文系と理系(ぶんけいとりけい)とは、学問分野、人物、性格などの大まかな分類である。それぞれ
(ぶんかけい)、 (りかけい)とも呼ばれ、両者を合わせて (ぶんり)という。文系と理系の区別は日本固有ではないが、経済学(economics)を欧米の大学では理系分野を用いた学部(Bachelor of Science in economics)も設けている大学や大学院があるなど差異はある。逆に日本と同様の文系の経済学部はBachelor of Arts in economics。
英語で理系学問の総称をSTEM (Science(自然科学), Technology(応用科学), Engineering(工学) and Mathematics(数学))と呼び、理工農系など理系学部卒は学士(BS,BSc,Bachelor of Science) を名乗れる。文系の総称を人文・社会科学(Humanities and Social science=HSS)と呼び、文系学部卒は文系学士(BA,Bachelor of Arts)と名乗れる。
伝統的に、文系とは主に人間の活動を研究の対象とする学問(主に人文科学と社会科学に分類される)の系統とされ、理系とは主に自然界を研究の対象とする学問(およそ自然科学に分類される)の系統とされてきた。しかし現在では、研究対象よりもむしろ課題解決のために用いる手法で分類されることが多い。たとえば金融工学や社会工学は、研究対象こそ「人間の活動」であるが、研究対象をほとんど同じくする経済学や社会学とは異なり一般には理系とみなされる。
個別の学問分野がいずれに属するのかについては、文系的と捉えられることが多い学問、理系的と捉えられることが多い学問を参照のこと。なお、橋爪大三郎は学問分野を理系と文系で区別する概念がある国は日本だけと主張している。
1981年に細胞生物学者の太田次郎が「どうも、文科と理科というのは、(中略)旧制高校時代にはそれなりにはっきりしていたが、しだいにその区別がぼやけてきたような感じがする」と述べている。
一般に、理系の学問は数学との親和性が高いため、「理数系」と呼ばれる場合もあるが、理系であっても、全分野で一様に高度な数学を用いるとは限らない。工学博士の森博嗣は、解剖学者の養老孟司と対談した際、「総じていえば、実験科学に高度な数学は不要でした」と述べ、たとえば自身の専門であるコンクリートの研究においては「研究の六割方は実験」「微積分も不要」「文系の人でもできる作業」などと発言した。しかしその後
とも述べ、実験科学においても突き詰めて研究していけば数学が必要になることも認めている。
また、後に述べるように、文系分野における数学・物理学の活用は皆無ではない。それら例外については文系的と捉えられることが多い学問を参照のこと。
太田次郎は、研究業績の評価について、文理間では大きな違いがあると指摘している。いわく、
とのことであり、少なくとも理工系においては「一次情報第一主義」がとられているという。また、理系の多くの分野は、研究に際して高額な実験器具や測定器具があったほうが有利であり、そのための研究費は論文数にほぼ比例して支給されるので、研究費を求める理系の研究者はとにかくたくさんの論文を量産しなければならない。 一方、文系においては事情はかなり異なる。太田によれば、
とのことであり、論文をこまめに発表することは「悪いとは言われない」が、基本的に業績評価の中心は総説であって、むしろ論文のほうが業績評価においてマイナーな扱いを受けることさえあるという。
1973年にノーベル医学・生理学賞を受賞したコンラート・ローレンツ(動物行動学者)の論文について、太田は「きわめて文科的な表現の仕方」と評している。なぜなら、
からだという。当時生物学の最先端であった分子生物学の専門家からは、観察結果のみを図や表を用いて簡潔にまとめ、考察も極力排したような論文が好まれる傾向にあり、また理系の他の分野についても
などといわれるように、ほとんど考察の無い図表のみの論文が多い。このように、論文の様式も文理では大きく違うものである。
理系の研究者の場合、一般に若い頃の方が画期的な成果を出しやすい。数学者の広中平祐が「数学は、若いうちにやらないと駄目である」と発言したように、数学や理論物理学の分野では、二十代がピークとされ、三十代半ばを過ぎると新たな成果は稀になる。顕著な業績をあげた学者というのは、三十歳くらいですでに傑出していることが多い。
数学や理論物理学ほどではないものの、実験科学の分野でも、アイデアは若いときに出て、その後はそれを実証したり、さらに幅を広げるという人生を送ってきた研究者が多い。
