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金泰泳 (格闘家)


金泰泳 (格闘家)


金 泰泳(きん たいえい、男性、1970年7月8日 - )は、日本の空手家(正道会館四段)、キックボクサー、総合格闘家。兵庫県尼崎市出身。朝鮮系日本人で、民族名はキム・テヨン(김 태영、Kim Tae Young)。神戸朝鮮高校を経て朝鮮大学校卒業。

K-1創成期の中心選手の1人で、フルコンタクト空手で数々のタイトルを獲得した。中量級ながら重量級の選手相手に勝利を積み重ねた。弟子にKEITAがいる。 正道会館で後進を指導する傍ら、チェ・ホンマン、秋山成勲らの打撃コーチやセコンドも務めた。

来歴

幼少期

兵庫県で4人家族の長男として生まれる(弟がいる)。両親が共働きで日曜日も働いていたため、あまり親との接点はなかった。親が夜中まで家に居なかったため、幼稚園のときに親から強制的に空手の道場に入門させられる。空手は小学6年生のときに辞め、小学校4年からサッカーに興じ、中3の時には全国大会で優勝した。神戸朝鮮高校時代に海外のボクサーに憧れ、ボクシングを始めようとするも、親から猛反対され高校の空手部に入門。その後、朝鮮大学校に入学後も空手部に入門。佐藤塾の大会に出た事で、石井和義にスカウトされた。なおその大会では角田信朗に敗北。またこの敗北がきっかけで卒業後に正道会館入門を決めた。

プロデビュー

1993年1月31日、東京武道館で開催された「第2回トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」に出場。準決勝で村上竜司に2-0の判定勝ちを収めるも、決勝で佐竹雅昭に0-3の判定負けを喫し準優勝となった。

同年6月25日、「聖戦〜SANCTUARY III〜 風林火山 "風の章"」のUKF世界ライトヘビー級王者決定戦に出場。チャンプア・ゲッソンリット(タイ)に判定負けし、王座獲得に失敗。

7月25日には、オーストラリア・シドニーで開催された「BATTLE OF CHAMPIONS」でリック・クルーに判定勝ちを収めた。

1994年1月30日、東京武道館で開催された「第3回トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン」に出場。決勝戦で後川聡之と対戦し、0-3の判定負けを喫し2年連続の準優勝となった。

最初の世界王座獲得

1994年3月4日、「K-1 CHALLENGE」のUKF世界ライトヘビー級タイトルマッチでチャンプア・ゲッソンリット(王者/タイ)と対戦。判定勝ちし、王座獲得に成功。

1995年7月16日、名古屋レインボーホールで開催された「K-3 GRAND PRIX '95」に出場。決勝戦でイワン・ヒポリットに判定負けし準優勝となった。

1995年10月8日、大阪で行われた「カラテワールドカップ '95」に出場。決勝で後川聡之を下し優勝した。

2つ目の世界王座獲得

1996年3月30日、タイ・パッタヤーで開催された「国王就任50周年記念興行」のWMTC世界ジュニアミドル級王者決定戦に出場。ワンロップ・ソー・サーッタパンに判定負けし王座獲得に失敗する。同年9月1日に行われた「K-1 REVENGE '96」でワンロップと再戦。判定勝ちし、WMTC世界ジュニアミドル級王者となった。

1997年1月5日、タイ・チャチューンサウでゴーンパッタピー・ソー・スマーリーと対戦。判定負け。

1998年3月14日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟が主催した「最強へのバトル」に出場し、港太郎と対戦。2度のダウンを奪って判定勝ち。

引退

2000年7月30日、スタン・ザ・マンを判定で破り引退。

2002年8月28日に行われたDynamite!の前にヴァンダレイ・シウバの対戦相手が公募された際に名乗りをあげるも、引退してから年数が経っていた事と、総合格闘技の経験がなかった事を理由に選ばれなかった。

