神田 正輝(かんだ まさき、1950年〈昭和25年〉12月21日 ‐ )は、日本の俳優、タレント。本名は同じ。
東京都港区出身で、日本大学芸術学部映画学科を卒業する。石原プロモーション元取締役で、1976年のデビューから2021年の石原プロ解散まで石原プロに所属し、現在は芸能事務所に所属せずフリーとして活動している。
血液型はA型、身長178cm、体重70kg、旭輝子の長男で、神田沙也加は長女、松田聖子はかつて配偶者であった。
旭輝子の長男として生まれる。中学時代は、陸上部・水泳部・バスケットボール部・天体観測部を掛け持ち、スキーとスクーバダイビングも経験。将来はペンションか海の家の経営を夢見た。
大学時代にスキーの腕前を生かし、スキー板開発テスターのアルバイトで、各国のスキー場や氷河を滑り、高給だが危険性も高くやがてスキーを嫌いになる。
1973年にレストランで石原裕次郎から声を掛けられて意気投合し、翌週に石原の案内で日活を見学して「ひやかしでドラマ1本にでてみないか?」と誘われ、端役でドラマに出演して石原プロモーションに入社した。
1976年に日本テレビ系列「大都会 闘いの日々」で新聞記者の九条浩次役を務め、長野の方言で苦労した。第2シリーズ「大都会 PARTII」も刑事役で第14話よりレギュラー出演し、松田優作らと共に激しいアクションシーンも披露する。
石原に頼まれて神田を引き受けた岡田晋吉がプロデュースした「青春ド真中」、「ゆうひが丘の総理大臣」、「俺たちは天使だ!」で、「気弱な美男子」を演じた。
1980年に日本テレビ系列「太陽にほえろ!」の415話から、第1話から小野寺昭が演じた島公之(通称・殿下)刑事の後任で、医学部中退の西條昭(通称・ドック)刑事役で出演し、以後1986年の最終話まで出演する。「太陽にほえろ!」は神田の登場に合わせ、1970年代の生真面目な作りから1980年代の漫才ブームが起こり喜劇が求められる時代にマッチした笑いを重視した作りに番組カラーを転換した。神田は「太陽にほえろ!」の寿命を大きく伸ばすことに貢献し、14年続いた番組の後半を支えた。
1985年に 映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演した松田聖子と結婚。当時既に人気俳優だった神田とトップアイドルだった聖子の華やかな結婚は、「世紀の結婚」をもじった「聖輝の結婚」と呼ばれた。1986年に長女の沙也加をもうける。
1995年にNHK『とおりゃんせ〜深川人情澪通り』で時代劇初主演。ヒロイン(妻役)は池上季実子。神田にとって「好きな作品・思い出の作品」であるという。
1997年1月に結婚生活12年で聖子と離婚する。
1997年4月に朝日放送の生放送番組『朝だ!生です旅サラダ』の2代目総合司会となる。
長野オリンピックの前年1997年から、毎年3月に自身の名を冠したスキーコンペ「神田正輝カップ」を長野県志賀高原で開催している。参加者100人前後の大会で、神田はオーガナイザーを担当しているだけでなく、技術代表としてコースの点検・確認のため実際に自ら滑走している。
2004年に、1995年にNHKで放送された『とおりゃんせ〜深川人情澪通り』を、自らの提案で舞台化して主演する。神田にとっての初舞台で、ヒロイン(妻役)は今回も池上季実子。
2021年12月18日に、娘の沙也加が舞台『マイ・フェア・レディ』に出演するために滞在していた北海道札幌市にて35歳で死去。12月21日には札幌市内の斎場に赴き、一連の式の後、沙也加の母で元妻の聖子と並んで短い会見を行っている。12月25日は通常通り『旅サラダ』に生出演。番組のオープニングで「僕はいつもみんなを守る立場だけど今日は守られてる雰囲気がするな。ありがとうございます。僕は元気ですよ。」とコメントした。
2023年11月18日、体のメンテナンスをするため、として『朝だ!生です旅サラダ』を欠席。以後も出演しない状態が続いたが、2024年1月27日、約2か月ぶりに復帰した。
同じ取締役でもあった舘ひろしは渡哲也を慕って入社し、神田は石原裕次郎を慕い、かつては神田が石原メインの『太陽にほえろ!』に、舘が渡メインの『西部警察』に出演する時期が長く続いた。両者は『ゴリラ・警視庁捜査第8班』などの共演を経て、舘が石原の後任の“ボス”として『太陽にほえろ!』のリメイク版である『七曲署捜査一係』に、神田も『西部警察 SPECIAL』に敵役で出演し、2001年にテレビ東京系列で「舘&神田ゴルフ苦楽部」が放送された。
2011年3月28日に石原プロ取締役を辞任して所属俳優となる。
事務所に神田穣が在籍したが血縁関係はない。
スキー滑走に優れ、神田のスキー術を披露するために作った『太陽にほえろ!』の第449話「ドック刑事 雪山に舞う」および第450話「ドック刑事 雪山に斗う」のロケでは、スキーを滑るシーンも全てスタント抜きの本人演技でこなした。水上スキーではスーツ(背広)のままこなし、洋服を全然濡らさなかった。
スキーの他にもアクアラング・ゴルフ・テニスを特技としていることからわかるように、スポーツが好きで運動神経も高い。また、健康のためになるべくエレベーターを使わないで階段を使い、つま先歩きをして体を鍛えている。
ダジャレ好きで、「太陽にほえろ!」でドック刑事を演じた際も、劇中でしばしばアドリブのダジャレを披露していた。その後も自身の出演番組でダジャレを披露することが多い。
デビュー間もない頃、台本は暗記してこい、という意味で石原裕次郎に「台本なんか捨ててしまえ。」と言われたが、額面通り受け取り、ろくに読みもせずに捨ててしまった。そして、セリフを発することができなかったため、共演の宍戸錠にあきれられたという。
銃に対する知識が深く、ドック刑事役で、背中に銃を横向きに装着して手を背中に回して握り抜き前方から視認し難い『バックサイドホルスター』を新たに作り、ガンマニアらに『ドック・ホルスター』と親しまれた。ドック役でS&W M59を愛用したが、犯人の44マグナム弾に対抗してコルト・ゴールドカップナショナルマッチを使い銃による反動の違いも表現するなど、マニアに好評を得て月刊誌Gunにも掲載された。
『朝だ!生です旅サラダ』は1回80万円の出演料で320万円の月収を得るも加齢で台詞覚えに難が生じ、石原プロ解散後は俳優業はほぼセミリタイアの状態にある、と喧伝報じられる。
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