一方、文系の学問の場合は必ずしもそうではないという。太田次郎によれば、
とのことで、「どうも、理科系と文科系では、一般に勝負の速さに違いがあるように感じている」という。
学問を文系と理系に分けることの起源がおそらく日本にあるということは、多くの論者が指摘しているところである。太田次郎は、文系と理系の区別について、「おそらくその起源は、旧制高校の制度にあると思われる」と述べた。山梨大学講師(当時)で理学博士の藤井康男によれば、「おそらくわが国だけの分け方ではないかと思う」とのことである。また藤井は、「外国の事情をよく調べたことはないのだが、」とことわったうえで、「外人と話してみてわかることは、彼らは文科とか理科とかをあまり口にしないということである」とも述べている。
日本においては、第2次・高等学校令(大正7年勅令第389号)の第8条に「高等学校高等科を分ちて文科及理科とす」(原文は平仮名部分がカタカナ)という規定があった。明治中期から第二次世界大戦降伏前は、旧制高等学校は、旧制大学で教育を受けるための準備教育を行う場としての位置づけが大きかった。高等学校の高等科においては、学修する外国語(英語およびドイツ語が大半)によって、「文科甲類」「文科乙類」「理科甲類」「理科乙類」などに分け、「文科」「理科」のどちらで学んだのか、学んだ外国語は何であったかによって、旧制大学で学ぶ専攻分野を大きく左右した。
東京工業大学教授で社会学が専門の橋爪大三郎によれば、学問を文系と理系とに区別することの本来の動機は、予算がかかる学問の学生数を制限することだという。
近代の日本において、大学教育に対する準備教育の課程を「文科」と「理科」に区分したことは、現代における文系と理系の区分に事実上引き継がれている。現代において文系を文科系と、理系を理科系と呼ぶのは、旧制高等学校の区分けの名残である。「系」の語が付与されているのは、「文科」「理科」という学科組織に基づく分類によっていないからである(なお、現代においても「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」に「理数科」という学科があり、この場合、「理数科」を卒業した場合は、「理数科卒業」となる。ただし、大学進学に際し文系の学部・学科・課程への入学制限は、一切ない)。
ひとりの人間の発達史において、文系・理系の区分が初めて明確に意識されるようになるのは、一般には大学受験に備える高校の高学年からである。しかしながら、大学受験という一回のチャンスに人生が大きく影響されるという考えが根強い日本では、幼いころから「この子は算数や理科が得意だから理系」「この子は社会や国語を好むから文系」などと言われるようである。(後述)
旧制高校の廃止に伴い「文科」「理科」のあからさまな区分を廃した現代の日本の大学では、入学試験を学部単位、学科単位あるいは専攻単位といった細かい区分のもと行うことが多く、それぞれ入試科目や試験制度をきめ細やかに設定することも多い。とはいえ、文系学問を専攻する学部・学科どうし、理系学問を専攻する学部・学科どうしでそれぞれ比較すると、多少の差異はあれども入試科目のパターンはそれぞれ似通っていることが多い。国公立大学の個別試験や私立大学の入学試験では、文系ならば英語、国語の2教科を必須とした上で数学、地理歴史(大学によっては公民も選択可能)のいずれか1科目から選択させることが一般的であり、理系ならば英語、数学の2教科を必須とした上で理科のうちいずれか1科目または2科目を選択させることが一般的である。国公立大学の入学試験にはこのほかに大学入試センター試験の受験が必須とされるが、ここでも文系は地理歴史と公民を合わせて2科目受験することが要求される一方理系は1科目で許されたり、同様に理科に関しても文系は理系よりも科目数ないしは試験範囲を少なくして良いなど、入試科目構成が文理それぞれで定型化してしまっている現状がある。
このような事情もあって、「高等学校」および「中等教育学校の後期課程」などにおいて、大学進学を希望する生徒が授業を履修する際には、大学の入学者選抜に対応するために、生徒の希望学部・学科・専攻の入試科目に応じて、生徒の履修科目が文系型または理系型になるように、教員や保護者が指導することが慣習化し、学習塾もこれを受けた事業を展開している。
