ブルックス・カルバート・ロビンソン・ジュニア(Brooks Calbert Robinson Jr., 1937年5月18日 - 2023年9月26日)は、プロ野球選手(三塁手)。右投右打。
ニックネームは"The Human Vacuum Cleaner"(人間掃除機)。23年間にわたるキャリアを一貫してボルチモア・オリオールズでプレーしたフランチャイズ・プレーヤー。
1955年、高校卒業と同時にボルチモア・オリオールズと契約し、同年9月17日にメジャーデビュー。以来オリオールズ一筋に23年間プレーした。
1966年にシンシナティ・レッズから移籍してきたフランク・ロビンソンと共に「ロビンソン・コンビ」として大活躍した。フランクは移籍してきた1年目に三冠王に輝き、ブルックスも23本塁打、100打点を挙げ、チームはボルチモア移転後初となるリーグ優勝。ワールドシリーズでもロサンゼルス・ドジャースを4連勝で破り、球団初の世界一に輝いた。
1970年のワールドシリーズでは攻守にわたる活躍でレッズを4勝1敗で破って2度目の世界一に輝き、シリーズMVPに選出された。レッズのスパーキー・アンダーソン監督をして「ロビンソン1人に負けた」と言わしめた。
三塁手としてはその守備が高く評価され、「人間掃除機(The Human Vacuum Cleaner)」と呼ばれた。ゴールドグラブ賞は16年連続で受賞。受賞回数16回は、ジム・カート(投手)と並び、通算18回のグレッグ・マダックス(投手)に次いで、歴代2位タイの記録。野手としては最多受賞である。日本でも長嶋茂雄がロビンソンのフィールディングを手本にしていたといわれる。
1975年から成績が低迷し始め、1977年は開幕から絶不調で、シーズン途中の8月13日の試合を最後に現役を引退した。同年、自身の背番号『5』がフランク・ロビンソンの『20』に続きオリオールズ2番目の永久欠番に指定された。引退後には自伝"Third Base is My Home."を出版した。
通算成績は2896試合出場、10654打数2848安打(打率.267)、268本塁打、1357打点。多くのオリオールズの球団記録を保持していたが後にカル・リプケン・ジュニアによってすべて塗り替えられている。1995年、カル・リプケンが連続試合出場記録を更新した際のセレモニーでは「ミスター・オリオールはかつて私のことだったが、もはや今はカルのものだ」とのコメントを残した。
1983年に野球殿堂入り。通算打率.267は、殿堂入りを果たした内野手および外野手の中では後に殿堂入りするオジー・スミス(.262)に次いで低く、守備力への評価が高い選出であると言える。「テッド・ウィリアムスの打撃理論を本人から聞いたが全く理解できず、守備を重視するプレイスタイルになった」とロビンソンはコメント。
2023年9月26日死去。86歳没。
ちなみに、三重殺打を4度も放っている。これは2008年現在でもMLB最多である。
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