羽村市(はむらし)は、東京都の多摩地域北西部に位置する市。
東京都で最も人口が少ない市である。1991年(平成3年)市制施行。
多摩川中上流左岸に広がる(一部右岸)。西と北を青梅市、東を西多摩郡瑞穂町、南を福生市、あきる野市と接する。平成22年国勢調査によれば、青梅市への通勤率は12.4%である。
経済的には北西部の小作地区は青梅市と、南東部の羽(はね)地区は福生市との結びつきが深い。江戸時代玉川上水の開削に際しては、羽村に取水堰が設けられた。近代以後は養蚕を主とする農村だったが、高度経済成長期以後、自動車工場の誘致・建設などで人口が増加。
面積は9.90平方キロメートル。全国の市で7番目に小さく、東京都の市の中でも、狛江市、国立市に次いで3番目に小さい。
多摩川の河岸段丘上には数多くの考古遺跡が分布し、市域でも縄文時代中期の山根坂上遺跡をはじめとする中期集落遺跡が分布している。弥生時代の遺跡は見られず、古墳時代も後期の遺物がわずかに出土しているのみ。
律令制下では武蔵国多摩郡に属し、中世前期に至り三田氏の支配する杣保長淵郷に比定される。戦国期には相模国の後北条氏が関東へ進出し三田氏を滅ぼし、市域も後北条領国に含まれ北条氏照領が置かれている。
近世を通じて3か村が存在する。生業は市域の大半で畑作が主軸で、多摩川流域の一部地域で米麦栽培が行われる。武蔵野台地では永安2年(1653年)には玉川上水が開削され本格な新田開発が行われるが、羽村取水口が設置され水元の村となった市域には羽村堰陣屋が設置され、江戸表からの出役人が交代で勤務し、地元百姓も水番人を務め水質などを管理した。天明4年(1784年)には武州村山騒動が発生する。
2005年の夜間人口は56,452人である。市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は55,966人で昼は夜の0.991倍の人口となり、昼夜間人口比が均衡している。
通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者17,293人、市外から市内へ入る通勤者は18,392人。学生では市内から市外に出る通学生は2,447人、市外から市内へ入る通学生は862人である。なお、国勢調査では年齢不詳の者が東京都だけで16万人おり、この項の昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に若干の誤差は生じる。
羽村市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。また、土地区画整理事業が完了した区域等で町名地番整理が実施されている。
1966年に日本住宅公団によって、青梅市にまたがる西東京工業団地が造成された。
小学校
中学校
高等学校
特別支援学校
アメリカ軍立
その他、様々
隣接する青梅市、福生市とは鉄道で結ばれている。同様に隣接するあきる野市、瑞穂町へ通じる鉄道の便はない。
市内では、羽村市コミュニティバス「はむらん」が運行されている(西東京バス青梅営業所へ委託)。羽村市内の運行だが、一部の時間帯は、福生市内を通る公立福生病院経由ルートで運行されている。
ほかに、小作駅より青梅・あきる野・福生方面のバスが西東京バスにより運行されている
羽村駅より箱根ケ崎駅や瑞穂方面に立川バス、栄町や青梅市新町9丁目方面に西東京バスが運行されている。
市の北西端を圏央道が多摩川を渡す形で通過しているが、インターチェンジはない。また、市の東部には国道16号(周囲が横田基地に囲まれているので、市内の他の道路とは接続していない)が通っており、さらに、都道立川青梅線(奥多摩街道)と都道福生青梅線(西多摩産業道路)が市を南北に縦断し、都道羽村瑞穂線(羽村街道)および都道あきる野羽村線が東西に横断しており、隣接市町村を通過する国道16号や国道411号などと連絡している。
2013年に誕生した公式キャラクターで、「水・花・緑」をモチーフにしたデザインをしている。
※出典は こちら を参照。
羽村市が制作する広報番組。ケーブルテレビのほか公式YouTube動画で見ることができる。
Owlapps.net - since 2012 - Les chouettes applications du hibou