太田次郎によれば、文系と理系に分かれるさい、最大の要因となるのは数学の得手・不得手である。「理系」分野へ進学を希望する場合、入学試験科目の一つに数学が課せられることが多い反面、「文系」では数学が選択できないか、選択できても必須でない大学が圧倒的に多く、また数学を必須とする大学でも文系の場合には配点が低めに設定されている。このことから「数学が出来ないから理系をやめて文系を目指そう」と考える者が少なくない。一方、理系の大学入試で国語が独立科目として必須とされる例は東京大学、京都大学などほんのわずかしかなく、選択できるのもごくごく一部の私立大学のみにとどまっている。数学と地理歴史の選択制をとっている入試が多い文系に比べると、理系の入試は科目選択の幅が小さく、見方を変えればそれは苦手科目を抱えてしまった際の逃げ道が少ないということにもなる。
理系の入試においてほぼ必ず数学が課せられている現状に対しては、太田次郎による次のような批判がある。
京都大学経済学部のように、入学試験を文系受験生用と理系受験生用に分け、それぞれ異なる科目構成で行う大学・学部も存在する。
旧制高等学校は、戦後になって新制大学教養部として大学に組み込まれた。多くの大学で教養部が廃止された現在においても、その名残から文系と理系のどちらかに大学教育の内容を分ける習慣がある。多くの大学では、1・2年次の教養科目の選択パターンが文系学部同士・理系学部同士でそれぞれ酷似していたり、必修授業の一部を文系学部全体・理系学部全体の合同で行ったりする。また法科大学院には理系学部出身者を優先的に入学させる「理系枠」なるものがあるなど、専門課程を過ぎても「文系」「理系」の括りは何かにつけて付いて回る。
しかしながら西欧圏では、学問分野は基本的に自然科学・人文科学・社会科学の3つに大別される。文系と理系は、日本の歴史的な事情によって形成された便宜的な分類である。実際に事物を深く学修・研究しようとすると、文系と理系という二者択一の区分法に、限界が見て取られることは多い。太田次郎は
と指摘している。
日本では理系のほうが文系に比べて修士・博士課程に進学する割合や意識が高く、博士号取得者の8割が理系である。これは卒業後の就職・採用事情と大きく関係しており、理科系大学生は大学院修了者も含めての技術職や研究職の募集に関しても往々にしてあり、研究室の教員の紹介などのルートもあるのに対して、文科系には大学院修了見込者用求人や研究職の募集自体が極端に少なく、文科系卒業生が一般的に就職する就職先の職場では経理や営業現場でのOJTを重視する傾向にあるためと見られる。文系とされる博士号取得者は欧米には多数存在する一方で、日本では付与条件や取得状況が極端に厳しく、これが海外留学生の受け入れにおいてしばしば問題とされる。
旧制高校には全寮制のところが多く、しかも文系と理系の学生がひとまとまりに同居する形であったため、文系・理系の学生たちは最低限の知識を共有することができ、互いの交流を通して「全人的な影響」を受け、「文科と理科のカオスなかに若い燃えたぎる生命が打ち込まれ、陶冶され、そして磨かれてい」った。ところが、旧制高校は「エリート教育だから」という理由で戦後の学制改革により廃止され、学生運動対策として学生寮もどんどん壊された結果として、現在の大学が輩出する人材は戦前に比べて文系・理系のどちらかへとより偏り、後述のごとき「会社人間」が蔓延することにつながっている。
また専門化と同時に隣接分野の融合(学際化)も起こっており、言うなれば「○○系寄りの□□系」、「□□系寄りの○○系」といった分野も存在するため、これが同一学問系内における更なる乖離を生み出している。
学際化が文系と理系にまたがると
(ぶんりゆうごう)と呼ぶ。また、そのような分野が文系・理系の両方にわたることを強調して学際系と呼称することもある。なお、工学的知見と文系諸学問の知見の双方が扱われる分野を「 (ぶんこうゆうごう)」と呼ぶ者もいるが、あまり普及した言葉とは言えない。文系・理系の区別は、社会生活にも大きな影響を与えている。橋爪大三郎によれば、大学が社会へ送り出す人材が文系と理系とに専門化されることにより、個の力が弱まり、大組織中心の社会が形成されるという。
技術系の最高資格である技術士一次試験での共通科目受験免除の条件の一つとして理科系の学部学科卒が挙げられている。またNASAの宇宙飛行士に応募するためには理系出身でなくてはならない。
過去には太平洋戦争末期に行われた学徒出陣において、理科系学生には技術要員として徴兵猶予が継続された一方、文科系学生は士官候補生として動員された。
文理選択は将来の学部選択・専門分化を通じて職業選択に影響する。特に医師・歯科医師・薬剤師・建築士など資格取得に学歴を要求するような職業は、人気が高いこともあり大学入学の数年前からすでに受験勉強をしていなければならない。したがって、本人の学問に対する興味そのものよりも、本人の希望する職業、あるいは親が子供につかせたい職業によって文理選択を決める(決められる)場合が往々にしてある。それゆえに文理選択の全体的な傾向は、選択時の経済状況や経済予測、技術革新や流行等に影響を受けるとされる。
