中村 哲(なかむら あきら、1912年2月4日 - 2003年8月10日)は、日本の政治学者、憲法学者。法政大学総長、参議院議員。父方の叔母に竹越光代(婦人運動家、歴史家・政治家竹越与三郎の妻)がいる。
東京府出身。府立三中、旧制成城高等学校(現成城大学)を経て、1934年に東京帝国大学法学部卒業(美濃部達吉門下生)。台北帝国大学文政学部の助教授・教授を経て、戦後我妻栄の引きで法政大学法学部教授に。法学部長・常務理事を歴任し、1968年に法政大学総長となった。
総長就任時は学生運動が激しく、学内で内ゲバ殺人事件(海老原事件)が発生するなど危機的な状況にあったが、警官隊の学内導入をほのめかした秦野章警視総監と対立しながらも大衆団交を繰り返し、終に警官隊を導入することなく事態を乗り切った。
1983年に日本社会党に請われて参議院議員選挙に出馬、この選挙から導入された比例代表区名簿第一位に登載されて当選、1期6年を務めた。
戦後、内閣調査室の職員が進歩的文化人攻撃のため「内外文化研究所」と名を偽り出版した『学者先生戦前戦後言質集』(1957年、全貌社)には、「日本の国家はいかなる理想目標に向って進むべきであるのか。その内在的な理念が明らかにされなくてはならない。それは日本の国体がつねに宣明し来った一君万民の統治を実現することであって、聖徳太子の十七条憲法のいうように『君云いて臣承り上行えば下靡く』政治を実現すべきであって、これこそ日本の国体の根本理念にもとづく政治力の結集である」(昭和十六年九月『日本評論』誌掲載「政治力の条件」)という文章や、「八紘一宇の東亜政治の理想をその内在的な理念とする戦争論が樹立されねばならない」(昭和十七年二月『改造』誌掲載「民族戦争と強力政治」)という文章が引用された。
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