リコーブラックラムズ東京(英: RICOH BlackRams Tokyo)は、JAPAN RUGBY LEAGUE ONEに所属しているラグビーチームである。略称表記は「BR東京」。ホストエリアは、東京都および世田谷区。練習グラウンドはリコー総合グラウンド(東京都世田谷区)。
1953年創部。1960年に発足した関東社会人リーグには初年度から参加(当時の社名は理研光学)。3部リーグからのスタートであったが、初年度から2年連続で3部で優勝を飾ると、2部に昇格した翌シーズンも優勝し、参戦4年目となる1963年には1部リーグ昇格を果たした。同じ年、社名がリコーに変更された。昇格2年目の1964年には春季リーグ優勝、さらに翌1965年には秋季トーナメント優勝を達成した。この頃から1990年代の初頭まで四半世紀にわたり、三洋電機とリーグ優勝をほぼ独占した。1988年に発足した東日本社会人リーグ、2003年に発足したトップリーグにも、ともに初年度から参加している。2003年のトップリーグ参入に合わせて、チーム名をリコーブラックラムズに変更した。
全国社会人大会には1967年度に初出場。以降、最後の大会となる2002年度までの間に、近鉄、トヨタ自動車、三洋電機、神戸製鋼に次いで歴代5位となる32回出場した。優勝3回(歴代6位タイ)、準優勝2回(歴代7位タイ)、通算84試合(歴代7位)、通算48勝(歴代8位)という記録を残している。
最盛期は1970年から1973年にかけて関東社会人リーグ4連覇、1972年から1973年にかけて社会人大会及び日本選手権の2連覇を達成した頃で、当時は和製オールブラックスの異名を取った。またこの頃、他の社会人強豪チームは主に高卒が中心で、大卒は数人程度加入させるという形が主流だったが、リコーは大卒の加入を積極的に進め、結果、短期間のうちに強豪チームを築き上げることに成功した。このようなシステムは、大学進学率が格段に上昇した1980年代後半あたりからごく当たり前となったが、リコーが台頭した1960年代後半頃は非常に珍しかった。
トップリーグでは、2004-2005シーズン序盤に神戸製鋼から32年ぶりに勝利を奪うなど時折活躍を見せたが、リーグ開幕となった2003-2004シーズンから4シーズン連続で入れ替え戦に回った。そして5シーズン目の2007-2008シーズンを13位で終えてトップイースト11への降格が決定した。1963年に関東社会人リーグ1部に昇格して以来、この年まで45シーズン連続で1部に在籍した。
2008-2009シーズンはトップイースト11を全勝で1位通過。トップチャレンジシリーズでも2戦2勝で1位となり、1年でトップリーグ復帰を果たした。同時に日本選手権の出場権も獲得した。日本選手権では準決勝に進出したが、優勝した三洋電機ワイルドナイツに敗れた。2009-2010シーズンはトップリーグで12位になり入れ替え戦に回ったが残留を決めた。
2021年7月16日、新リーグJAPAN RUGBY LEAGUE ONEの1部リーグに振り分けされることになった。
全国大会
最上位リーグ
下位リーグ
カップ戦
7人制大会
下表の年齢は、資料性に配慮し、2023年12月9日開幕時点に固定している。
カテゴリA(日本代表の実績または資格あり)は、試合登録枠17名以上、同時出場可能枠11名以上。カテゴリB(日本代表の資格獲得見込み)は、試合登録枠・同時出場可能枠ともに任意。カテゴリC(他国代表歴あり等、カテゴリ A, B以外)は、試合登録枠3名以下。
リコーブラックラムズ東京の2023-24シーズンのスコッドは下記のとおり。
ヘッドコーチ: ピーター・ヒューワット
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