一般に、「不況になると理系が人気になる」とされている。代々木ゼミナール進学情報・指導部本部長(当時)の坂口幸世は、理・工学部志望者が減少して1995年頃に最少となり、そこから増加し2002年までに減少前の水準に戻った(代ゼミ調べ)ことについて、
と分析している。
文系人気・理系人気は時代とともに変わりゆくので、需給のバランスもまた変わる。後の章で述べるように、平均収入や生涯賃金は文系と理系との間に有意な差があることが多く、時に優劣を逆転させながら、時代の流れによる需給バランスの変化に伴い連続的に変化してきた。それが原因となって逆に、文系人気・理系人気の波が加速・減速することもある。すなわち、文理選択の時点での文理別平均収入や生涯賃金予測を参考にして文理選択する者もいるわけである。
たとえば、理系の生涯賃金の平均が文系より5000万円近く低いとする1998年の調査もあり、これが理科離れの原因だと主張する言説が往々にして見受けられる。一方で2009年のデータを元に2011年3月に公表された調査報告では、46歳男性では理系出身者の平均所得が600.99万円で文系559.02万円を上回るとされた。この違いについて、IT産業の興隆などにより理系出身社長・取締役が増えたことやバブル期の調査データには銀行・証券会社など給料が製造業より高くこれが文系理系の差に反映されていたとの分析がある。
収入に関する統計には、文理別・学部別・偏差値別・男女別の様々な統計が出されている。
文系的学問は、人文学・社会科学(Humanities and Social science)に分けられる。社会における人間行動を科学的かつ体系的に研究する経験科学の学問を「社会科学」と区分される。それ以外の学問は「人文学」と呼ばれ、または自然科学と社会科学の2つの「科学(science)」へと語呂合わせしたい際には「人文科学」と呼ばれる。
ただし、経営学・経済学でも高度な数学的・統計学的解析という理系要素を伴う学部である場合は理系になる。例えば、東京理科大学には「文理融合型の経営学」をうたった経営学部が1993年に設置されている。冒頭の通り、欧米では経済学・経営学でも理系寄りな経済学部の場合は「Science in economics 」、文系寄りな日本と同様なのは「Bachelor of Arts in economics」としている。日本でも文理グレーゾーンな学部とされている。
さらに近年では経済物理学という新分野の開拓や、言語学研究における脳波解析の活用、音楽における音響学の応用などにより単に文系学問とされてきた中にも理系要素を含む学問が発生している。政治学や国際関係論の研究にはゲーム理論等の応用数学的アプローチが用いられることがあり、公共政策大学院には実際に数学の授業が開講している。
一方、地理学は地球科学と密接な関係を持ち、特に自然地理学や地図学は理系の学問と位置づけられることも多い。考古学も放射性炭素年代測定など理化学的検査の必要が年々増加しているため、やはり数学や理科が重要視される傾向にある。
農学、工学には経営学、経済学、地域研究との複合分野がある。例として金融工学や経営工学、農業経済学がある。農学とされる造園学(ランドスケープ)、主に日本では建築学科が工学部の下部に設置される事例に多くみられた。建築学科は理系学部の下部のみならず、芸術学部や環境学部など文系学部の下に置かれるケースもある。防衛学に関しても日本の防衛大学校のように課程が文系と理系に広くわたる。
また日本では大学入試センター試験における地学科目の試験がほかの「理科基礎」の科目の他のに比べて計算問題が少なく暗記中心で、「化学基礎+生物基礎」という組み合わせが最も人気のほか 「生物基礎+地学基礎」という組合せも人気である。
地学は暗記量が化学に比べて少なく、それでいて物理のような複雑な計算がほとんどないので暗記が得意な文系国公立志望の受験生に支持されているとしているが、それでも受験者数は毎年約2000人で、 理科全体の受験者数の約0.4%に過ぎない背景には、地学が受験に利用可能な大学が有名私大入試にほぼないことにある。日本では全大学生の内17%しか理系ではないことが問題となっており、理系学生の割合を増やすことが推進されている。
文系の一方で理系出身者の中でも高等学校時代から通算し地球科学や天文学を全く学んでいない者も多い。
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