『どっちの料理ショー』(どっちのりょうりショー、英称:DOTCH COOKING SHOW)は、1997年4月17日から2006年9月14日まで、日本テレビ系列で放送されていた料理バラエティ番組のシリーズ(字幕放送、モノラル放送を実施)。放送時間は毎週木曜21:00 - 21:54(JST)。読売テレビとハウフルスの共同制作。台湾の日本のテレビ専門チャンネル「緯來日本台」でも放送されており、『料理東西軍』と呼称される。
本項ではリニューアル版である『新どっちの料理ショー』(しんどっちのりょうりショー)についても記述する。
1995年10月から続いた『テンベストSHOW』シリーズ(『輝け!噂のテンベストSHOW』→『新テンベストSHOW』)を前身とし、1997年4月より放送をスタート。コンセプトは『新テンベストSHOW』時代の料理対決を、全体的にルールを変更する形で引き継いでいる。
関口宏と三宅裕司との2班に分かれ、毎回、似通っているが故に選択に迷う料理を贅をつくした素材で用意する。どちらの料理にするかをパネリストに選択させるが、選択した人数が多い側のみが食べることができるため、双方のチーム・パネリストの駆け引きも見られる。
開始してから第16回までは、オープニングでタイトルロゴが出る直前に司会者2人が「どっちの料理にしよう?」(番組タイトルのシャレ)と揃えてコールしていた。
1999年2月25日・2004年4月15日は報道特番のため放送時間をそれぞれ繰り下げしたが、通常通り放送を行った。
番組開始当初数ヶ月はやや苦戦したものの、それ以降長らく視聴率も安定しており、2003年頃までは帯レギュラーの同時間帯の首位を獲得し続けていたが、2004年頃からネタ切れや食材価格の高騰、エコ意識の高まり、演者の不祥事などがあり度々マスコミなどでバッシングを受け、視聴率が下降気味なる。この頃になると頻繁にリニューアルを繰り返したり、以前とは異なり似通った食べ物ではなく、同じ食べ物で競うケースが出たり、キッチンが3人になったりする回が出たりするなどしており、様々なテコ入れを図る。2005年4月14日より番組タイトルを『新どっちの料理ショー』に改め、ナレーションが変更された上で、視聴者参加型番組としてリニューアル、芸能人4名の他、「腹ヘリコプターズ」と称する一般参加者7名の計11名(上段は草彅が紹介する形で一般参加者7名、下段は芸能人参加者4名)が対決する内容になったものの、更に視聴率が大幅に低下する事態となり、僅か8ヶ月で視聴者参加は廃止され、2006年1月放送分からは再度芸能人対決に戻され、参加総数も11名(上段6名、下段5名)→9名(上段5名、下段4名)になるなど、頻繁にテコ入れを行っていた。そして2006年9月14日を以って『どっちの料理ショー』シリーズは9年半にわたる歴史に幕を降ろした。最終回は「史上最強丼キング決定戦」と銘打ち、関口厨房は「親子丼」、三宅厨房は「カツ丼」で勝負、結果は親子丼が9対0で完封勝ち、参加全パネリストが食べられるという有終の美を飾り、更にパネリストの一人にして番組常連の渡辺徹が「25戦全勝」という大記録を打ち立てて終わった。
終了後は2007年1月4日に復活特別番組『どっちの料理ショー RETURNS 2007』が放送、パネリストは草彅の他、渡辺徹・勝俣州和・柴田理恵などの常連、新顔として、コメディアンでは森三中とザ・たっち、スポーツ界では野球界から石井一久(当時・東京ヤクルトスワローズ)と斎藤隆(当時・ロサンゼルス・ドジャース)、相撲界から把瑠都凱斗(当時・前頭3枚目)と黒海太(当時・前頭5枚目)、などが出演した。対決内容は「おかず対決」、そしてメニューは関口厨房が「和食おかず」、三宅厨房が「中華おかず」となり、そのメニューは一般人からのアンケートの結果、関口は「ブリの照り焼き」・「肉じゃが」・「ブタの生姜焼」、三宅は「エビチリ」・「餃子」・「麻婆豆腐」がおかずとなる。そしてご飯は、前年(2006年)に開催された米のコンテスト「全国米食味分析鑑定コンクール」で優勝した、山形県高畠町の米「ササニシキ」を使用した。結果は8対5で関口厨房が勝利、渡辺は連勝記録は「26」に伸ばした。なおこの復活特番では「撤収」と「負けシェフの試食」は行われなかった。また番組セットとBGMは「新」時代を継承したものの、正月特番に相応しく席のセットには「丼」と「割り箸」が描かれていた。そして草彅はこれが最後の出演となった。
