那覇市営奥武山野球場(なはしえい おうのやまやきゅうじょう)は、沖縄県那覇市の奥武山総合運動公園内にある野球場。施設は那覇市が所有し、NPO法人那覇市体育協会が指定管理者として運営管理を行っている。
1960年の竣工当初は沖縄県が所有且つ運営管理を行っていたが、改築を機に那覇市へ移管し、2010年4月4日に現施設が開場した。また改築後から施設命名権により、愛称を沖縄セルラースタジアム那覇(おきなわセルラースタジアムなは)としている(詳細は後述)。
1960年11月30日、沖縄県内初の本格的な野球場として完成。竣工当時、内野メインスタンドは左右非対称の構造となっており、三塁側スタンドは左翼ポール際付近まであったものの、一塁側は当時の技術的な問題などからダッグアウト付近でスタンドが途切れ、右翼ポール付近にかけて土盛りの芝生スタンドが設けられていた。また外野スタンドは芝生席で、バックスクリーンの右翼側隣にパネル式のスコアボードが設けられていた。
竣工以来、高校野球や社会人野球など県内のアマチュア野球公式戦が開催された。
また本土復帰前の1961年5月20日・21日には沖縄初のプロ野球公式戦として、パ・リーグ公式戦・西鉄ライオンズ-東映フライヤーズ戦が、翌1962年6月13日・6月14日にも同公式戦・阪急ブレーブス-大毎オリオンズ戦が開催された。初公式戦となった西鉄-東映戦では、前夜に米軍から借りたジープに分乗して両軍選手の市内パレードが行われ、沿道に10万人が押し寄せる熱狂ぶりであった。試合入場料はネット裏特別席が4ドル(1440円)と日本シリーズよりも高く、沖縄の平均家賃のほぼ半分であったが、2試合で3万人の観衆が詰めかけ盛況であった。試合では沖縄高2年の安仁屋宗八はボールボーイを務め、安仁屋はフリー打撃で中西太や豊田泰光がポンポンと打球を外野スタンドまで飛ばすところを目撃し、現在も脳裏に焼き付いている。
その後本土復帰初のプロ公式戦として、1975年5月17日・5月18日にセ・リーグ公式戦・大洋ホエールズ対広島東洋カープ戦が開催された。この年以降、後述の改築まで本球場および沖縄県内ではプロ野球の公式戦は開催されなかった。
野球以外では1957年と1962年に力道山率いる日本プロレスが旧奥武山野球場で興行を開催したことがあり、1957年1月12日の興行では力道山がアデリアン・バイラジョンを相手にアジアヘビー級王座を防衛した記録が残っている。
その後施設の老朽化・陳腐化が著しくなり、県内でも長年にわたって問題視されてきた。内野スタンドには座席がないため、観客はコンクリートに直接腰かけるかたちとなっていたうえ、屋根も設けられていなかったことから、日差しが特に強くなる夏場には不評を託っていた。さらにプレー上においても、内野には固く水捌けの悪い赤土を使用していたため、雨天時にはプレー条件が悪化することがかねてから指摘されていた。
このため、当球場は県から市に移管して改築される事が決定し、市は基本計画を立案。総事業費を77億円とし、両翼100m・中堅122m、内野には黒土、外野には天然芝を敷設したフィールドに加え、6基の照明設備、電光式スコアボードを設置するなど、プロ野球公式戦開催に対応した設備が整備されることになった。加えて野球場に隣接して57×66m・楕円形のフィールドを有する多目的屋内運動場を整備して、練習施設の充実も図られることになった。こうして2006年11月から旧施設の解体・撤去工事を行い、翌2007年10月に現施設の建設事業に着工、2010年3月に竣工した。なお、条例上の名称は「那覇市営奥武山野球場」に制定された。
メインスタンドのバックネット裏には約9000席分を覆う膜屋根が架設されている。また内野のクレー部には鹿児島県産の黒土を7割配合し、暗渠も整備して水捌けを確保している。一・三塁側のスタンド下には屋内ブルペンが設けられており、3人が同時に練習可能。1階の野球資料館には、沖縄県の野球史に関する様々な資料が展示・保存されている。
那覇市では改築事業の着手以降、プロ野球公式戦や春季・秋季のキャンプ、さらにはオールスターゲームの誘致を進めており、NPBとセ・パ各球団に要請を進めている。
2010年にはまず二軍の公式戦が編成され、4月17日・4月18日にファーム交流戦・読売ジャイアンツ(巨人)対阪神タイガース2連戦が開催された(17日はナイトゲーム、18日はデーゲーム)。続いて6月29日・6月30日、NPBの一軍の公式戦としては35年ぶり(前述の1975年の大洋対広島戦以来)となるセントラル・リーグ公式戦・横浜ベイスターズ対東京ヤクルトスワローズ2連戦が開催された。2戦ともナイトゲーム(沖縄県で開催されたNPBの一軍の公式戦としては史上初)で、1戦目は19時30分(当初は19時開始予定だったが雨で開始が遅れた)、2戦目は19時に開始されたが、開始時刻を19時としたのは沖縄県の6月下旬の日没時刻が19時30分頃と遅く、猛暑を避けるためである。また横浜の笹川博球団取締役は「18時開始では照明を点灯する時間を長く取れないまま、試合が終わってしまう可能性がある」とも説明している(これは2011年以後の公式戦の那覇開催においても引き続き踏襲されてきたが、2014年以後は18時30分の開始に繰り上げられた)。
