富津市(ふっつし)は、千葉県の南部に位置する市。
都市雇用圏における東京都市圏。富津岬から南へ続く海岸部は南房総国定公園に指定されている。世界最大級の火力発電所・富津火力発電所を有する。
マザー牧場や富津岬、鋸山などで知られており、海と山々に囲まれた自然豊富な観光都市。関東の富士見百景「富津市からの富士」に選定されている。
木更津港富津地区に位置し、電力、金属製品、一般機械器具製造業などの立地が計画されている。地区内には富津火力発電所が稼働しておりエネルギー供給基地としても重要な役割を果たしている。火力発電所としては日本最大級の総出力であり、世界でも最大級の火力発電所である。
富津岬から北側は京葉工業地帯となっているが、南側は南房総国定公園に指定され、フェリーターミナルの浜金谷港や上総湊港(地方港湾)、多くの漁港を有する。
千葉県南部に位置し、県庁所在地の千葉市から約40キロメートルの距離で、東京都の都心からは40 - 50キロメートル圏内である。都市雇用圏における東京都市圏に含まれる。なお、東京都(特に東京国際空港)や神奈川県からは東京湾アクアライン若しくは東京湾フェリーを利用した場合が移動距離の短縮となる。
関東平野に含まれ、東京湾(内房)に面し、北部沿岸には富津岬が突き出しているのが特徴である。内陸部には房総丘陵を抱える。
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、5.14%減の45,601人であり、増減率は千葉県下54市町村中36位、60行政区域中42位。
市名の由来は日本武尊伝説によるものとされている。嵐を静めるために海に投身した弟橘姫の袖が海岸に流れ着いたことに由来する(布流津)。この布流津(ふるつ)が転じて富津になったとされている。一方、袖が流れ着いた地名は袖ヶ浦で、「布流津」の「布」は弟橘姫の腰巻が小糸川の飯野の地に流れ着いたことに由来するとの説もある。
市域には縄文時代・弥生時代からの遺跡が数多く分布する。房総半島では古墳時代を通じて古墳が数多く分布しているが、市域では5世紀中頃の内裏塚古墳を頂点とする内裏塚古墳群の存在があり、埴輪や金銅製品などの副葬品が出土している。また、古墳後期の横穴式石室を持つ後期古墳も分布する。
律令制下では上総国天羽郡全域・周淮郡の一部に属する。平安時代後期には、治承・寿永の乱において1180年(治承4年)に源頼朝が平家方に敗退して安房国へ渡っており、市域にも関係する伝承が残されている。鎌倉時代には称名寺の寺領があり、古戸(富津)の地から年貢の輸送が行われた。戦国期には佐貫城を拠点とする真里谷武田氏や房総へ進出する安房里見氏が支配した。1567年(永禄10年)には、隣接する君津市との境界にあたる三船山において里見氏と北条氏の合戦が行われた(三船山合戦)。
1953年5月21日、地元民が引き上げた爆雷が解体中に爆発。死者2人、重傷2人、家屋全半壊10戸。
1973年、市外局番が0478から0439に変更。
1979年、統一地方選挙のタイミングで市長選挙が実施される。4月22日に投開票が行われたが、5人の立候補者がいずれも有効投票数の4分の1を得られなかったため全員が落選。6月17日投開票の再選挙には3人が立候補し、現職が再選した。なお、地方自治体の首長選挙において、法定得票に達する候補者が存在しなかったことを理由とする再選挙の実施は公職選挙法施行以降では本事例が初めてとなった。また、再選となった現職の白井長治は最初の選挙の時点では3番目の得票だったため、再選挙において当選する「逆転勝利」にもなった。
2016年6月1日、防災行政無線放送等変更。
現在の富津市は1971年に新設合併で誕生した3代目の富津町が市制施行したものであるが、ここでは前身となった旧富津村、旧富津町についても述べる。2代目富津町までは旧周淮郡内の小さな町にすぎなかったが、3代目富津町が旧天羽郡全域を町域に収めたことで現在の市域が成立した。
特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる。
観光業が盛んであり、それに伴う消費活動は多い。商業施設などの大型店は、ロードサイド型店舗が多い。
木更津港湾に係る基幹産業(大規模施設)として、発電所を有する。
海苔やアサリ、バカガイ(アオヤギ)など海産物の産地となっている。
乗車人員が最も多いのは青堀駅。市役所に近い駅は大貫駅である。
富津市の国・県指定および国登録文化財一覧。
地域情報
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