2012年4月19日21:00 - 22:48には約5年ぶりの復活特別番組『帰ってきた!どっちの料理ショー 腹ペコ復活祭』が放送された。対決メニューは関口厨房が餃子、三宅厨房がから揚げで、後に関口厨房が「チャーハン」、三宅厨房が「あんかけ焼きそば」をサイドメニューとして追した。結果は7対4で三宅厨房の「から揚げ・あんかけ焼きそば」の勝利、そしてこの回にも出演した渡辺徹は勝利し、連勝記録を「27」に伸ばして終わった。一般視聴者にもデータ放送または番組ホームページで「餃子」または「から揚げ」のどちらかを選ぶ投票が実施された(この投票は3回実施された)。なお、番組セットとBGMは「新」時代ではなく「無印」時代を使用、また「撤収」「負けシェフの試食」「『ごちそうさま!』付きエンドクレジット」は行われなかった。
番組開始時は日本テレビ系列のプロ野球中継が地上波で毎日のように放送されていた時期であり、開催時期のナイター期間には中継延長が頻繁にあった為に、番組開始が最大で2時間近く遅れることがあったが、放送休止となったケースはシーズン開幕時期と閉幕時期を除いては9年半の歴史の中で一度も無く、どんなに放送時間が遅くなろうとも必ず放送していた。また、2003年頃からは、そもそも地上波の中継回数が激減した事や、放送を延長をすることが極めて稀になったこともあり、番組末期になるとほとんど影響を受けなくなった。新どっちの料理ショーの時期になると、プロ野球中継をそもそも地上波では行わないことも多くなり、開幕時期や閉幕時期でも通常通り放送が行われることが増えた。
特徴として、レギュラー放送時は「1stジャッジ」中と「負けシェフの晩餐」中に提供クレジットを表示しているが、従来の1枚毎に全面タテ1列表示ではなく、1枚毎に上にヨコ1列×2社・下にヨコ1列×2社の表示になっていた。この表示方法は現在の『秘密のケンミンSHOW 極』まで受け継がれており、後番組の『ダウンタウンDX』が21:00からの2時間版などのSP編成時や日本テレビ制作の一部の特番(『ぐるぐるナインティナイン』の2 - 3時間SP等)でも同様になっている。
また、前番組「新テンベストSHOW」(リニューアル)開始と同時期に他系列にて放映開始された「新機動戦記ガンダムW」の劇中BGM(作編曲・大谷幸)もCM入り前アイキャッチを中心に使用されるようになった。
2020年11月17日に読売テレビは11月19日から12月31日の期間限定で ytvMyDo!・TVer・GYAO!によるwebオリジナルコンテンツとして無料配信すると発表した。今回のweb配信版でのナレーションは2005年3月まで担当した木村匡也と関口伸が再び担当し、制作スタッフもかつてのディレクターや撮影班らが再び集結する。今回の対決メニューはキリンビールの『麒麟特製レモンサワー』にピッタリな「有名店のお取り寄せ」をテーマにレッドキッチンは餃子、イエローキッチンはメンチカツとなっており、公式サイトからのお取り寄せが可能となっている。今回の復活の背景にはコロナウイルスの影響で飲食業界全体が不況に陥っていることを受けて「何か応援するような企画ができないか」を広告代理店から提案され、そこで出てきたのが当番組であり、「街の名店の人気メニューを取り上げ、視聴者はその場でお取り寄せできる、そんなシステムを考えたときにウェブコンテンツという形が最適」として今回のwebオリジナルコンテンツでの復活につながったという。同局の中村元信チーフプロデューサーも「久々に集まったスタッフ全員が、当時をなつかしみながら制作したが、内容は決してノスタルジーに浸ることなく『現代でも通用する楽しめる番組』になったと自負している」とのコメントを寄せている。
通常放送では、いずれも辻調理師専門学校(または系列校)の講師が各キッチンに一人ずつ担当。衣装は胸に「DOTCH COOKING」と記された番組オリジナルのコックコートを着用する、2006年途中からは辻調グループ校のコックコートになっている。
「ドッチくん」と「WHICHくん」は2004年4月から登場し、同年10月から声を当てるが、2006年3月16日で廃止された。
この他「新」になると「腹ペリコプターズ」紹介の時に、頭にプロペラを付けた「丸刈りの少年」と「おかっぱ頭の少女」のマスコットキャラが追加、「腹ヘリコプターズ」のネームプレートにも男女別に分けて記載されたが、正式名称は無く、声も無かった。その後一般参加者出場廃止に伴い不定期登場に変更、末期は「ドッチくん」・「WHICHくん」と共に廃止された。
表内の数字は関口(レッド)・三宅(イエロー)の勝利数。
太字は勝者
この他にも、各番組において『どっちの料理ショー』に似た企画が行われたことがある。
2000年9月まではCS★日テレでも同時ネットされていた。
ブックマン社からレシピ本が発行されている。
また、日本テレビからはレストランガイドや取り寄せカタログが発行された。
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