2003、THE SECOND 2023ファイナリスト。2024年1月14日より小沢が無期限活動休止となり、現在は井戸田が単独で活動している。
2人とも愛知県出身で、中日ドラゴンズファン。
NSC名古屋校2期の同期として2人は出会う。1994年入学であるため、大阪校では13期のブラックマヨネーズ、次長課長、野性爆弾、徳井義実(チュートリアル)らが同期にあたる。名古屋吉本時代に井戸田は「マグニチュード」、小沢は「バツイチ」とそれぞれ別のコンビを組んでいた。共にランキングシステムの上位常連で、常に優勝を争う関係だった。吉本時代は新田敦生(よしもとエリアアクション副社長、当時は名古屋吉本の所長)の世話になり、ホリプロに移籍してからもラジオでの共演を経てプライベートでも親しくしている。
先に上京していた井戸田が、コンビ解散寸前だった小沢を誘って1998年にコンビ「小沢と井戸田」を結成。井戸田が大須に位置する小沢の自宅にトラックで押しかけ、そのまま上京させたというエピソードがある。
吉本では銀座7丁目劇場を拠点としていたが、同劇場が閉鎖直後に吉本側から「2人はお休みです」と言われ事実上仕事を干されてしまう。危機感を持った2人は他事務所のライブへの参加・ネタ見せなどを積極的に行い、その中でも高評価してくれたM2カンパニー(後のホリプロコム)への移籍を決意した。それに伴い、コンビ名を現在のものに改めた。なお吉本を退社する際、井戸田が吉本の事務所へ電話したところ対応した女性に「はいオッケーです」と言われて退社が決まった。
2000年から『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)の常連出演者となり、2002年の『M-1グランプリ』では敗者復活戦からの決勝進出を果たす。決勝出場前の月給は3,000円だったが、大会終了後はメディアへの露出が増えた影響で一気に100倍の額にまで跳ね上がったという。また、2002年の『M-1』決勝出場前のネタ打ち合わせの際、井戸田が小沢へ「明日から忙しくなるよ」と声をかけたらしい。2004年、「甘い言葉」ネタで一躍ブレイクを果たす。
2005年、井戸田が安達祐実と結婚して世間の耳目を集める。2006年にはキー局初の冠番組『激あま〜い』(TBSテレビ)が始まるも、一方でコンビでの新ネタを披露する機会は減少した。
井戸田の結婚生活は長く続かず、離婚後の未練タラタラぶりなどで好感度を下げていった。こうした私生活面をテレビで面白く語らなければならないこと、更には小沢がお笑いからめっきり遠ざかってしまったことなどが重なり、当時の井戸田は精神的にも相当疲弊していた。
2014年10月2日放送『アメトーーク!』(テレビ朝日)・「俺たちくされ縁芸人」において、2人の同期にあたる徳井義実(チュートリアル)が小沢と共演。小沢の独特な感性を紹介したことで少しずつ小沢のキャラクター性が注目され始めた。これは翌年1月22日放送のフィーチャー企画「小沢という変人」へと発展、「SEKAI NO OZAWA」やそれを略した「セカオザ」の愛称が定着していった。こうして小沢の方も再び露出が増え、コンビとしての活動も盛んになった。
2015年、なごやめしPR大使に就任。
2024年1月13日、小沢に関する週刊誌報道で混乱が続いていることから、小沢が自分の意志により活動自粛することを所属事務所が発表。これを受けて井戸田は、翌1月14日朝にスピードワゴンは無期限活動休止となることを発表した(井戸田ソロの仕事は継続する)。
2人のテンションと話術に裏打ちされた正統派のしゃべくり漫才が持ち味で、クールでベタなボケと大声でテンションの高い独特なツッコミによるメリハリの効いた展開から「新感覚のポップ漫才」と称されることがある。
小沢が荒木飛呂彦の漫画『ジョジョの奇妙な冒険』のファンであり、コンビ名は作中に登場する架空の人物・ロバート・E・O・スピードワゴン及びその人物が設立した財団の名称「スピードワゴン財団」に由来する。その縁で、2007年公開の映画『ジョジョの奇妙な冒険 Part1 ファントムブラッド』にゲスト出演したものの構成上の理由から(元ネタの)スピードワゴンは登場していない。なお、コンビ名の候補は他に「ワイルドチョコレート」などがあった。
『爆笑オンエアバトル』には開始当初の1999年度から2003年度まで常連組として長きに渡って出場。同番組の黄金時代を支えた芸人の一組でもある。
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