現役復帰

2006年8月5日、HERO'Sにおいて総合格闘技ルールで現役復帰。自らが打撃を指導した秋山成勲と対戦するも、腕ひしぎ十字固めでレフェリーストップ負け。タップをしていない金が抗議、無効試合と変更。ただし、トーナメントであるため、準決勝進出者を決定するために試合終了時までの判定が行われ、判定負けとなった。なお、金は試合前にワセリンの塗布でイエローカード減点1を出されていた。この試合後、「完全に極まってなくて、15秒くらいすれば抜けられた。最初の一瞬入ったけどズラしたんで。秋山が伸びたって言ったらレフェリーは試合を止めた。伸びてないのに。よし、これからという時に止められたから意味わからん。自分が手を回して出来る事をアピールしたら、レフェリーはびっくりしていましたよ。なんで選手が伸びたって言ったらレフェリーは止めんのか、それに憤慨している。はっきりケリをつけるにはもう1回したい」と語った。

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!に出場し石澤常光と2度目の総合ルールで対戦。左右のローキックに続く、目線のフェイントを交えた左ハイキックで1RKO勝ちを収めた。

2007年7月16日、HERO'S 2007 ミドル級世界王者決定トーナメント開幕戦のスーパーファイトで田村潔司と対戦。本戦2R、延長1Rを戦い、3-0の判定勝ち。

2007年8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGで開催されたASIA GPへ出場。1回戦では戦闘竜にKO勝ち、準決勝では藤本祐介にKO勝ち。だが、右眼窟底骨折の疑いでドクターストップ。決勝は辞退した。

2007年10月28日、韓国で開催されたHERO'S KOREA 2007でゼルグ・"弁慶"・ガレシックと対戦。試合序盤のガレシックの左ハイキックで右目まぶたをカットし流血。ドクターストップによりTKO負け。なお試合前の選手コールの際、「きんたいえい」ではなく韓国語の発音である「キムテヨン」とコールされた。

2008年4月29日、DREAM.2のミドル級グランプリ1回戦でミノワマンと対戦し、判定勝ち。6月15日、DREAM.4の2回戦でゼルグ・"弁慶"・ガレシックと対戦し、右肘脱臼によるTKO負け。

2009年8月2日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL -ASIA GP-に出場し決勝まで勝ち進むも、決勝でシング・心・ジャディブに判定負けし準優勝となった。

2009年9月26日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16のワンマッチでカタリン・モロサヌと対戦。モロサヌが1R終了10秒前の合図を終了の合図と勘違いし、気を抜いたところに右フックを放ったところ、終了後に攻撃されたものと勘違いしたモロサヌの反撃のパンチがラウンド終了後に当たりダウンしてしまったため、モロサヌの「故意の悪質な反則」により反則勝ちとなった。

2009年11月22日、RISE初参戦となったRISE 60でマグナム酒井と対戦し、判定勝ち。

2011年10月13日、神戸の格闘技イベント「ACCEL」と30万ドルで3年契約した。

Number.8 Workout Studioへの移籍

2012年7月31日、正道会館を退会した。

2012年12月、大阪・中津にオープンしたNumber.8 Workout Studioにてチーフトレーナーを務め、格闘技クラスのインストラクターも務める。

2017年9月、同ジムは家賃未払いが原因で強制退去となり、10月以降連絡がつかない状態となる。

戦績

総合格闘技

キックボクシング

空手

ミックス(空手&キック)ルール

獲得タイトル

  • カラテワールドカップ 準優勝(1992年)
  • カラテワールドカップ 第3位(1993年)
  • カラテジャパンオープン 準優勝(1993年)
  • カラテジャパンオープン 準優勝(1994年)
  • カラテワールドカップ 優勝(1995年)
  • K-3 GRANDPRIX '95 準優勝(1995年)
  • UKF世界ライトヘビー級王座(1994年)
  • WMTC世界ジュニアミドル級王座(1996年)

脚注

関連項目

  • 日本のキックボクシング世界王者一覧
  • 男子キックボクサー一覧
  • 男子総合格闘家一覧
  • HERO'S選手一覧
  • DREAM選手一覧
  • K-1選手一覧

外部リンク

  • 金泰泳 Official Site
  • Number.8 Workout Studio
  • DREAM 選手データ
  • HERO'S 選手データ
  • バウトレビュー 選手データ
  • SHERDOG 選手データ

Text submitted to CC-BY-SA license. Source: 金泰泳 (格闘家) by Wikipedia (Historical)



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