この年以降、当球場では毎年プロ野球公式戦が開催されている(下表参照)。
なお沖縄での公式戦(巨人主管を除く)は、琉球放送主催、琉球朝日放送後援、オリオンビール特別協賛となっており「Orionナイター」の冠をつけて開催してきたが、2022年のパ・リーグの試合はオリオンビールに代わり、アトムホームが協賛社となり、「アトムホームナイター」として行われる。また2019年以後は、福岡県を本拠とするソフトバンクに関係する試合が行われているが、いずれもホークスがビジターチームである。九州のチームであり、沖縄出身選手も多いのでホーム開催がないのは不思議であるが、理由は明確ではないが、この球場名が沖縄セルラースタジアム那覇であり、沖縄セルラーはauの子会社であり、ソフトバンクからすれば携帯事業のライバルでもあるので、球場名が関係しているとの説もある。ただ、ホークスでは、毎年、沖縄県を含む九州8県を活性化させるための取り組みとして「ファイト!!九州」キャンペーンを展開しているが、大分県、佐賀県でも主催試合はないので沖縄県のみ主催試合がないわけではない。
一方、キャンプについては2011年以降の春季キャンプ誘致を目指してNPB各球団に対し活動を進めた結果、2008年12月11日に読売ジャイアンツ(巨人)が、奥武山野球場を中心とする沖縄県営奥武山公園を2011年春季から第2次キャンプ地として使用する旨を発表した。
巨人は1959年以来、宮崎県宮崎市で春季キャンプを実施しているが、2010年現在沖縄県で春季キャンプを実施しているのは12球団中、実に9球団にのぼる。それを踏まえて、当時の巨人の球団代表清武英利はこの那覇キャンプ決定について「(巨人軍としては)宮崎から撤退することはないが、各球団が沖縄でキャンプを張っていることや、温暖な気候で実戦経験が積めること、あるいは施設の充実などを考え、沖縄でのキャンプを行うことは選手の強化、育成上メリットがある」とコメントしていた。
2011年シーズンの巨人・那覇2次キャンプは練習試合やオープン戦など実戦中心の内容で2月20日から2月27日まで実施され、このうち2月26日に開催されたオープン戦・対横浜戦は横浜の主催ながら、巨人のキャンプ地であることなどを考慮してホームチームの横浜が三塁側ダッグアウトを使用した。衛星放送でのテレビ中継もこれに配慮して、本来横浜主催・主管試合を放送するTBSニュースバード(当時)ではなく巨人主催・主管試合を中心に放送する日テレG+(現:日テレジータス)から行われた。この試合は4-1で横浜が勝利を収めている。
また前述の横浜対ヤクルト戦が開催された6月29日、那覇市長の翁長雄志(当時)は、早ければ2014年以降にもオールスターゲームを開催したい意向を表明した。2009年末にはNPBの加藤良三コミッショナー(当時)に対し要望を済ませており、引き続き開催要請を進める方針。
2014年、大リーグ選抜チームと野球日本代表の強化試合シリーズとして8年ぶりに行われる日米野球の最終戦(11月20日)として親善試合を開催し、6-4で日本が勝利した。日米野球そのものが沖縄県で行われるのは史上初。
2019年10月27日からプレミア12に向けての事前合宿が行われ、10月31日と11月1日にカナダ代表との強化試合も行われた。
2015年5月17日にアメリカ軍普天間飛行場閉鎖に伴う辺野古基地への移設に反対する「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が実施される。
那覇市は当球場の改築事業にあたり、施設の維持管理コストの削減や市民のスポーツ・レクリエーション活動の普及・振興を目的に施設命名権を導入する方針を示していた。
これを受け、市は2010年2月10日に開かれた市長定例記者会見において、野球場・屋内運動場両施設の愛称を対象とした命名権のスポンサー募集を同日より開始すると発表。市教育委員会を窓口とし、年額1,000万円以上・契約期間3年程度・名称に「那覇」を含めること(表記は漢字・カナ・かな・ローマ字いずれも可)などを条件として2月26日まで公募が行われた。
その結果沖縄県内の3社から応募があり、3月8日に開かれた審査委員会において選定した結果、年額1,200万円・契約期間3年間と最も好条件を示し、加えて命名権企業に付与される球場使用日を一般開放に充当するなどの案を示した沖縄セルラー電話を売却先に決定し、同社は3月17日に市と契約を締結。愛称は野球場が沖縄セルラースタジアム那覇、屋内運動場が沖縄セルラーパーク那覇にそれぞれ決定し、4月1日付で採用された。
市では1回目の契約期間が満了するのに伴い、2013年1月に命名権スポンサーの募集を実施した。募集にあたって契約条件を年額2,000万円以上へ増額したが、優先交渉権を有する沖縄セルラー電話を含む3社から応募があり審査した結果、引き続き沖縄セルラー電話と年額2,000万円、契約期間5年間で同年3月22日付で契約を更新、両施設とも同一愛称を継続使用している。
構造 地上3階建て RC造 鉄骨造(屋根)
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